十種神宝 中学国語の基礎・基本

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カテゴリ:中学国語 授業のヒント > 1年


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7時間目以降「別の人物の視点で書こう」

「別の人物」とは、この物語の場合エーミールと母親の二人です。
この時のポイントは、テキストに書かれている事実を絶対に見落とさない、ということです。

彼らは主人公ではありませんから、その心理についてはまったく述べられてはいません。
そのため、自分の想像で物語を膨らめる余地があります。

しかし、自分の想像部分を膨らませるあまり、テキストに書かれてある事実を無視してしまっては、まったく異なる物語を創作してしまったことになります。
そうなると、単に登場人物の名前だけ同じで、テキストとは関係ない話となりますので、今までの読解の授業が生かされません。

今までの細かな読解から、その登場人物が、当然そう思い、感じているだろうことを忠実に書き起こすことが「別の人物の視点で」という意味だと思います。
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エーミールの視点から物語を再構成する

エーミールの視点から物語を再構成する場合、落としてはいけない点は以下のものがあります。

  1. コムラサキを見せられたとき、エーミールはどう思ったか。
  2. 「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」は、どんな気持ちで言ったのか。
  3. 「結構だよ~」の台詞を聞いて顔色が変わった「僕」を見て、どう思ったか
  4. その後どうなったか
小学校4~5年生くらいのエーミールは「僕」にコムラサキを見せます。

「僕」は彼を「気味悪い性質」と言い「妬み、嘆賞しながら彼を憎んで」いました。

では、エーミールは「僕」をどういう人物と考えていたのでしょう

もしエーミールが「僕」の考える通りの嫌なやつなら、鑑定し値踏みをした後で難癖をつけたのは嫉妬からだったかも知れません。
あるいは「僕」の気持ちを考えずに自分の知識をひけらかしたかった、とも考えられます。

では、なぜ「僕」はエーミールにコムラサキを見せたのでしょう。
もしも「僕」がエーミールに親近感を覚えていたとするならば、
そしてエーミールもまた「僕」を友人だと感じていたのなら、話は違ってきます。

鑑定し値踏みした後の彼の話は、40円程度にしかならない理由の説明であり、
「今度はこういう所に気をつけたらいいよ」という不器用なアドバイスだったとも考えられます。

『ドラえもん』ののび太君は出来杉君に一方的に敵愾心を向けていますが、出来杉君はのび太君を友人と考えています。
またしずかちゃんをめぐっては「のび太くんにはかなわない」的な発言をしています。

「僕」とエーミールの関係は、のび太君と出来杉君の関係に似ていた、という解釈も可能なのです。

クジャクヤママユのエピソードでエーミールは、「僕」の犯罪を罰する気も、賠償を求める気もありません。
ひたすら「僕」のアイデンティティーを否定しただけです。

これを「僕」は「軽蔑」ととらえましたが、失望やそこからくる静かな怒りと考えることもできるかも知れません。

勝手な空想をせず、あくまでテキストに書かれた内容に対して、自分なりの解釈を加え書いていくことがポイントなのです。

生徒は知る必要のないことですが、ヘッセが父母の望みに従って神学校でまっとうな生活をした「もしも」の姿がエーミールだったとすると、自分自身を非難する「もう一人の自分」だったのでしょう。「もう一人の自分」なのですから、内心親和感を覚えていてもおかしくはありません。

そして「僕」はエーミールの側の人間に成長し「客」としてここにいるわけです。
もしエーミールが、未来の自分である「客」の姿を見たとしたら、エーミールは何と言うのでしょう。

母親の視点から物語を再構成する

エーミールに比べて、母親の登場場面はとても少ないものです。

母親の最初の台詞では、「僕」の賠償責任について言及していますが、罰する気はないようです。
これは、少年裁判の結果、教育的措置としての不処分に該当するものと考えられます。
  • お前の罪は罰しないよ。既に十分に反省し罰を受けているから。でも賠償責任は果たさなくてはね
というのが母親の考えでしょう。

母親の視点から書く場合は、

まず、この「僕」から告白され「おまえは、エーミールのところへ行かなければなりません」と言ったときの気持ちを説明します。

次に、まだ中庭にいる「僕」を見て「今日のうちでなければなりません」と言った時の気持ちです。
当然息子の姿を目にしているのですが、なぜ謝罪に行くことをためらっているか、母親はどの程度わかっていたのでしょうか。
これは、「僕」以上にエーミールが母親(大人たち)にどういう子供と考えられていたかによります。

次に「僕」が帰ってくるまで待つ気持ちです。
息子はエーミールに許してもらえたのか、自分のしたことをきちんと伝えられたのか、当然心配しながら待っていたことでしょう。

そして「僕」が帰ってきてから何も聞かずかまわずにおいた気持ちです。
「僕」の帰ってきた時の表情を見て、謝罪は受け入れられなかったことはわかったはずです。

最後に「僕」が食堂へ行ったのを見た気持ちを書きます。
息子は、なぜ寝室でなく食堂へ行ったのか、食堂で何をしようとしているか予測できたのか、予測したとしたらそれをどう思ったのか。
様々な解釈が成り立ちます。

この「母親」視点の物語は、書いた生徒の母親に対する願望が込められる可能性が高いですから、興味のあるところです。



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第5時間目 「僕」のちょうに対する気持ちを知る

この時間のねらいは「気持ちを表す叙述」を的確につかむことです。

この時の「僕」の気持ちは「あの熱情」に集約されます。
その内容は
  • 子供だけが感じ取ることのできる、あのなんともいえない、むさぼるような、うっとしした感じ
  • 捕らえる喜び
  • 緊張と歓喜
  • 微妙な喜びと、激しい欲望との入り混じった気持ち
と説明されています。そしてその行動は「まるで宝を探す人のよう」と比喩により説明しています。

「ひどく心を打ち込んでしまい~やめさせなければなるまい、と考えたほどだった。」は「心を打ち込む」以外は外部評価で、学校をサボったり食事に帰らなかったりするのは他者が「やめさせなければ」と考える根拠です。

