十種神宝 中学国語の基礎・基本

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カテゴリ: 生きる力

「情報処理能力」と「情報生産能力」の違いとは何でしょう。これはマーケティングの世界では有名な話です。
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靴のセールスマンが2人、南洋の孤島を訪れた。島の人たちを見ると、皆が裸足である。
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そこでひとりのセールスマンは、本社に次のような手紙を出した。「えらいところへ来ました。我々にはまったく用のないところです。誰も靴を履いていないんですから」

ところが、もうひとりのセールスマンは、興奮しながら、本社にこんな電報を打ったという。「すばらしいところです。まだ誰も靴を履いていませんから、いくらでも靴が売れます」

でも会社はこの報告に納得できずに3人目のセールスマンを派遣した。

すると、このセールスマンは島民にいろいろと聞き込んでから、会社にこのような電報を打った。
「島の人間は誰も靴を履いていません。そのため彼らの足は傷だらけです。私は島民に、靴を履けば足は守られ、足の痛みから解放されると説明しました。みんな非常に喜んでいます。島民の80%が一足12ドルなら購入すると言っています。これなら初年度だけで5000足は売れるでしょう。まずはシンプルなもので十分なので、安価に大量生産できます。これに島までの輸送と現地での流通や販売にかかるコストを差し引いても大きな利益が見込めます。ライバルに気づかれないうちに早く話を進めましょう。」
参考文献:『コトラーのマーケティング・コンセプト』(フィリップコトラー著、恩藏直人訳、東洋経済新報社)
・・・・・・・・・・
最初の二人は、目から情報を処理し「島の人間は誰も靴を履いていない」という結論を得ました。
本当にそうなのか、なぜそうなのか、自分の視覚から得られた情報からしか判断していませんから、情報収集やその分析も含めた情報処理能力に問題があった二人です。
しかし、同じ結果をもとに、一人は「靴は売れない」、もう一人は「靴は売れる」と異なった情報を生産し、会社に報告しました。

三人目のセールスマンは「足は傷だらけ」と新しい情報を追加し、コストパフォーマンスを計算した上で「靴は売れる」という情報を生産しました。
しかしここには、靴を履かないことによるこの島の背景や文化等の情報が欠けています。

彼の生産した新たな情報は「靴を売る」ことを前提としたものだったような気がします。

PISA型学力は産業界の要請によるものだと言われています。そしてここで求められる人材は三人目のセールスマンのような人間です。

「靴を売る」という与えられた命題に対して、的確に情報を収集・処理をし、最適解を導き出し具申する力とも言えます。

一番最初のセールスマンは、ひょっとしたら、島の人間に靴を履かせることによって、流通や販売等の経済的な波及効果も考えた上で島の生活や文化が破壊されてしまうかも知れないと考え「靴を売ってはいけない」と主張したかったのかもしれません。

確かにPISA型学力は、これからの社会に必要不可欠なものだと思います。
しかし同時に、与えられた命題について、その善悪を見極める心も育てないといけないと思います。
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そしてそれを育てることができるのは、国語科では文学的文章の読解のような気がします。
今回の学習指導要領の改訂で文学的文章に対する指導のウェイトが下がっているのが、とても心配です。



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OECD(経済協力開発機構)によるPISA(学習到達度調査)の結果が発表されました。
日本では「読解力」の低下が著しいという結果がでました。

PISAの結果が悪かったために、若い先生たちが当時学んでいた「ゆとり教育」の見直しが行われたのはご存じの通りです。
そして今、教育委員会をはじめ各学校で、全国学調の成績を上げるためにどうしたらいいか、を考えています。まるで「全国学調の成績を上げることが正義である」かのような勢いです。

これは一面では正しいですからね。そして「学力」という言葉そもものを使わないようにした文科省は慧眼だと思いますよ。

全国学調に対する教育委員会の対応と同じように、PISAの成績を上げることに敏感になり、そのために万策を尽くし方向転換をすることすら辞さないのが文科省です。

だって産業界=社会の要請なのですからね。

PISAの成績はなぜ伸びないのでしょう。

それは学習塾で取り扱わないからです。

塾の目的は、一人一人の生徒が高校・大学入試に対応できる力を身につけさせることです。
PISAも全国学調も、その成績は一人一人に還元されません。

文科省は「そうならないように……」と言っていますが、どうなんでしょう。
文科省は全国学調の成績を入試に加味しようとした某地方自治体を必死で止めましたけどね。

ですから学習塾は、PISAや全国学調に特化した内容は教えません。

ところが現在、大学入試制度が改革されようとしています。
今回は英語の民間試験導入や論述問題等の問題は解決されませんでしたが、いずれ大学入試はPISA問題に似てくると思います。

