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 手の不自由な方が足で琴の演奏をするのを見たことがあります。その演奏は素晴らしかったのですが、その方は足の爪にマニキュアを塗りお化粧をなさっていました。
 「自分の足を見て欲しい」というお気持ちの表れだったのだろうかと思いました。

 自分の見て欲しいところに化粧をするというのは、人の自然な気持ちだと思います。

 文章も同じです。作家は読者に気をつけて読んで欲しいところに化粧を施すのではないでしょうか。それがレトリックです。

 学習指導要領に示される
 「文脈の中における語句の意味を的確にとらえ、理解する」
 「場面の展開や登場人物などの描写に注意して読み、内容の理解に役立てる」
 「表現の特徴
 「語句の辞書的な意味と文脈上の意味との関係に注意し、語感を磨く」
とは、文学的文章の読解では、レトリックに負うところが大きいと思います。

 そこで、「星の花の降るころに」では、設定の理解が終わった教室の場面の後半からは
 レトリックの授業を展開することになります。

 レトリックは、『日本語のレトリック―文章表現の技法』(瀬戸 賢一 岩波ジュニア新書)では、詳しく分類整理されていますが、
 ここまでの知識はなくても、生徒にとって基本的な知識がないと、それをレトリックと認識することが難しいようです。

 そこで、私は二つの指導法を用い、レトリックとその効果の指導を行ってきました。

 一つは、簡単な例文によって主なレトリックの種類をしっかり教えてから、実際にテキストの「この部分では、どういうレトリックが使われているか。また、それはどのような効果や意味があるのか」を考えさるやり方です。

 もう一つは、テキストからどういう感想を持つか、その感想はどの叙述から受けるか考えさせて、レトリックを押さえていくというやり方です。

 後者の指導は、どうしても生徒個人の主観が入ってしまって、なかなかこちらが意図した叙述にたどり着くことは難しい場合が多いようです。

 そこで私はいつも、「花曇りの向こうに」や「詩の世界」の単元でレトリックの種類をまずおさえます。(文学的文章の読解にはレトリックの理解は必須だと考えているからです。)
 本単元に入り、設定の理解が終わると、もう一度レトリックの復習をしてから具体的な叙述を示してレトリックの種類とその効果をおさえ、レトリックに注意して読むことに慣らしました。
 そして、校庭の場面で、「私」の気持ちを考えさせ、それがどのレトリックから受けた感想か述べさせる授業を行いました。

 レトリックとその効果をつなげていくと、主人公の心理の変化が浮き彫りとなります。
 ですから、授業の最後に主人公の心理の変化が、用いられているレトリックと共に一目瞭然となるような板書計画が必要となります。

 実際の授業では「そのとたん、私は自分の心臓がどこにあるのかがはっきりわかった。」以降の展開となります。(第3時)

  • T 「どきどき鳴る胸をなだめるように」とありますが、この部分ではどのようなレトリックが使われていますか。
  • S 「どきどき」は擬態法、「なだめるように」は「~ように」とあるので直喩です。
  • T なぜ「私」は「どきどき」したのですか。
  • S 夏実に話しかけようとして、緊張したからです。
  • T 「どきどき」したことは、他のどの部分からわかりますか。
  • S 「自分の心臓がどこにあるのかがはっきりわかった。」とあります。心臓がドキドキしているから、いつもは気がつかなくても気がついたのです。
  • T そうですね。
  •  では、その「どきどき」を「なだめるように」なにをしたのですか。
  • S 「一つ息を吸ってはきました。」
  • T そうですね。
  •  「私は夏実に話しかけようとして緊張した。その緊張を解くために一回深呼吸をした。」
  • と比べてどうですか。
  • S ……
  • T では、実際にやってみましょう。全員立って下さい。みなさんは「私」です。今、向こうから歩いてくる夏実に「一緒に帰ろう。またたくさんお話をしよう。」と言おうとしています。Yesの答えが返ってくると思いたいのですが自信がありません。無視されたらどうしよう……はい、今どきどきしています。心臓が激しく動いて、頭に血が上ってきました。ぼーっとし始めました。これはいけない。はい、一つ息を吸ってはいてください。どうですか。みなさん、落ち着きましたか。
  • S 微妙。
  • T そうですね。でも何か夏実に言わなきゃいけない。だから「ぎこちなく」夏実に向かって歩き出したんですね。
  •  このようにレトリックを使うと、登場人物の気持ちを生き生きと理解することができます。では、この場面で使われているレトリックと、それによってどういう「私」の気持ちが表現されているか、ノートにまとめましょう。

 この部分で注目させたい叙述は「音のないこま送りの映像(隠喩)」「騒々しさがやっと耳にもどった(隠喩)」「きまりが悪くてはじかれたように(直喩)」「色が飛んでしまったみたい(直喩)」「本当は友達なんていないのに。夏実の他には友達とよびたい人なんて誰もいないのに(反復法省略法)」です。
 ここで、夏実の「とまどったような」「すっと顔を背けた」を指摘する生徒がいます。
 「すっと顔を背けた」の「すっと」は擬態法ですが「顔を背けた」は慣用表現なので微妙なところです。
 しかしレトリックを発見することは手段であって目的ではありませんから、「よく見つけたね」と褒めます。そしてこれは「『私』から見た感想」なので夏実の気持ちはわからないことを教えておきます。

 ここで注意したいのは「きまりが悪くてはじかれたように」です。
 なぜきまりが悪かったのかと問うと
 生徒は直前の「唇が震えているし、目のふちが熱い」と答えます。
 重ねて「その顔に名前をつけるとしたら、何という顔になりますか」と問います。

 生徒がふざけて「変顔」と答えたらしめたものです。
 私はそんな時、実際に変顔をしてみせて生徒の笑いを誘い「本当に笑える顔をしていたと思いますか。」と問い返します。

 そして「みなさんも実際にやってみましょう」と言います。
 すると「泣き顔」という答えが返ってきます。

 この場面で「私」は泣いていたか、泣く寸前だったのだと思います。
 (本当はまだ泣いていなくて、次の校庭の場面の最後で初めて涙をこぼしたと考えるとロマンティックですね。)

 教室の場面後半と、校庭の場面で、だいたい2時間かかります。
 5時間扱いの授業だとすると、あと残り1時間となります。

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