「あの時味わった気持ち」の「あの時」とは「幼い日の無数の瞬間」です。
キアゲハや「焼け付くような昼下がり」「涼しい朝」「森の外れの夕方」が具体例です。

非常に詩的な表現が多いですが、「気持ち」を考える上で、確実に「気持ち」を述べた部分と、その気持ちを説明した部分をきちんと読み分けることは、文学的文章の記述問題にもつながるものがあると思います。

生徒はどんどん出してくると思います。これらを構造的に板書にまとめていきます。

最後に「では、次の時間は、こんなにして集めた自分のコレクションを壊してしまう原因になったエーミール君について考えてみよう」と告げ、授業を終わります。

第6時間目 エーミールの人物像を考える

「僕」視点の物語ですから、エーミールについてはあまり好意的に描かれていません。
これを「僕」と、もう一人の「僕」であるエーミールを対比的にとらえることにより、エーミールの人物像を正確に考えさせることがねらいです。

そこでまず「エーミールはどんな人物だと思う?」と素直な感想を述べさせます。
まあ、たいてい「嫌な奴」というような答えが返ってくると思います。

そこで「ではエーミールはどんな奴か、具体的にまとめてみよう。」と言って、教科書の叙述をあげさせます。

エーミールは「先生の息子」です。
「非の打ちどころがない」「模範少年」で、「僕」はこれを「悪徳」「子供としては二倍も気味悪い性質」と言い、「妬み、嘆賞しながら彼を憎んで」います。

「僕」が「立派な道具」をもっていないのと同様、エーミールのコレクションも「小さくて貧弱」ですが、「こぎれいなのと、手入れが正確な点」で「僕」も評価しています。

更に彼は破損した蝶の羽を修復する技術を持っています。
また蝶の標本の目利きもできるようです。

「僕」のコムラサキに20ペニヒ(約40円)という値をつけ、「展翅のしかたが悪い……」等の解説をしています。
「僕」は「足が二本欠けている」ことすら「たいしたものとは考え」ず、彼の指摘を「難癖」と言い「こっぴどい批評家」と言っています。
「僕」はエーミールがコムラサキの値踏みした後「しかし、それから、彼は難癖をつけ始め」たとしていますが、「難癖」の内容は、たった40円の価値しかないという判断の理由だったとも考えられます。

これらを生徒から自由に出させながら、「実像」と「僕の評価」とに分けて構造的に板書していきます。そして後半部が本時の山場です。

板書を眺め、「エーミールは実際どんな奴だったと思う?」と問います。
当然授業の最初に考えたものとは違ってくると思います。

「みんなの知っている誰に似ている?」とより具体的に考えさせると『ドラえもん』の出来杉君、という答えが返ってきます。
(出てこなければこちらから提示すると「あ~」という反応が返ってきます。)
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「『僕』はコムラサキを標本にしたとき得意がってエーミールに見せびらかそうとしたけど、エーミールは単純に『すごい』とは言わなかったのはなぜだろう。」と問います。
すると「あまり良い標本ではなかったから」と応えます。

「じゃぁ、『僕』は何が嬉しかったのかな?『自分の獲物に対する喜び』って、何だろう。エーミールとどこが違うんだろう。」と問いかけます。
すると生徒は「僕」は蝶を手に入れる行為そのものに価値を求めているのに対し、エーミールは結果を求めていることに気づきます。

「僕」がコムラサキをエーミールに見せたのは、家の近所だったからではなく、「僕」とは経済的にほぼ等しく、「僕」の気持ちを共有できる人物として選んだのです。
しかし二人の求めるものは違っていて、「僕」は純粋に行為を愉しむことを、エーミールは結果の良さを求めていることに気づかせます。

最後に
「蝶を手に入れる、という行為は、野生の蝶を捕まえることだけじゃなくても言えるよね。
次の時間は、いよいよエーミールの蝶をゲットしてしまう場面だ。
これが最後の場面で自分のコレクションを壊してしまうことにつながってくるんだね。」
と言って授業を終わります。


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第5時間目
 
盗みを犯した「僕」の心理変化をつかむ

この時間のねらいは、登場人物を取り巻く「状況」と登場人物の「心理」の相関の中で登場人物は「行動」している、ということを押さえることです。

文学的文章は、この三つの要因の中で「心理」を省くことにより、より読者を物語の内容に迫らせる(感情移入させる)という特徴があります。

そして「心理」は、テスト等で最も問われる内容でもあります。
ですから「心理」の変化は、それをもたらした要因である「状況」やその結果である「行動」を読み解くことによって理解できるということを教えるための時間です。

「二年後」とありますから、物語の「僕」は生徒たちとほぼ同じ中学一年生くらいの年齢です。
小学校で常軌を逸するレベルで熱中していたことをまだ続けていたのですから、ほとんど病的な状態でしょう。

  • 僕は「熱烈にほしがっていた」クジャクヤママユの話を聞いて、一目見るために隣家に侵入、特に見たいと渇望した「あの有名な斑点」に魅せられて窃盗行為をし、犯行を隠すためにとっさにとった行動が結局獲物を台無しにしてしまった。
という流れを「状況」とそれに伴う「心理」の変化、変化によってもたらされた「行動」をワークシートにまとめさせると良いでしょう。

これらを示している叙述を的確に抜き出しワークシート等に書かせます。
そして「心理」の部分に叙述がなかった場合は、生徒に言葉を考え補わせます。

ここで展翅板と展翅のしかたがよくわからないと、盗みをする前後の状況がよくつかめませんから、きちんと解説しておきましょう。
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展翅されているので羽の斑点は見えない

これを全体で発表し共有するので一時間かかります。

最後に「盗みをしたという気持ちより、自分がつぶしてしまった、美しい、珍しいちょうを見ているほうが、僕の心を苦しめた」という叙述から、「僕」がつらく思ったのは蝶の美を壊してしまったことであることを押さえます。

第6時間目 なぜちょうを指で粉々に押しつぶしてしまったのか考える

いよいよ単元の学習問題の解決編です。

「僕」は母親とエーミールに自分の犯行を告白しています。

では、その内容とはどのような内容だったのでしょう。これを生徒たちはあいまいに考えているようです。
その内容とは、母親の
  • 「自分でそう言わなくてはいけません」
の「そう言」った内容です。