既に難関大学の問題はそうなっているところが多いですね。

そして大学入試を変え、それによって高校の授業を改革し、高校入試を変え、義務教育も変えていこうということは「大学入試改革で雪崩を起こす」でお話した通りです。
今回PISAの結果が出て、教育改革は更に加速するでしょう。

今回のPISAの問題は、読解力問題を見ればわかるように、パソコン画面に提示されるブログや書評、ニュース記事を次々と読み、設問に答えていく形式のテストです。そして最後の問題は、これらのテキストを読解した上で、根拠をあげて自分の考えを書く問題になっています。
2018 読解力
確かにパソコンの操作に慣れていなければ不利なのですが、問題の本質はそこではありません。

この問題の特徴は、次々と提出されるテキストの情報を高速に処理していく力(情報処理能力)とその結果を組み合わせ、与えられた課題に対して最適の解を時間内に導き出す力(情報生産能力)の二つの能力を測ろうとするところにあります。

PISAが求める「読解力」とは、「憎きもの」でお話しした「読解リテラシー」のことです。
そして高度な増俸処理能力と情報生産能力については「二つの学力観」で少し説明させていただきました。

もしPISAが求めるものを測定するような問題が大学入試で一般化された場合、学習塾ではこぞって高得点がとれる指導に切り替えていくでしょう。そしてこれは必ず高校入試に波及します。塾はそのノウハウを中学生にぶつけてくることは想像に難くありません。

今は学習塾が「自分には関係ない」と横を向いているからPISAや全国学調の成績が上がらないのです。

しかし入試となると塾は時目の色を変えて指導ノウハウを確立し実践していくでしょう。
そしてその指導は、徹底的に過去問を解かせ、解くポイントを指導していくものになるのだと思います。

過去問をたくさん解かせれば全国学調の成績が上がることは各都道府県レベルで実証済みでしょう。そしてその解法テクニックをうまく解説してやれば鬼に金棒です。……これは私が実際やっていました。
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その時学校は……

これは国語科の問題だけではありません。社会科も同じです。
そして国際化の時代、テキストはすべて日本語で書かれているはずがありません。英語で書かれたテキストに対してこそこの能力が求められている……だから英語教育に力を入れているのでしょう。

数学的リテラシー、科学的リテラシーの問題も同じです。
公開されている2015年の科学的リテラシー問題は、数値や図表・グラフ、あるいはデータの正当性等を問うもので、内容的に今回の読解リテラシーの問題と変わりがないのです。

今、受験戦争が最も厳しいとされる某隣国は低下傾向にあります。今までの入試問題に対応している知識重視の授業ではダメなのです。

そしてそう遠くない将来……おそらく3~5年後、わたしたちが旧態依然の、教科書の内容をただ教えようとする授業を展開していたら、生徒や保護者は学校への信頼をなくしてしまうかもしれません。

……授業改革を行うのは、今しかないのです。


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 1990年代バブルが完全に崩壊し日本の不景気が始まった頃、
 阪神淡路大震災オウム真理教によるテロ等が起こり社会的にも不安・不安定な時代となりました。
 『クレヨンしんちゃん』の主人公野原しんのすけ君はこの頃に生まれています。
146640©臼井儀人/テレビ朝日
 「ゆとり教育」が始まったのもちょうどこの頃です。

 ゆとり教育は1987年生まれの人が中三の時に始まり、2001年生まれの人が小一の時に終わります。

 ちょうど新卒の先生たちの世代になるかもしれませんね。

 特に新卒の先生たちが過ごした小~高校時代、
 日本は平成不況・リーマンショックの中でデフレが進み、
 就職も2003年には大卒の就職率が過去最低の55%までに落ち込みます。

