なぜ今、学校現場で「学び」が求められているのでしょう。

これは、学習指導要領の改訂の歴史と改訂に至る時代背景を考えるとよくわかります。

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今は昔……と言っても、20代の若いみなさんが生まれる、少し前のことです。

世の中はバブル景気に沸いていました。
bubble
みなさんには信じられないでしょうが、世の中はイケイケで、就職は売り手市場、建設業や金融業に就職希望が殺到しました。

学校では少年非行や校内暴力が流行り、教員のなり手が減少したのもこの頃です。

この頃の某テレビ番組に登場した一人のツッパリ系不良女子中学生が、先日国会で「愚か者の所業」「恥知らず」と発言していました。立派になったものです。
 
この「学校の荒れ」は「詰め込み主義」に原因があったのではないか、という反省から「新しい学力観」という言葉が使われ始めました。

そしてこの「新しい学力観」が、「生きる力」という形になりました。(1996中教審「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」)
 
ちょうどみなさんが生まれた頃でしょうか。この大きな路線転換は、「ゆとり路線」と言われました。
 
「みんな違って みんないい」という金子みすゞの詩や、SMAPの「世界に一つだけの花」が流行ったのも、ちょうどこの頃です。

ところがこの「ゆとり路線」は、子どもの自主性を尊重しすぎて指導ができていないのではないか、 学力低下が起きているのではないか、という批判がマスコミを中心にして起こりました。

これにダメ押しをしたのが2000年のPISA問題*1)です。「分数がわからない大学生」が問題になりました。

そしてみなさんが幼稚園や保育園に通い始めた頃、「確かな学力」が提案*2)されました。

確かな学力」は、詰め込み時代の「勤勉主義+学問中心主義」と、古くて新しい「経験主義+児童中心主義」の折衷案でした。

「ゆとり路線」で授業時間が減らされたまま、「確かな学力」をつけるために一層「教育内容の厳選」が行われ、学校行事の見直しが行われました。

同時に「体験的・問題解決的な学習などのきめ細かな教育活動を展開」するように、みなさんの小学校・中学校の担任の先生達は指導主事から何度も何度も指導されました。

*1) PISA問題
 OECD(経済協力開発機構)加盟国を中心に3年ごとに実施される15歳児の学習到達度調査です。主に読解力・数学的リテラシー・科学的リテラシーなどを測定しています。日本の成績は平成15年(2003)、平成18年(2006)と続落し、ゆとり教育の問題点が指摘されました。

*2)「確かな学力」が提案
 1998年(平成10年)に告示された学習指導要領は「生きる力をはぐくむこと」を基本理念としました。この「生きる力」の中には「基礎的・基本的な内容の確実な定着」が含まれていました。
 そして「基礎的・基本的な内容の確実な定着」を徹底するために、指導内容を3割程度削減しました。例えば「円周率は3でよい」とし議論を呼びました。(しかしその渦中、東大や阪大では入試に「円周率は3.05より大きいことを示せ」等の円周率問題を出題しました。学習指導要領は知識ではなく思考力を求めていたことの象徴的な例だと思いますよ。)
 指導内容を3割削減した結果、児童・生徒にとって十分な教育を行いうる状況でなくなったと更にマスコミを中心に学力低下論争が更に激化しました。
 これを受け文部科学省は「『生きる力』という基本理念をより拡充する」という名目で「確かな学力」を児童・生徒に身につけるよう、学習指導要領の施行の翌2001年に、緊急アピール「学びのすすめ」が出されました。


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