これをおさえてから、「僕」は母親にどんな内容を打ち明けたのか、生徒に考えさせます。
年齢がほぼ等しいので結構リアルに発表できると思います。
  1. クジャクヤママユを見たくてエーミールの所へ行った。
  2. エーミールはいなかったが部屋に入った。
  3. 蝶を探したら展翅板にあった。
  4. 羽を見たらどうしても欲しくなってつい盗んでしまった。
  5. 下から誰か来る音がしたので、あわててポケットに入れた。
  6. これはいけないと思って返しに行ったが、クジャクヤママユは壊れていた。
こんな内容に違いありません。

これを聞いて母親は、次の内容を指示します。
  • 自分でそう言わなくてはいけません=上の1~6の内容をエーミールに直接言いなさい。
  • どれかをうめ合わせにより抜いてもらうように申し出るのです=自分の持ち物を損害賠償として自分のコレクションを差し出しなさい。
  • 許してもらうように頼まなければなりません=1及び2によって、許しを請いなさい。

これに対し「僕」は、何を「わかってくれないし、おそらく全然信じようともしないだろう」と考たのでしょう。

おそらく4「羽を見たらどうしても欲しくなって盗んでしまった」ことでしょう。これを疑った場合、「最初から盗むつもりで来たんじゃないか」と思われてもしかたがありません。

また5と6だった場合、「最初から嫉妬のために蝶を壊すつもりで来たんじゃないか」と思われることでしょう。

「僕」は、純粋にクジャクヤママユの美しさ故に自分のものにしたくなった……見るまでは欲しいとは思わなかった、という気持ちなど、エーミールには理解できないと考えたのです。
美に打たれて初めてそれを自分のものにしたいと願うアーティスト的な魂と、結果としての価値こそ大切なものであるというリアリスト的な魂とは、わかり合うことができないと「僕」にはわかっていたのです。

しかしついにエーミールの所に出かけます。
その時エーミールは、標本を壊したのは「悪いやつがやったのか、あるいは猫がやったのかわからない」と言っています。
そして「僕」はエーミールが必死に修復しようとした状況を目の当たりにします。

「僕」はそこで母親に話したのと同じように告白しますが、「君はそんなやつなんだな」と言われます。

「そんなやつ」とは、平気で盗みをするやつ、という意味でしょう。
盗みは犯罪です。しかし自分の欲求を満たすためなら簡単に犯罪を犯す人間、という意味でしょう。ししかし「僕」のしたことは、まさにこの通りなのです。

あるいは嫉妬のために他人の貴重品を平気で壊すやつ、という意味だったのかも知れません。
もし本当に蝶が欲しくて盗みをするのなら、蝶の扱いは自然に慎重になりますが、最初から壊すつもりなら躊躇しないでしょう。
もし盗むのが目的だったとしても、盗品の扱いが雑だということは、盗む(手に入れる)という行為自身に快楽を覚えていたことになります。
美の求道者とは、犯罪者の側面をもっているのかもしれませんね。

しかしこう思われることは「僕」には想定内でした。ですからまだキレていません。
「僕」は「そんなやつ」と言われる覚悟をしていたのです。

逆ギレしたのは、母の指示2に従い「僕のおもちゃをみんなやる」「自分のちょうの収集を全部やる」と賠償案を提示した時です。
  • 君の集めたやつはもう知っている=君のコレクションに価値はない
  • 君がちょうをどんなに取り扱っているのか、ということを見ることができた=コレクターとして失格である
この言葉は、自分が熱情を傾けてきたアイデンティティーを全否定するものです。このため「僕」は完全に逆ギレしそうになります。

しかし「僕」は、この二つの指摘に反駁することはできませんでした。「僕」は「一度起きたことは、もう償いのできないものだ」と悟って、エーミールのもとを立ち去ります。

「一度起きたこと」とは事実であり結果です。
蝶を手に入れるという行動に喜びを求めてきた「僕」ですが、行動には必ず結果が伴います。
その結果が誰かに不利益を及ぼした場合、それを賠償することは不可能である、と悟ったのです。
  • 誰も罰してくれないから、自分に罰を与えるため
  • 行動に喜びを求めた今までの自分を黒歴史としてなかったことにしようとした
等、「僕」が蝶のコレクションを壊した理由は、はっきりわかりません。
授業で扱った場合、拡散型の結論になるでしょう。

しかしこの追究の中で、生徒一人一人が最初に持った考えから、他の人の考えに触れて深化・変容する姿が「学び」の姿だと思います。

「一つ一つ取り出し、指で粉々に押しつぶし」た時の気持ちや、なぜ「押しつぶした」のではなく「押しつぶしてしまった」と言ったのか、細かな叙述にこだわって欲しいと思います。

ただ、「償うことはできない」と言っているので「罪の償いのために自分のコレクションを壊した」という解釈は誤りではないかと思います。
法律的にも「罰」は刑法上の制裁であり「償い」は民法上の賠償となりますから、一度犯した犯罪行為はいくら禁固刑や罰金刑が課せられたとしても罪を償ったことになるとは言えません

例えばコンビニで万引きしたチョコレートを食べてしまった場合、窃盗罪で逮捕され罰金10万円を払ったとしても、罰金は国庫に納められます。罰金とは別にコンビニにチョコレート代金と慰謝料を支払わなくては罪を償ったことにはならないのです。

最近も迷惑系ユーチューバーでも似たような事件がありましたね。彼は、お金を後払いすれば窃盗罪には問われず、しかも賠償責任はないと思っていたようです。生徒にはそんな人間にだけは絶対なってほしくありません。

「僕」は自分で自分を罰することはできても、罪を償うことは一生できないわけですから、人生をかけてちょう集めをやめることくらいしか自分の誠意を示せないのです。
まあ、母親が指示した賠償責任を果たすことができなかったので、せめて刑事罰を与えようとしたとも考えられます。
「僕」は中学1年程度ですから、ここまで考えたかどうかは怪しいですけどね。

しかし「罪」に対する「罰」と「賠償」の違いくらいは、生徒にきちんと教えたい内容だと思います。


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第3時間目 「僕」のちょうに対する気持ちを知る

この時間のねらいは「気持ちを表す叙述」を的確につかむことです。

この時の「僕」の気持ちは「あの熱情」に集約されます。
その内容は
  • 子供だけが感じ取ることのできる、あのなんともいえない、むさぼるような、うっとしした感じ
  • 捕らえる喜び
  • 緊張と歓喜
  • 微妙な喜びと、激しい欲望との入り混じった気持ち
と説明されています。
そしてその行動は「まるで宝を探す人のよう」と比喩により説明しています。