 激戦を勝ち抜いて就職したにもかかわらず社会に出てすぐに辞めてしまう若者が多いことが社会問題になりました。

 「失われた10年」と言われる時代です。

 学校は土曜日を休みとして完全五日制となり、「学力低下」が社会的な問題となり、校内暴力が多発しました。

 そんな時代の中で新卒の先生たちは育ちました。

   新卒の先生たちが学んだ「ゆとり教育」って何だったのでしょうか。

   1996年に文部省(現在の文部科学省)の中央教育審議会(中教審)が「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の第1次答申の中で、
  • 我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力など自己教育力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。(中略)我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を、[生きる力]と称することとし、知、徳、体、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。
と述べています。

 それまでの「詰め込み教育」と言われる知識量偏重型から、思考力を鍛えることに重きを置いた経験重視型に教育方針を転換し、そのために学習時間と内容を減らしてゆとりある学校を目指したのです。

 1992年以降の3回の指導要領はこの「生きる力」を目指しています。

 そして思考力や問題解決能力などを重視し、個性を尊重しました。
 学習内容も体験的な学習や問題解決学習などの占める割合が従来よりも多くなり、評価も関心・意欲・態度を重視する方向となりました。(「新学力観」)

 新卒の先生たちは、この方針に従った教育を受けて育ってきたのです。

 「知識偏重教育」とは結果としての知識を大切にする教育です。

 では「知識」はどのようにして生まれるのでしょうか。

 何もないゼロから新たな知識を生みだすことはとても難しいことです。
 それが簡単にできる人を天才と呼ぶのだと思います。

 私たちが何かを考えたり思いついたりする場合、今頭の中にあるいくつかの知識を組み合わせたり変化させたりして新しい知識を生み出しています

 そしてそれには、論理的な演繹的な思考と直感的な帰納的な思考(*1)が必要です。
 そのための体験的学習や問題解決学習だったのだと思います。

 「生きる力」を育成するというのは、出口としての知識ではなく、その知識を生み出すための力をつけるということだったと私は考えています。

 「ゆとり世代」と言われ、
 「指示待ち人間が多い」「常識がない」「自分中心的」「自信満々だが実践力がない」「打たれ弱い」等、他の世代から滅茶苦茶に言われ、

 更に「ゆとり世代」は差別用語とまで言われたため、
 新卒のみなさんより後の世代は「さとり世代」と呼ばれるようになりました。

 しかし新卒のみなさんは「ゆとり世代」であることを恥じる必要はありません。

 みなさんこそ、新しい知識を創造する……その力を育てられた世代のはずです。
 そして、だからこそ、新指導要領で示される「生きて働く知識」を育てることができるのは、みなさんたちの世代しかいないと思います。

  *1) 演繹法と帰納法
 演繹法とは、一般的かつ普遍的な事実を前提として、そこから結論を導きだす方法です。例えば、「人間は哺乳類である」「哺乳類には血液がある」という2つの普遍的な事実を前提とした場合、演繹法では「人間には血液がある」という結論を導き出すことが可能です。このことから、演繹法は数学的な推論方法ともいえるでしょう。ただし、前提として選定した一般論や普遍的事実が誤っていると論理が破たんしてしまいます。逆をいえば、前提の選定さえ間違えなければ、非常に強い説得力をもつ推論方法であるともいえます。
 帰納法とは、さまざまな事実や事例から導き出される傾向をまとめあげて結論につなげる論理的推論方法です。帰納法で重要視されるのは、多くの事例に共通することをまとめることで、聞く者に「納得感」を与えます。例えば、「今朝テレビでハチミツの効能について報道していた。また、同僚のA君も毎朝ハチミツを摂取していて体調がよくなったとのこと。他にも、定期購読している雑誌の中でハチミツが体に良いと紹介されている。よってハチミツは体調の改善に効果がありそうだ。」という帰納法による説明では、「テレビでの報道」「同僚の体験談」「雑誌の記載」といった事象を総合して「ハチミツが体に良い」という結論を導き出しています。この例の場合のように、複数の具体的事実から同一の傾向を抽出して、結論(推論)に持っていくのが帰納法です。さらにここでは、テレビ、同僚の話、雑誌と3通りの経路から情報を入手していることで、偏った情報ではないという印象が深まるため、聞く者に納得感を与えやすくなっています。
 「風が吹けば桶屋が儲かる」の話で、「風が吹く」→「砂埃が立つ」→「目の不自由な人が増える」→「三味線を習う」→「三味線の材料の猫がいなくなる」→「鼠が増える」→「鼠が桶をかじる」→「桶屋が儲かる」と順序よく考えていくのが演繹法、途中を一足飛びにして「風が吹いて砂埃が舞う」という事実と「桶が売れるので桶屋が儲かる」という二つの事実を直感的に結びつけるのが帰納法です。
 人間の思考は、どちらを使って、ということはありません。何かピンときたら、それが正しいかどうか、演繹法や帰納法を使って考え、答えに確信を持っていきます。そして、この思考を身につけるには、体験的な活動や問題解決学習が適しています。このことを明確に狙ったのが「総合的な学習の時間」だったのだと思います。


