○ア 伝統的な言語文化に関する事項
- 文語のきまりや訓読の仕方を知り、古文や漢文を音読して、古典特有のリズムを味わいながら、古典の世界に触れること。(ア)
をねらいとする教材です。
ポイントは「文語のきまり」「音読」「リズムを味わい」です。
だからと言って、一時間「いろはにほへと」と音読をさせていたのでは、江戸時代の寺子屋以下の指導です。
この教材は、
これから三年間学習する古文のスタートとしての意味を持っています。
これから三年間学習する古文のスタートとしての意味を持っています。
三年間の古文学習のゴールに待っているのは高校入試でしょう。
高校入試では、以下の問題が出題されます。
- 現代仮名遣いに直す
- 古語の意味を答える
- 主語を補う
- 助詞等を補う
- 会話文を問う
- 主題や大意を問う
- 説明的文章との関連問題
この高校入試につながる古文のスタートして
「いろは歌」で特におさえたい内容は
「いろは歌」で特におさえたい内容は
音読することを通して、
- 古文は歴史的仮名遣いで書かれているが、読むときは現代仮名遣いに直して読まなくてはいけないこと……この力をみるために「現代仮名遣いに直し、すべてひらがなで書け」という問題があります。
- 古語は、現代語にはもうなくなってしまった語や、現代語で使っていても意味が違う語があること
導入 「いろは歌」言えるかな
まず、いろはかるたについて生徒の注意を向けます。
「犬も歩けば……?」「論より……?」と問いかけ、
「これ、何かるた?」と問いかけます。
「犬も歩けば……?」「論より……?」と問いかけ、
「これ、何かるた?」と問いかけます。
「いろはかるた」は江戸、大坂、京都と微妙に異なりますから、その地方のものになるように注意すると良いですね。(このことは過去の全国学調でも出題されました。)
「この『いろは』って、全部言えるかな?」と問い、
生徒の答えに従って全文を板書します。
生徒の答えに従って全文を板書します。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこへて
あさきゆめみし ゑひもせす
展開1 現代仮名遣いで「いろは歌」を読もう
「いろは歌」を古文として、内容が理解できるようにアクセントやイントネーションをはっきりさせて範読します。
いろワ にオエド、ちりぬるを。
わガよ たれゾ、つねならン
うイの おくやま、キョウこエて
あさき ゆめみジ、エイもせズ
ここで意味を問うても生徒は答えられませんから
「なんとなくわかるような気がしますね」程度に抑え、
「どこが違った?」と問います。
- 「は」はワと読む……これは現代語と同じです。(古語の名残り)
- 違う読み方をするものがある。
- 「ゐ」「ゑ」はイ、エと読む。(ワ行音のイ音とエ音です 戦前まで使われていました)
- 「けふ」は「今日(キョウ)」と読む。
答えられなければ、黒板を示しながらもう一度範読します。
すると、読み方が違うことに気づきます。
そして古文の「歴史的仮名遣い」と「現代仮名遣い」について説明します。
そして
- すらすら読めるかどうかを見るために、テストでは「きちんと読めるかどうか見るために、ひらがなで現代仮名遣いを書かせる」から、何回も音読して体で覚えよう
展開2 「いろは歌」の意味を知ろう
更に「教科書の下にあるように、漢字仮名交じり文で書くと、更になんとなくわかりますね。」と言って範読します。
しかし教科書の現代語訳だけでは、生徒は何を言っているのかわかりません。
書かれている内容の細かな解釈は諸説があるので、
教科書には載せられなかったのでしょう。
そこで教師の側から説明します。
色はにほへど
色は匂うように美しく照り映えていても
散りぬるを
いつかは(花は)散ってしまう
我が世たれぞ
私たち この世の誰が
常ならむ
永久に変化しないでいることができようか(いつかは死んでしまう)
有為の奥山
いろいろなことがある(人生の)深い山を
今日越えて
今日も越えて(いくのだが)
浅き夢見じ
浅い夢など見ることはしない
酔ひもせず
心を惑わされもしない
「色」は「色即是空」の「色」で、
形あるもの、認識の対象となる物質的存在の総称です。
仏教では、万物の本質は実態のない空しいものであり(色即是空)、
空であることがこの世のすべての事象を成立させる道理である(空即是色)と教えています。
形あるもの、認識の対象となる物質的存在の総称です。
仏教では、万物の本質は実態のない空しいものであり(色即是空)、
空であることがこの世のすべての事象を成立させる道理である(空即是色)と教えています。
これは生徒には少し難しいので
ただし「色は」ではなく「色葉」であり、桜と紅葉のことを指しているという説もあります。
- 今匂うように咲き誇っている桜の花も、必ず散ってしまう定めにある
ただし「色は」ではなく「色葉」であり、桜と紅葉のことを指しているという説もあります。
「常」は恒常不変の「常」です。世の中誰でも永久に生き続けることはできません。
「有為」は因縁によって起きる一切の事物のことです。
世の中の全ての現象は因果関係によって成り立っています。
複雑に絡み合って発生している無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたものです。
世の中の全ての現象は因果関係によって成り立っています。
複雑に絡み合って発生している無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたものです。
最後の二行を
- 有為の奥山今日越えて (迷い多く悲しい奥山を越えて行こう)
- 浅き夢見じ酔いもせず (人生の儚い栄華に酔わないように)
と訳すこともできます。
「いろは歌」には「こう訳す」という定説がないのです。
この意味を押さえてから、もう一度「いろは歌」を音読させます。
当然歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直した読み方です。
これを暗誦させるのです。
旧仮名遣いの「いろは歌」を暗誦させても、今後の古文学習にはつながりません。
意味がわかれば正しく音読できる……音読することで意味がよりはっきりわかる
これが中学校における古文の学習の基本だと思います。
「読書百遍意自ら通ず」ですね。
終末 古文を読んで気づいたこと
- 書いてある旧仮名遣いではなく現代仮名遣いに直すことが大切だとわかった。
- 何回も音読すると、古文の意味がわかってくる。音読を一生懸命やりたい。
時間が余ったら 1
「いろは歌」の全く異なる解釈について教えてあげましょう。
「金光明最勝王経音義』(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)(承曆3、1079)という仏教の解説書の冒頭に「いろは歌」が載っています。この「いろは歌」は7音で区切られています。
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
それぞれの行の下の文字だけを読むと
- とかなくてしす(咎なくて死す)
このことは昔から知られていて、江戸時代の国語辞書にも記されていたそうです。
そのため、当時の学者には
「忌まわしい言葉が含まれているのはよくない」
「子どもの手習いには『あいうえお』を教えるべきで『いろは歌』を教えても良いことはない」
と考える人もいました。
『いろは歌』は作者不明ですが、この説に立つ場合は、
藤原氏に左遷され憤死した菅原道真や
刑死したとされる柿本人麻呂が作者ではないかと考える人もいるようです。
時間が余ったら 2
平成25年度の全国学調国語B問題をやらせるのも一興かも知れません。
ここれは「いろはかるた」に関する説明的文章の読解問題になっています。
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