  • ひどく心を打ち込んでしまい~やめさせなければなるまい、と考えたほどだった。
は「心を打ち込む」以外は外部評価で、学校をサボったり食事に帰らなかったりするのは他者が「やめさせなければ」と考える根拠です。

  • あの時味わった気持ち
の「あの時」とは「幼い日の無数の瞬間」です。
キアゲハや「焼け付くような昼下がり」「涼しい朝」「森の外れの夕方」が具体例です。

非常に詩的な表現が多いですが、「気持ち」を考える上で、確実に「気持ち」を述べた部分と、その気持ちを説明した部分をきちんと読み分けることは、文学的文章の記述問題にもつながるものがあると思います。

生徒はどんどん出してくると思います。これらを構造的に板書にまとめていきます。

最後に
  • では、次の時間は、こんなにして集めた自分のコレクションを壊してしまう原因になったエーミール君について考えてみよう
と告げ、授業を終わります。

第4時間目 エーミールの人物像を考える

「僕」視点の物語ですから、エーミールについてはあまり好意的に描かれていません。
これを「僕」と、もう一人の「僕」であるエーミールを対比的にとらえることにより、エーミールの役割について考えさせることがねらいです。

そこでまず「エーミールはどんな人物だと思う?」と素直な感想を述べさせます。
まあ、たいてい「嫌な奴」というような答えが返ってくると思います。

そこで「ではエーミールはどんな奴か、具体的にまとめてみよう。」と言って、教科書の叙述をあげさせます。

エーミールは「先生の息子」で、「非の打ちどころがない」「模範少年」です。

「僕」はこの性格を「悪徳」で「子供としては二倍も気味悪い性質」と言い、「妬み、嘆賞しながら彼を憎んで」います。

「僕」が「立派な道具」をもっていないのと同様、エーミールのコレクションも「小さくて貧弱」ですが、「こぎれいなのと、手入れが正確な点」で「僕」も評価しています。
更に破損した蝶の羽を修復する技術を持っています。

蝶の標本の目利きもできるようです。
「僕」のコムラサキに20ペニヒ(約40円)という値をつけ、「展翅のしかたが悪い……」等の解説をしています。
「僕」は「足が二本欠けている」ことすら「たいしたものとは考え」ず、彼の指摘を「難癖」と言い「こっぴどい批評家」と言っています。

彼は値踏みして「しかし、それから、彼は難癖をつけ始め」たとしていますが、これはたった40円の価値しかないという理由の説明だったとも考えられます。
ちなみに現在、ネットオークションではコムラサキの標本は400~500円で取引されています。ですから「僕」の持ち込んだ標本は、足が二本欠けている等の欠陥がありますから、現在なら40円でも取引されるか怪しいところです。

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これらを生徒から自由に出させながら、「実像」と「僕の評価」とに分けて構造的に板書していきます。そして後半部が本時の山場です。

板書を眺め、「エーミールは実際どんな奴だったと思う?」と問います。
当然授業の最初に考えたものとは違ってくると思います。
「みんなの知っている誰に似ている?」とより具体的に考えさせると『ドラえもん』の出来杉君、という答えが返ってきます。
(出てこなければこちらから提示すると「あ~」という反応が返ってきます。)19300001365695131963215825378_950

  • 「僕」はコムラサキを標本にしたとき得意がってエーミールに見せびらかそうとしたけど、エーミールは単純に「すごい」とは言わなかった。「僕」の「自分の獲物に対する喜び」って、何だろう。「僕」の求めたものとエーミールの求めたものは、どこが違うんだろう。
と問いかけます。すこしわかりにくい問いかけですから、生徒の顔を見ながらわかりやすく説明してあげる必要があります。

すると生徒は
  • 「僕」は蝶よりも「手に入れる」行為に価値を求めているのに対し、エーミールは蝶そのものの価値を求めている。
ことに気づく生徒がいます。なかなか言葉にはできないと思いますから、指名しながら補ってあげるとよいでしょう。

「僕」がコムラサキをエーミールに見せたのは、家が近所だったからばかりでなく、「僕」とは経済的にほぼ同等で、「僕」は気持ちを共有できる人物と考えたからなのですが、二人が蝶に対して求めていたものはまったく違っていたことに気づかせます。

  • 「僕」が蝶を手に入れたい、というのは、珍しい蝶が欲しいんじゃなくて、「手に入れたい」という気持ちが大事なんだね。次の時間は、いよいよエーミールの蝶をゲットしてしまう場面だ。これが自分のコレクションを壊してしまうことにつながってくるんだね。
と言って授業を終わります。


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この教材は7時間扱いで、次の指導を行うことになっています。

  • ウ 場面の展開や登場人物などの描写に注意して読み、内容の理解に役立てること
  • エ 文章の構成や展開、表現の特徴について、自分の考えをもつこと。
  • オ 文章に表れているものの見方や考え方をとらえ、自分のものの見方や考え方を広くすること。
更に「別の人物の視点で書こう」で2時間プラスされます。

「別の人物」は、このテキストではエーミールと母親しかいません。ですからこの二人のどちらかを選んで書くことになります。

後に評価の観点を述べますが、それより先に「僕」の視点という色眼鏡を廃した「僕」の実像を知っておかなくては、別の視点をもつことはできません

まず「僕」の視点から描かれた物語を知ることから始めます。

第1時間目 通読 読後感想から単元を通しての追求課題をもつ

1時間目は、単元を通しての学習のねらいを持つことです。
そのためにまず最初から最後まで教師が範読し、感想を書かせます。
感想の中から
  • なぜ最後に「ちょうを一つ一つ取り出し、指で粉々に押しつぶしてしまった」のか
という疑問が生まれるように、展開していきます。