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 「キャリア教育」の一環として職場体験学習が各校で計画されています。

 1960年代、池田勇人内閣は「働くということは、はたを楽にするということでございます」のキャッチフレーズで「所得倍増計画」を掲げ、高度経済成長をもたらしました。
 この当時は、キャリア教育は「進路指導」と言われていました。

 しかし高度経済成長下の金の卵が絶滅危惧種になって以来、中学校で進路指導と言えば進学指導のことを指すようになりました。今でも進路指導の係の先生の仕事は主に進学指導のことを指す場合が多いようですね。

 それから40年が経ち、偏差値の高い高校・大学へ行けば一生安心……そんな右肩上がりの幸せな時代は終わりました。バブルが崩壊した2000年頃には、ニートとかフリーターが増え始め、社会問題になりました。
 就職氷河期と言われ、苦労して就職したにもかかわらず若者たちが「就職後3年でやめていく」と言われたのもこの頃です。

 これに対し時の政府は「将来を担う若者たちに勤労観、職業観を育み、自立できる能力をつけること」を目的に「キャリア教育」を推進しました。「生きる力」という言葉が使われ始めたのもこの頃です。

 バブルが崩壊した当時の文科省は、20年、30年後を見越して子どもたちに「生きる力」をつけようと考えました。
 この流れの中で、特別活動や総合学習の枠の中で「生徒が事業所などの職場で働くことを通じて、職業や仕事の実際について体験したり、働く人々と接したりする学習活動」(文部科学省)として職場体験学習が始まったのです。
 ちょうど総合的学習の時間がスタートした頃です。

 そして失われた20年が経ち、バブル崩壊の頃に心配されていた「未来」がいよいよ到来しました。

 現在文科省はキャリア教育の必要性を次のように述べています。

  • 少子高齢社会の到来、産業・経済の構造的変化や雇用の多様化・流動化
  • 就職・就業をめぐる環境の変化
  • 若者の勤労観、職業観や社会人・職業人としての基礎的・基本的な資質をめぐる課題
  • 精神的・社会的自立が遅れ、人間関係をうまく築くことができない、自分で意思決定ができない、自己肯定感を持てない、将来に希望を持つことができない、進路を選ぼうとしないなど、子どもたちの生活・意識の変容
  • 高学歴社会におけるモラトリアム傾向が強くなり、進学も就職もしなかったり、進路意識や目的意識が希薄なまま「とりあえず」進学したりする若者の増加
 終身雇用制度は崩壊し、AIや外国人労働者、非正規採用者の職場に占める割合が増加する中、生徒たちにリアルに「生きる力」をつけてあげなくては、文字通り「生きる」ことのできない時代になったのです。
 自分のことなのに、ぬるくなり始めたお風呂から出られなくなったような(風呂から出れば寒い。しかし、このまま風呂につかっていてもお湯は冷めていくだけの)現状に対し何もしようとしない(「できない」ではありません。)若者たち……。年金制度も行き詰まる中、どうやって生きのびることができるのでしょうか。

 現在のキャリア教育は、これをなんとかしようとする試みなのだと思います。

 ですからキャリア教育……「職業観・勤労観を育む学習」では「人間関係形成能力」「情報活用能力」「将来設計能力」「意思決定能力」を培うこと(文部科学省)が求められているのです。

 職場体験学習は、それを行うこと自体が目的なのではありません。
 ましてやお世話になる事業所は「教える」ことのプロではありません。

 現在、職場体験学習の日そのものは「学校行事」か「総合的な学習の時間」としてカウントされていると思いますが、この学習を通して、何を学ばせ、どんな力をつけるのかを明確にし、それを生徒におろしていくのは、事前・事後の「総合的学習」あるいは「特別活動」に委ねられています。
 (だいたい、希望した職場に就職できる人間なんて、今時ほとんどいません。それが現実であることをふまえ、どう指導し、どう「学習のねらい」を達成させるかが、私たちの仕事ですよ。また、学習の成果が「キャリア教育」のねらいと合致しているといいですね。)


