「少年の日の思い出」の予習、復習、定期テスト対策用のプリントを販売します。
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第5時間目 「僕」のちょうに対する気持ちを知るこの時間のねらいは「気持ちを表す叙述」を的確につかむことです。
この時の「僕」の気持ちは「あの熱情」に集約されます。
その内容は
- 子供だけが感じ取ることのできる、あのなんともいえない、むさぼるような、うっとしした感じ
- 捕らえる喜び
- 緊張と歓喜
- 微妙な喜びと、激しい欲望との入り混じった気持ち
「ひどく心を打ち込んでしまい~やめさせなければなるまい、と考えたほどだった。」は「心を打ち込む」以外は外部評価で、学校をサボったり食事に帰らなかったりするのは他者が「やめさせなければ」と考える根拠です。
「あの時味わった気持ち」の「あの時」とは「幼い日の無数の瞬間」です。
キアゲハや「焼け付くような昼下がり」「涼しい朝」「森の外れの夕方」が具体例です。
非常に詩的な表現が多いですが、「気持ち」を考える上で、確実に「気持ち」を述べた部分と、その気持ちを説明した部分をきちんと読み分けることは、文学的文章の記述問題にもつながるものがあると思います。
生徒はどんどん出してくると思います。これらを構造的に板書にまとめていきます。
最後に「では、次の時間は、こんなにして集めた自分のコレクションを壊してしまう原因になったエーミール君について考えてみよう」と告げ、授業を終わります。
第6時間目 エーミールの人物像を考える
「僕」視点の物語ですから、エーミールについてはあまり好意的に描かれていません。
これを「僕」と、もう一人の「僕」であるエーミールを対比的にとらえることにより、エーミールの人物像を正確に考えさせることがねらいです。
そこでまず「エーミールはどんな人物だと思う?」と素直な感想を述べさせます。
まあ、たいてい「嫌な奴」というような答えが返ってくると思います。
まあ、たいてい「嫌な奴」というような答えが返ってくると思います。
そこで「ではエーミールはどんな奴か、具体的にまとめてみよう。」と言って、教科書の叙述をあげさせます。
エーミールは「先生の息子」です。
「非の打ちどころがない」「模範少年」で、「僕」はこれを「悪徳」「子供としては二倍も気味悪い性質」と言い、「妬み、嘆賞しながら彼を憎んで」います。
「僕」が「立派な道具」をもっていないのと同様、エーミールのコレクションも「小さくて貧弱」ですが、「こぎれいなのと、手入れが正確な点」で「僕」も評価しています。
更に彼は破損した蝶の羽を修復する技術を持っています。
また蝶の標本の目利きもできるようです。
「僕」のコムラサキに20ペニヒ(約40円)という値をつけ、「展翅のしかたが悪い……」等の解説をしています。
「僕」は「足が二本欠けている」ことすら「たいしたものとは考え」ず、彼の指摘を「難癖」と言い「こっぴどい批評家」と言っています。
「僕」はエーミールがコムラサキの値踏みした後「しかし、それから、彼は難癖をつけ始め」たとしていますが、「難癖」の内容は、たった40円の価値しかないという判断の理由だったとも考えられます。
「僕」のコムラサキに20ペニヒ(約40円)という値をつけ、「展翅のしかたが悪い……」等の解説をしています。
「僕」は「足が二本欠けている」ことすら「たいしたものとは考え」ず、彼の指摘を「難癖」と言い「こっぴどい批評家」と言っています。
「僕」はエーミールがコムラサキの値踏みした後「しかし、それから、彼は難癖をつけ始め」たとしていますが、「難癖」の内容は、たった40円の価値しかないという判断の理由だったとも考えられます。
これらを生徒から自由に出させながら、「実像」と「僕の評価」とに分けて構造的に板書していきます。そして後半部が本時の山場です。
板書を眺め、「エーミールは実際どんな奴だったと思う?」と問います。
当然授業の最初に考えたものとは違ってくると思います。
「みんなの知っている誰に似ている?」とより具体的に考えさせると『ドラえもん』の出来杉君、という答えが返ってきます。
(出てこなければこちらから提示すると「あ~」という反応が返ってきます。)
出来杉君
「『僕』はコムラサキを標本にしたとき得意がってエーミールに見せびらかそうとしたけど、エーミールは単純に『すごい』とは言わなかったのはなぜだろう。」と問います。
すると「あまり良い標本ではなかったから」と応えます。
「じゃぁ、『僕』は何が嬉しかったのかな?『自分の獲物に対する喜び』って、何だろう。エーミールとどこが違うんだろう。」と問いかけます。
すると生徒は「僕」は蝶を手に入れる行為そのものに価値を求めているのに対し、エーミールは結果を求めていることに気づきます。
「僕」がコムラサキをエーミールに見せたのは、家の近所だったからではなく、「僕」とは経済的にほぼ等しく、「僕」の気持ちを共有できる人物として選んだのです。
しかし二人の求めるものは違っていて、「僕」は純粋に行為を愉しむことを、エーミールは結果の良さを求めていることに気づかせます。
「『僕』はコムラサキを標本にしたとき得意がってエーミールに見せびらかそうとしたけど、エーミールは単純に『すごい』とは言わなかったのはなぜだろう。」と問います。
すると「あまり良い標本ではなかったから」と応えます。
「じゃぁ、『僕』は何が嬉しかったのかな?『自分の獲物に対する喜び』って、何だろう。エーミールとどこが違うんだろう。」と問いかけます。
すると生徒は「僕」は蝶を手に入れる行為そのものに価値を求めているのに対し、エーミールは結果を求めていることに気づきます。
「僕」がコムラサキをエーミールに見せたのは、家の近所だったからではなく、「僕」とは経済的にほぼ等しく、「僕」の気持ちを共有できる人物として選んだのです。
しかし二人の求めるものは違っていて、「僕」は純粋に行為を愉しむことを、エーミールは結果の良さを求めていることに気づかせます。
最後に
「蝶を手に入れる、という行為は、野生の蝶を捕まえることだけじゃなくても言えるよね。
次の時間は、いよいよエーミールの蝶をゲットしてしまう場面だ。
これが最後の場面で自分のコレクションを壊してしまうことにつながってくるんだね。」
と言って授業を終わります。
「蝶を手に入れる、という行為は、野生の蝶を捕まえることだけじゃなくても言えるよね。
次の時間は、いよいよエーミールの蝶をゲットしてしまう場面だ。
これが最後の場面で自分のコレクションを壊してしまうことにつながってくるんだね。」
と言って授業を終わります。
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