まあ、この学習問題は、特に何もしなくても必ず生徒から出てくるものだと思います。

この疑問が出やすくなるように、場面が目に浮かぶように、難語句の意味を補いながらゆっくり範読していきます。

第2時間目 プロローグから、いつ・どこをつかみ、主人公はどういう人間だったか知る

「なぜ最後に『ちょうを一つ一つ取り出し、指で粉々に押しつぶしてしまった』のか」を知るためには、どういう物語か知ること、そのために「いつ・どこ・だれ」をはっきりさせる必要があることを告げます。
これまでの文学的文章教材の多くは、戦争教材以外、生徒の身近にありそうな話でした。そこで、そういった先入観を壊し、テキストに忠実に読む態度を培うのが本時の目的です。

「いつ」は、一日の中のいつか、一年の中のどの季節か、いつの時代か、の三つを明らかにします。

「いつ・どこ・だれ」がわかる箇所をプロローグの中から探し、傍線を引かせ、考えさせます。

いつ

「いつ」は、夕方から日没頃まで、蛙が啼いていますから季節は初夏です。
ランプを日常的に用いていますから、日本で言えば明治時代の話だと言うことがわかります。
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どこ

「どこ」は、北海道よりずっと北に位置するヨーロッパの高緯度地方です。

「末の男の子が『おやすみ』を言った」時間は日没直後です。
日没までに夕食を済ませ日の入りと共に寝てしまうと言うのは中世までの生活習慣で、近代以降ではありません。つまり、いくら小さな子どもだといっても、日没とともに「おやすみ」を言うはずはないのです。
しかし日没が午後9時頃だったら話は違います。北欧では初夏の日没は午後9時頃で、ここから高緯度地方ということがわかります。
登場人物の名前から考えてヨーロッパ文化圏でしょう。

だれ

「だれ」は「私」と「客(友人)」です。
二人は喫煙していますから成人しています。また「私」には数人の子供がいて、下の子供をきっかけに「幼い日の思い出」が語られることから、その子供は、おそらく小学生程度でしょう。

とすると「私」は30歳以上と考えても良いと思います。自然に「客」も同じくらいの年齢と考えられます。

「私」も「客」も幼年時代「ちょう集め」をしていました。
標本を「ピンの付いたまま箱の中から用心深く取り出し、羽の裏側を見た」とありますから、客は標本を扱い慣れていることがわかります。

そして「客」は「熱情的な収集家」であり「自分でその思い出をけがしてしまった」と言っています。
これが良い思い出ではないことは「不愉快」そうに見える態度や「もう結構」と早口で言った口調からもわかります。

この「その思い出」が次段落以降で語られる物語の内容です。

ここまででだいたい、授業の前半が終わると思います。

「では、ここから『客=友人』の話が始まるわけです。ですからプロローグの『客=友人』は『僕』になります。」と押さえます。

こんなことは言わなくてもわかると思いますが、中には混乱する生徒もいますから、一応押さえておきます。

回想部分の最初の段落を読み
  • 「八つか九つのとき」とあるから、最初の部分からたぶん20年くらい前の話だね。当時のこの国の教育制度は日本と同じじゃないけど、日本で言えば小学校の中学年くらいかな?翌年「十歳ぐらいになった」とあるから小学校4~5年生だね。
と言い、ちょう集めに対する「僕」の気持ちがわかる所に線をひかせて授業を終えます。


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作品は作者の自己投影?

『少年の日の思い出』(Jugendgedenken)は、もともとヘルマン・ヘッセが1911年に発表した『クジャクヤママユ』(Das Nachtpfauenauge)を、地元の新聞向けに1931年に改稿したものです。
この年に留学中の独文学者・高橋健二氏がスイスにてヘッセを訪問した折、帰り際に道中の無聊を慰めるようにと、ヘッセから同紙の切り抜きを手渡されました。
帰国後それを翻訳して日本で発表したものが『少年の日の思い出』ということです。

この文章は1947年の国定教科書『中学国語』に掲載されて以来、70年以上も多くの教科書に掲載され続け、義務教育課程で中学一年生にトラウマを植え続けることになりました。

主人公の「僕」より知名度の高いエーミールの「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」というセリフがクラスの流行語になることだってあります。

「なんでこんな暗い作品が……」と思いますが、こんな作品だからこそ教材研究や授業のしがいがあるというものでしょう。(笑)

それはさておき、最近のラノベやケータイ小説にはチートキャラの主人公がよく登場します。
これは作者の願望の姿であり、自己投影で、主人公のキャラクターに作者自身を重ね合わせカタルシスを得ている、というのです。

自己投影は別に最近のラノベに限ったことではありません。
夏目漱石だって、森鴎外だって、作家というものは登場人物に自分自身を投影させています。これは、少し小説を読んでみればわかることだと思います。

「少年の日の思い出」も同じだと思います。
この物語で、主人公は強烈なトラウマを持ちます。登場人物が作者ヘルマン・ヘッセの自己投影ならば、このようなトラウマは、作者であるヘッセにもあったのではないでしょうか。

作者の経歴

そこでヘッセの経歴を調べてみました。
ダウンロード
ヘルマン・ヘッセ
ヘルマン・ヘッセは1877年に、敬虔なプロテスタントの家に生まれ育った宣教師の父母の二番目の子供として生まれます。父親は言語学者として、また学校の創設者として有名な人でした。

ヘッセもまた宣教師になるべく、1891年にプロテスタント修道院神学校の神学校生となります。

翌年、規則づくめの学校に耐えきれず「詩人になるか、さもなければ何にも」ならないとの決意し逃げ出します。しかし、すぐに捕まり両親の友人の神学者に預けられますが、そこで自殺未遂をします。

友人の神学者はこれを「悪意と悪魔的行為」として、ヘッセを精神病院に入れることを両親に薦めました。ヘッセは結局、施設に送られて4ヶ月過ごします。診断は鬱病だったそうです。

退院した彼は、また学校へ行き始めますが、すぐにやめてしまいます。14~15歳のことです。

「少年の日の思い出」に投影された作者

ヘッセの経歴と「少年の日の思い出」には、次のような共通点があります。
  • ヘッセもエーミールも共に「先生の息子」である。
  • ヘッセの神学校を逃げ出す姿は、「僕」の学校をサボる姿と重なる。
  • 「僕」のしたことは「悪意と悪魔的行為」としてによりエーミールに裁かれる。
現在残るヘッセの書斎には、彼が採集した昆虫標本のコレクション箱が飾ってあるそうです。