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 令和の御代になりました。ここで戦後の指導要領の流れをごく大雑把に復習してみましょう。
 偏見に近いような個人的な見解も入っているかも知れませんが、ご容赦ください。
  
 1950年代、学習指導要領試案等に見られるように、デューイの経験主義教育が流行しました。子どもの生活経験や興味、あるいは地域社会の課題をもとに学習を進めよう、という考え方です。しかしこれは「這い回る経験主義」と言われ、“読み書き算”が定着しない等の批判があがりました。

 1960年代に登場するのがブルーナーの考え方です。ブルーナーは教育過程を認知能力の発達過程と考え、子どもの側の主体的探究活動を通じて基本的概念を発見させる発見学習を提唱しました。(これは今でも、課題解決学習の考え方に引き継がれていますね。)
 この考え方に基づき、教材を構造化し、教育機器を活用しながらの記憶(暗記)中心の能力主義教育が展開されました。「受験戦争」という言葉が一般化したのもこの頃です。

 1970年代になると、進学率が更に上昇し、つめこみ教育に対する学習の不適応という問題が表面化してきました。そこで「人間性尊重の教育」を合い言葉に、個性や能力を尊重し人間性豊かな子どもの育成を目指して各教科の指導が再考されました。小学校では「ゆとりの時間」が創設されたのもこの頃です。

 限られた時間の中で「ゆとり」を持つには教育内容を精選しないといけません。そこで1980年代になると、教育現場では「基礎基本とは何か」という問いがしきりに発せられるようになりました。同時にゆとり教育への行き過ぎの批判があがります。ハウツーを求め「教育技術の法則化」運動が現場に広まったのもこの頃です。

 元号が平成に改まった1990年代は、「新学力観」(体験的な学習や問題解決学習によって育てられる力を重視する学力観。関心・意欲・態度を重視する。)に基づいて、個性をいかす教育を目指すようになります。
 このため教科の学習内容はさらに削減され、生活科の新設、道徳教育の充実などで「社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成」が謳われました。みなさんが生まれたこの頃、「分数のできない大学生」が社会問題になりました。

21世紀に入り、2002年の改訂では「自分で課題を見つけ、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力……生きる力」の育成が求めれれました。学校完全週5日制が実施され、「総合的な学習の時間」が必修になりました。
 しかしこの時期、日本はPISAの順位を大いに下げ「ゆとり教育」に対する批判はますます強まりました。このため2003年には早くも一部改訂が行われ、学習指導要領は「最低限」の内容であり、それを超える「発展的な学習内容」も教えることができるようになりました。

 そして2011年の改訂では「脱ゆとり」の方向に舵が切られ、「ゆとり」でも「詰め込み」でもない、知識、道徳、体力のバランスのとれた力としての「生きる力」の育成が謳われます。
 総合的な学習の時間は大幅に削減され、五教科及び保健体育の授業時数が増加しました。小学校5,6年に「外国語活動」の時間ができたのもこの時です。そして2018年の一部改訂では「特別の教科」としての「道徳」が登場し、小学校では英語が必修になります。

 今回の令和最初の改訂では「主体的・対話的で深い学びアクティブ・ラーニング)」の導入やプログラミング教育の充実が図られようとしています。(しっかり勉強してね♡)
  
   このような動きを「経験主義と能力主義の間を、振り子のように動いている」と批評することは簡単なことです。また、現状の問題点を指摘することは悪いことであるとは考えません。
   しかし……なぜ歴史を学ぶのか……それは未来に生かすためであるとするならば、私たちは学習指導要領の歴史の中から、何を考え、どんな信念をもって生徒の前に立たなくてはいけないのでしょうか。

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 「正義の味方」という言葉があります。
 『月光仮面』の原作者川内康範が、この主題歌の中で使ったのが最初だそうです。
DWwBKFvVAAAqzyP©川内康範/宣弘社
 「正義の味方」について氏は次のように述べています。
  