その中に羽根が片方とれたクジャクヤママユの標本があるそうです。
(これはいくつかの中学生用資料集にも載っていますね。)
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作品では、壊れたクジャクヤママユの標本をもっているのはエーミールです。

「僕」が作者の投影された姿であることは容易に想像がつきます。
一方エーミールもまた、壊れたクジャクヤママユの標本を持っていることから、作者の投影された姿だったのではないでしょうか。

「僕」が詩人をめざした作者の投影だったとすると、エーミールは父母の期待に応えようとした「もう一人の『僕』」だったのではないでしょうか。

蝶の美を求め続けた芸術家の「僕」社会正義のエージェントであるエーミールは、共にヘッセの投影だとします。
すると、プロローグの「客=友人=『僕』」は、あの時詩人への道をあきらめてしまったヘッセの「もしも」の姿だったというのは、考えすぎでしょうか。

「客」はもうちょう集めをやめてしまっていますが、ヘッセも、自分があの時、詩作をやめてしまっていたら、今でも心が痛むだろうな、と思ってこの作品を書いたのではないかと思えてなりません。

この解釈をもとに、物語を「別の人物の視点で書こう」というのを本単元のねらいとします。

この「別の人物の視点で」が更に発展して、2年生の「走れメロス」の批判的な読解につながっていくのだと思います。

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第4~5時 「幻の魚は生きていた」で何を考えるか

14段落以降は、結論にあたる筆者の意見です。

筆者は14段落で
  • この西湖でクニマスがこれからも生き続けるためには、どうすればよいのだろう
と問いかけ、次の15段落で
  • 一つには、産卵場所も含めた湖全体の環境を守ることが必要だ。~かつての田沢湖でのように、人と生き物とがつながり合った関係を維持すること、それがクニマスの保全にもつながるのだ。
とし、クニマスの「里帰り」に触れた上で、16段落では
  • クニマスの里帰りは容易ではない~現実を踏まえ、少しずつ歩いていかなければならない
と結んでいます。

これらはすぐに読み取ることができると思います。

「いかにも、その通り」という内容です。
しかしだからといって、簡単に「賛成」してしまっていいのでしょうか。

「西湖でクニマスがこれからも生き続けるために」は解決済み

筆者は
  • 産卵場所も含めた湖全体の環境を守ること
  • クニマスだけを過度に保護するのではなく、ヒメマスなどの他の生き物と、それらの生き物から生活のかてを得ている私たち人間とが、バランスを保って共存していくこと
が大切であると述べています。

これはその通りです。
しかもこれは西湖に限って言えば実現されていることです。

西湖は富士五湖の一つで、「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の「富士山域」の一部として世界文化遺産の構成要素に含まれています。
ですから「人と生き物とがつながり合った関係を維持すること」は、日本が世界文化遺産を辞退しない限り可能でしょう。
3-15
「西湖で」という条件がつけられれば、
「絶対に実現可能である」という見通しを簡単に持つことができます。

しかし、だからと言って、西湖以外の場所ではうまく行かないのが現実なのです。

例えば、有明海に面した諫早湾の干拓とか、沖縄辺野古埋め立てなど、
日本全国、簡単に解決できないところが山ほどあります。
むしろ、西湖の場合は非常に恵まれた、例外的なものだと思います。

「自然保護は大切」というのは簡単です。
しかし、いくら「大切だ」とわかっていても、うまくいかないのが現実なのです。

現実は、自然や文化だけでなく、政治や経済、歴史の問題が複雑に絡み合っているのです。
そのことを忘れてはいけません。

私は自然保護に反対するわけではありませんが、
みなさんには、筆者の言うことをそのまま受け入れるのではなく、
それを一つの知識として、自分の頭でしっかり考える姿勢を持ってほしいと思います。

西湖にとってクニマスは外来種

もう一つの問題点は、
西湖にとってクニマスは、もともといない魚でした。

テキストにあるように、人為的に西湖に持ち込まれた外来種に過ぎないということです。

外来種といえば、ブラックバスやブルーギルが有名ですね。
ブラックバス
ブラックバス
ブラックバスやブルーギルの場合、
  • 口に入る大きさの在来の小魚、昆虫、エビなどを食べてしまう。
  • 稚魚は、在来魚が食べるミジンコなどのプランクトンを食べるため、餌の奪い合いになってしまう。
  • 漁師の漁獲対象の魚(ワカサギなど)を食べてしまう。
  • ブラックバスのひれには、鋭いとげがあり、刺さると危ない。
などの問題点があります。

だからブラックバスとブルーギルがいる場所では、
小型の魚は食べられてしまい、大きなコイやフナしか生き残ることができません。

しかし、外来種のすべてがいけないというわけではありません。
地域の自然環境などに大きな影響を与える場合が問題なのです。

クニマスは本当に西湖の在来種に影響を与えたのでしょうか、与えなかったのでしょうか。
決して在来種には影響を与えないという確証を得てから持ち込んだのでしょうか。

「クニマスは絶滅したと思われていたから外来種であっても良い」というのは人間の勝手な理屈です。
「クニマスは外来種であっても外国産のものではないので良い」と言えるでしょうか。

突き詰めると、人為的に他の地域に生物を持ち込むことの善し悪しが問われてしまいます。

「クニマスの里帰りは容易ではない」はあたりまえ

テキストには「田沢湖の水はまだ酸性であり、クニマスのすめる環境ではない」とあります。
そして「元にもどすには、気の遠くなるような時間と労力が必要」であり
「現実を踏まえ、少しずつ歩いていかなければならない」と書かれています。

「西湖でクニマスがこれからも生き続けるために」と同じように、「クニマスの里帰りは容易ではない」のは疑問の余地がないことです。

筆者の「現実をふまえ」とは、どういうことを言っているのでしょうか。

田沢湖の現実とは何でしょう。
テキストに以下のように書いてあります。
  • 一九三四年、東北地方を大凶作が襲うと、食糧の増産が人々にとって切実な課題となった。そこで、玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、それを農業用水として使うこと、また、電力の供給を増やすため、湖の水を水力発電に利用することが計画された。
玉川は上流に強酸性の玉川温泉があり、そのため、昔から魚が住めない「玉川毒水」と呼ばれていました。そのため農業用水はもちろん生活用水にも適さず、橋などにも被害を与え、水量は豊富でしたが流域の開発が遅れていました。昔から様々な除毒対策が繰り返されてきましたが、平成元年10月に完成した玉川中和処理施設の完成によって約150年間に及ぶ毒水排除の夢が実現しました。(玉川温泉参照)
玉川温泉
玉川温泉
玉川温泉は、今でも毎分9,000リットルの湧出量を誇る、強酸性の温泉です。

小さなコップに、水が入っているとします。
そのコップに塩水を入れ続けていたら、コップの水はどうなるでしょう。

最初、塩水は薄まりますが、真水を入れずに塩水だけを入れ続けたら、
コップの水は、いつのまにか塩水になってしまいます。

小さな子どもでもわかる理屈ですね。

同じように、地下から無限に、大量に湧き出てくる強酸性の水(お湯)を、
小さな田沢湖に流し込んだとして、

酸性を本当に薄めることができるでしょうか。

数年は薄めることができたとしても、
これからもずっと薄め続けることができるでしょうか。

そんなこと、できるはずはありません。

玉川の酸性水を湖に入れれば、魚は死ぬと漁師たちは分かっていました。
そして農民たちも、玉川毒水を入れた水は農業には使えなくなるとわかっていました。
(実際、田沢湖から引いた農業用水は、数年で使えなくなったそうです。)

「玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、それを農業用水として使う」のは、
常識から考えて到底無理なことだったのです。
「玉川の水を田沢湖に引き入れ」ることの本当の目的は
田沢湖をダム湖とし「電力の供給を増やす」ことだったのではないかと思います。

1940年に運用が開始され生保内発電所は、田沢湖をダム湖とした水力発電所です。
現在、最大出力31,500kWで、秋田県内最大の出力を誇っています。
obonai生保内発電所
東北地方を大凶作が襲ったという1934年といえば昭和9年。戦争の足音が聞こえてきた時代です。
そして1940年といえば、太平洋戦争が始まる前の年です。

ボーキサイトから航空機の材料となるジュラルミンを作るためには、電力がたくさん必要でした。
この電力を確保するための一つとして、田沢湖ダムが造られたのではないかと思います。
(本当かどうかは、わかりませんよ。)

「食糧増産と経済発展が最優先された時代です。反対の声はかき消されたのでしょう。(「クニマスの地元・田沢湖、深い喜び 70年ぶり再発見」朝日新聞 2010.12.15)

結局、1940年(昭和15)に玉川の水は田沢湖に引き入れられました。
田沢湖がどんなに大きな湖であったとしても、無限に流れ込む玉川の酸性の水を薄めることなどできるはずがありません。
案の定、農業用水としては数年で使いものにならなくなりました。

こうなることは、当時の田沢湖周辺の人々も十分わかっていたと思います。
しかし、国を挙げて戦争につき進む中、国策に反対することはできなかったというのが実情だったのではないかと思います。

平和な時代に生きているわたしたちは、簡単に「反対の声をあげればいい」と言うかも知れません。
しかし、昭和9年という時代に、漁業権を主張して田沢湖をダム湖とするのに反対する運動を、果たしてできたでしょうか。
もし私たちが当時そこに暮らしていたとして、反対の声をあげることができたと自信を持って言えるでしょうか。

当時の人のことを考えると、「自然を壊さないように気をつければよかった」と簡単に言うことはできないと思います。

では現在、田沢湖に対して私たちはどうすればよいのでしょうか。

水力発電が見直され、電力不足が話題となる現在、田沢湖に流入する水を止め、田沢湖発電所と生保内発電所の運用を停止させることができるでしょうか。

現在玉川中和処理施設が稼働していますが、クニマスが棲める状態にまでphを回復させることはできないようです。
これ以上の効果を出すためには更に強力な施設が必要です。
そのためには膨大な資金が必要であり、それに見合うだけの効果がなくては予算はつかないでしょう。

ましてや現在は、東北大震災や台風災害の復興や、未曾有のコロナ禍で、
ただでさえ予算が足りない時代です。

そして使われるのは私たちの税金です。
果たして田沢湖の回復のために予算をつぎ込むのことはできるでしょうか。

そして現在、田沢湖には現在の湖に適合した生物たちがすんでいます。
もし田沢湖が昭和9年以前の状態に戻ったとして、
現在の田沢湖の環境に適合し生息している生態系は滅びてしまうかもしれません。
それでもいいのでしょうか。

これらのことを、筆者はとても上手に表現しています。
誰が読んでも「間違いである」とは言えない文章です。

しかし、この14段落以降の内容を、
少しでもふくらめて自分の意見を書こうとすると、
実現不可能な「お題目」や、現実をともなわない「夢物語」になってしまいます。

この文章をもとに、「自分の考えを書け」という課題がもし出されたとしたら、
制限字数に収まるように、
  • 自然を保護することは大切なことである。
  • しかし、それはとても難しいことだ。
  • どうしたらいいかは、人々の英知を結集し、考え抜いた上で進めていかなくてはならない。
くらいに書いておくことをお勧めします。


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第3時 黒いマス=クニマスの証明


9段落に「新たな展開があった」とありますが、
ウィキベディアによると、「新たな展開」とは、次のようなことです。
  • 2010年、山梨県の西湖にて生存個体が発見された。きっかけは、京都大学の中坊徹次がタレント・イラストレーターで東京海洋大学客員准教授のさかなクンにクニマスのイラスト執筆を依頼したことであった。さかなクンはイラストの参考のために日本全国から近縁種の「ヒメマス」を取り寄せた。このとき、西湖から届いたものの中にクニマスに似た特徴をもつ個体があったため、さかなクンは中坊に「クニマスではないか」としてこの個体を見せ、中坊の研究グループは解剖や遺伝子解析を行なった。その結果、西湖の個体はクニマスであることが判明したとし、根拠となる学術論文の出版を待たずして、12月14日夕方にマスコミを通して公式に発表された。
ダウンロード (1)