 月光仮面は月光菩薩に由来しているんだけど、月光菩薩は本来、脇仏なんだよね。脇役で人を助ける。月光仮面もけっして主役じゃない。裏方なんだな。だから「正義の味方」なんだよ。けっして正義そのものではない。この世に真の正義があるとすれば、それは神か仏だよな。月光仮面は神でも仏でもない、まさに人間なんだよ。
  
 氏は、戦争の経験から「絶対の『正義』などありはしない」と考えました。世の中のどこかに正義があるのではなく、正義は一人一人の心の中にしかないという考えです。
 そして、私たちはその正義の心の味方になることしかできないのだ、ということだと思います。

 正義の心を、学習指導要領に示される「道徳性」に置き換えてもよいと思います。
 世の中に絶対的な道徳などないかもしれません。しかし、人間は誰もが「道徳性」を持っているのではないでしょうか。
 そして私たちにできることは、生徒の持っている「道徳性」の味方となり、悪に負けそうになった時に救いの手を差し伸べることができるだけだと思います。

 「正義の味方」は、必ず圧倒的な武力をもっています。
 月光仮面の拳銃、ウルトラマンのスペシウム光線……時代が下るごとに、正義の味方の武器は強力なものに進化しているようです。
 正義を助け悪を滅ぼすには、どうしても圧倒的な強さが必要となるからなのでしょうか。
a473e262©円谷プロ
 今回の指導要領の改訂で、いじめや自殺問題への対応の充実がポイントとなりました。
 生活の中で生徒の差別的な言動を目撃したら……。

 差別的な言動をしている生徒の心の中の「正義」が負けているのです。
 (「正義」が弱くなったのか、「悪」が強くなったのか……これは相対的な問題だと思います。)
 「悪即斬」ではありませんが、速やかに悪を殲滅しなくては、差別されている側ばかりでなく、差別している側も不幸です。
 ためらわずに圧倒的な「力」で悪を滅ぼしましょう。(でも、体罰はダメ……絶対!
 それが「正義の味方」としての私たちの役目なのだと思います。

 そんな「正義の味方」も、いつかはいなくなる時が来ます。

 『ウルトラマン』の最終回では、ウルトラマンは宇宙恐竜ゼットンに敗れ、
 『ウルトラセブン』の最終回では、ボロボロになったセブンに帰還命令が下ります。

 ……「地球は自分たちの手で守らなければならない。」
 地球の防衛チームは、自分たちの手で怪獣を倒し、正義の味方は故郷へ帰るのです。

 テレビの「正義の味方」と同じように、私たちもいつかは生徒の目の前からいなくなる時がきます。
 あなたが今の生徒の前から消える異動の日までに、生徒一人一人が「正義の味方」に頼らずに悪に打ち勝つ力を身につけることこそが、あなたの役目なのではないでしょうか。

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 高校にとって、その生徒の卒業後の進路はとても重要です。

 なぜなら、その高校の評価は、卒業生の進路で
決まるという面があるからです。

 ですから、
 より偏差値の高い大学に一人でも多く進学させるためには、
 大学入試の変化に応じて、高校の授業も変わらざるを得ません。

 そして、より「優秀な」学生を求める高校は、
 当然、高校入試も変えていくでしょう。

 そのため、公立高校の入試も、
 大学入試を意識したものにせざるを得なくなります。

 高校入試が変われば、当然それを意識して、中学校の授業も変わらざるを得ず、
 中学校の授業が変われば、小学校の授業も変えざるを得ないのです。

 この雪崩を起こすことがオオトリテエの狙いです。

 去年、小学校の英語の授業にAIが搭載されたロボットが導入されつつあり、将来的にはALTに取って変わる可能性もあるという報道がなされました。産経新聞 2018.8.24
 また、大学入試の英語では「読む」「聞く」能力に加え、「話す」「書く」力を測定するため、民間の検定試験を活用するということはご存じの通りです。
 そして英語の限らず、これからのテストの解答方法としてCTB(Compyuter Based Testing)方式*1)が重視されてくるそうです。

 前に、AIの導入により銀行などでリストラが進んでいることをお話ししました。
 近い将来、私たちの授業も、知識・技能の伝達の側面はテスト作成や採点も含め、AIにとって変わられるかもしれません。
 昔ながらの授業はもう通用しないし、そのような授業しかできない教師は、もう必要とされない時代がそこまで来ているかもしれません。

 では私たちは、授業をどのように変えなくてはいけないのでしょう。
 これが教育改革の「三つの柱」の中の「どのように学ぶか(指導方法や教科書の改善)」です。

 文科省は、2014年「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)」の中で、次のように説明しています。

 必要な力を子供たちに育むためには、
 「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと、
 「どのように学ぶか」という、学びの質や深まりを重視することが必要であり、
 課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)や、
 そのための指導の方法等を充実させていく必要があります。

 具体的に考えてみましょう。

 例えば理科の授業では実験や観察をします。
 教科書には、クックパッドに載っているお料理のレシピのように、実験や観察の手順が詳しく書かれています。
 おそらく全国の理科の授業では、教科書の手順どおり実験が行われ、同じような結果が得られているでしょう。
 今までは、そういった授業でよしとされてきた面があります。しかしこれでは、知識・技能を伝えたに過ぎません。
 これからは、実際に実験をやらなくても、AIを使ってシミュレーションすればいいという時代が来るかもしれません。

 大切なのは、その実験は何のために行うのか、です。

 目の前にある「不思議な」事象に対し「なぜだろう」と疑問を持ち、
 疑問を解き明かすために、理科の見方・考え方を働かせて科学的に思考し、「こうなんじゃないか」と予想や仮説をたて、
 そしてその予想や仮説が正しいことを証明するために観察や実験を行っているわけです。

 この事象との出会いから予想や仮説をたて、それを証明するための観察や実験を組み立てる一連のプロセスこそ、授業で最も重視しなくてはいけない内容だと思います。

 シミュレーションでなく実際に実験を行ったとして、もしも班どうしで実験結果が違ったら、(これはありがちなことですね。)
 それはなぜ違うのか、どちらが科学的に正しいのかを議論する……そんな授業もできそうです。

  *1) CTB(Compyuter Based Testing)方式
       試験における工程を全てコンピュータ上で行うこと、およびそれを行うサービスのこと。

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 最近、千代田区立麹町中学校が話題になっています。
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 7月1日付けの朝日新聞には「定期テストやめました」という記事が載っていました。

 中間・期末テストを廃止し、「単元テスト(再テストあり)」を必修とし、
 他に年5回の思考力テストを含む「実力テスト」を行う、という内容です。

 また長期休みに出していた「日課の宿題」をやめたそうです。
 ただし、課題がないわけではありません。

 麹町中学校は「番町小→麹町中→日比谷高→東大」と言われた公立名門中学校です。
 現在でも、日比谷や開成、早稲田や慶応の附属へ多くの卒業生を送り出していることで有名です。

 麹町中の「実力テスト」は「全国大学共通テスト」の記述式問題を意識しているのではないでしょうか。

 文科省は「学力の3要素」として
  • 十分な知識・技能
  • それらを基盤にして、答えが一つに定まらない問題に自ら解を見いだしていく思考力・判断力・表現力等
  • 主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度(主体性・多様性・共同性
 をあげています。
 「実力テスト」はこの中の「思考力・判断力・表現力」を見るものなのではないでしょうか。

 更に文科省は、
 共通テスト以外に「高校生のための学びの基礎診断」*1)の導入も予定しています。
 
 新聞などでご存じだと思いますが、「十分な知識・技能」を評価するものです。
 麹町中の、成績に反映される「単元テスト」がこれにあたるのだと思います。

 今回の大学入試改革は、これだけにとどまりません。
 各大学が実施する試験(国公立大学では、いわゆる2次試験)においては、ペーパーテストだけではなく、
 高校3年間でどのようなことに取り組み、その経験からどのような資質・能力を身につけたのかを受験生自身が記入して提出する
 活動報告書等の書類の提出(JAPAN e-Portfolio*2))や、面接、プレゼンテーションの実施など、
 多様な方法で多面的に評価する試験へと変わっていくということです。

 この一連の大学入試改革
 すべて、これからの時代を生きるために必要な
 「学力の3要素」をバランスよく測定・評価するという目的のために行われるのです。

 高校3年間でどういう力をつけたかが、全国共通の物差しで可視化されるのです。

 大学入試を変えることにより高校は変わらざるを得ません。
 そして、高校は「より優秀な生徒」が欲しいのですから、それが測定・評価できるような高校入試に変わっていくでしょう。
 高校入試が変われば、中学校の授業は否応なく変わらざるを得ません。

 麹町中の取り組みは、
 これらの変化に対する対応の一つという見方もできると思います。

 高校の指導要領が改訂されるのは2022年度。

 みなさんが高校に進学し大学を受験した時とは全く違う未来が、
 目の前の生徒たちには待っているのです。

  *1) 高校生のための学びの基礎診断
 「高校生が身に付けるべき基礎学力の確実な育成に向けて、高校段階における生徒の基礎学力の定着度を把握及び提示できる仕組みを設けることにより、生徒の学習意欲の喚起、学習の改善を図るとともに、その結果を指導改善等に生かすことにより高校教育の質の確保・向上を図る。」という目的で行われる予定です。当然、大学入試に反映します。

  *2) JAPAN e-Portfolio(ポートフォリオ)
 文科省が開発している、学生が探究活動や課外活動、資格・検定等の実績をインターネット上に蓄積する「学びのデータ」です。
 学生が蓄積した電子データを教師が閲覧して指導に役立てたり、学生自身がWeb出願等に利用できるそうです。これにより高校生活における日頃の活動が評価されるようになり、高校から大学に提出される調査書や、受験生本人が自己アピール書のような形で提出することになります。
 前回説明した「ポートフォリオ評価」を電子化し、入試に使おうというシステムですね。


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 今度の教育改革の最大のターゲットは、大学入試です。
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 教育を変えるには、
 まず大学と大学入試を変えなくてはいけないと、
 昔から言われてきました。

 例えば、経済学には統計が不可欠なのですが、
 経済学部の学生には数学の知識がほとんどありません。(実話です。)
 経済学部は文系で、文系の受験科目に数学はありません。
 だから経済学部の学生は、数学の勉強をしていないのです。

 このような現状を変えるために、
 「大学入学共通テスト」を導入しようとしています。

 センター入試のような五択問題ではなく、
 多くの教科の見方・考え方を働かせながら、
 比較したり、関連付けたり、因果関係でとらえたりして、考えたことを
 自分の言葉で表現する力を
 「大学入学共通テスト」で測定・評価しようとしています。

 例えば2017年に行われた記述式問題のモデル問題例は、
 自転車駐車場の使用契約書を読ませ、Aさんの具体的な事情についてはどう適用されるのかを考えた上で、その考えを記述する力をみる問題でした。

 つまり、契約書という抽象的なルールと、Aさんの個別・具体的な事例を重ねて結論を出し、文章にする力が問われているのです。

 この問題を解くには、情報の扱い方、論理的な思考力が必要です。

 しかし、これと似たような問題は、昔から東大などで実施されていました。
 つまり「大学入学共通テスト」が東大の二次試験に近づいたということです。

 ですから、大学を目指す高校生たちに、
 「大学入学共通テスト」の、骨太な記述問題や総合・融合問題を解くのに必要な力をつけないといけません。

 大学入試が変われば、
 雪崩式に高校の授業も変わらざるとえないのです。


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 先の見通せない未来を生きていかなくてはならない子どもたちには
 どんな教育が必要なのでしょう。

 その答えの一つが、今回の教育改革なのだと思います。

 文部科学省初等中等教育局の合田哲雄氏(当時教育課程局課長)

 AI時代、第4次産業革命の時代にあって、その国が発展するかどうかは
 AIを使いこなし、AIに目的を与えることができる人がどれだけいるかにかかっている

 とし、今回の教育改革は次の三つの柱からなると説明しています。
  1. 何を学び、何ができるようになるか(学習指導要領改訂
  2. どのように学ぶか(指導方法や教科書の改善
  3. 学びをどう評価するか(大学入試の大改革
  氏は、

 「ゆとり教育」は「知識をどう使うか」が問題だったのに、
 いつのまにか「知識があってもしょうがない」にすり替わってしまった

 とし、2008年の指導要領以降は「知識に基づく応用」と表現を変えたと述べています。

 これは
 「思考するにも判断するにも、知識は絶対に必要である
 という考え方です。
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 確かに
 「考える」ということは、既存の複数の知識を結びつけることである。
 という側面を持っています。

 ですから
 「自分の頭で考え抜くために詰め込み教育は必要である
 というのがオオトリテエのお考えなのです。

 そして、
 まず大学入試を変えることによって、
 雪崩式に、高校・中学・小学校を変えていこうとしています。

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