9段落には「地元の人の話では、ヒメマスの中にも黒いものがいるという」とあります。
同じく、これについては、次のように書かれています。
  • 西湖の漁師には、この発見以前から「クロマス」と呼ばれて存在自体は知られていたが、「ヒメマスの黒い変種」程度にしか認識されていなかった。このため、西湖周辺では普通に漁獲されていたほか、一般の釣り客も10尾に1尾程度の割合で比較的簡単に釣り上げており、2010年以前にも「西湖でクニマスを釣り上げた」と再発見説を唱える者がいたという。産卵を前にして黒くなったヒメマスは不味であるとされることから、「クロマス」は釣れてもリリースされることが多かったというが、当然ながら「クロマス」を食する者もおり、伝承どおり、塩焼きにしてもフライにしても美味であったと語られている。
筆者の言う「黒いマス」というのは、さかなクンが見せたクロマスのことでしょう。
クロマスは「クニマス探しの運動」の時にはクニマスではない、と判定されていました。
当時の分析技術ではしかたがなかったとも言われています。

筆者は「クニマス」「クロマス」「ヒメマス」と、似たような言葉が並ぶのを避けるためにクロマスをあえて「黒いマス」と言い換えたのかも知れません。

そして10段落以降は、黒いマス=クニマスの証明となります。

筆者の論の展開は、次のようなものです。
  • 「黒いマス」はヒメマスではない。産卵の時期と産卵する水深が違う。黒いマス=ヒメマスというのは「疑問である」(10段落)
  • 「産卵時期と場所はほぼ一致する」ため「黒いマスはもしかしたらクニマスかも知れない」(11段落)
  • 「(えらと消化器官が)全てクニマスの特徴と一致した」「遺伝子の解析を行い、黒いマスはヒメマスとは別の魚」(12段落)
「黒いマス」「クニマス」「ヒメマス」と似たような言葉が次々と出てくるため、何を言っているのかわからなくなるかもしれません。
そんなときは、「黒いマス」に傍線を引き、線でつないだり、
「黒いマス」「クニマス」「ヒメマス」を表にまとめてみたりして、
きちんと押さえておきましょう。

表の空欄を埋めるテストとして出題されるかも知れませんね。

しかし、筆者が言うことをそのまま鵜呑みにしてはいけません。

筆者は、クロマス(黒いマス)=クニマス と断定していますが、
反論はできないでしょうか。

ポイントは「遺伝子的には黒いマス=クニマスと証明されていない」点です。
クニマスの遺伝子は現存していないから確かめようがありませんでした。

ですから、黒いマスはクニマスやヒメマスの亜種かも知れないし、今まで知られていなかった新種だったという可能性もあります。

ウィキベディアによると、筆者はきちんした学術論文にする前にマスコミに公表してしまったようですね。

この13段落までで、問題提起文の答えはすべて出そろってしまいました。
では次の14段落からは何が書いてあるのでしょう。


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第2時 問題提起2の答えにあたる文を見つける

問題提起文2は「クニマスが、なぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろう。」です。

この答えは、どこに書いてあるのでしょう。

問題提起文1の答えは6段落にありましたから、
問題提起文2の答えにあたる文は、7段落以降にあります。

第12段落以降にありそうですね。
  • この黒いマスはクニマスであった。(12段落)
  • 「幻の魚」は生きていたのだ。(12段落)
  • こうした偶然の一致によって、田沢湖で絶滅したクニマスは、遠く離れた湖底で脈々と命をつないでいたのだ(13段落)
どれも、答えっぽいですが、正解はどれでしょう。
正解のポイントは、
  • 問題提起文と対応しているか
です。

そう考えると、13段落の文が問題提起文と対応していることがわかります。
  • クニマスがなぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろう。
  • こうした偶然の一致によって田沢湖で絶滅したクニマスは遠く離れた湖底で脈々と命をつないでいたのだ。
ダウンロード西湖

「偶然の一致」とは何か

こう聞かれたら、どこを見ればよいのでしょう。

文章の内容を考えるのは失敗のもとです。
目をつけなくてはいけない言葉は、「こうした偶然の一致」の「こうした」です。

つまり「こうした」により指示される内容を的確に答えればよいわけです。

「こうした」に近いものから順にあげると次のようになります。
  • ↓ 偶然の一致
  • ↓ クニマスが産卵して生存できる条件を備えていた
  • ↓ 田沢湖も西湖も、クニマスの産卵場所の周囲の水温は、四度だった
  • 田沢湖と西湖には共通点があった
ですから「『偶然の一致』とは何か」と問われたら、
解答の条件に応じて近い順から答えていく必要があります。



ちなみに、筆者は「命をつなぐ」と言っています。

筆者は、一匹のクニマスが生まれてから死ぬまでの、一匹の生命について言っているのではありません。
クニマスが、種として子孫を残していくことを「命をつなぐ」と言っているのです。

この13段落には筆者の意図的にミスリードをしています。

それは水深です。

田沢湖の水深と西湖の水深が異なることは、テキストの通りです。
そこで「どうして浅い西湖で命をつないでいけたのだろう」と筆者は問題提起をしています。

田沢湖と西湖の水深が異なることは、放流する以前からわかりきっていたことです。
水深が違うとクニマスが生息できないことがわかっているのなら、
最初から西湖に放流するはずがありません。

水深と産卵とは、クニマスの場合は最初から無関係なことだったのではないでしょうか。

ですから、数字に惑わされて
クニマスが西湖で生き延びてきた理由を間違えてしまわないようにしましょう。

温度さえ同じなら、クニマスはどこにでも産卵できるのですね。

以上の内容は13段落にすべて書いてあります。

黒いマス=クニマスの証明

7段落の最初に「そのクニマスが、遠く離れた西湖で見つかった」とあります。
8段落は、クニマスが絶滅したと言われてから、クニマス探しが行われたことを述べています。
そして9段落以降が「西湖で捕れたという黒いマス」はクニマスであることの説明です。

次の時間は、黒いマスがクニマスであると、どのように証明しているのだろうか読み取ってみましょう。


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「幻の魚は生きていた」は5時間扱いの単元です。
指導事項は、
B書くこと
  • ウ 伝えたい事実や事柄について、自分の考えや気持ちを根拠を明確にして書くこと。
C読むこと
  • イ 文章の中心的な部分と付加的な部分、事実と意見などとを読み分け、目的や必要に応じて要約したり要旨をとらえたりすること。
  • オ 文章に表れているものの見方や考え方をとらえ、自分のものの見方や考え方を広くすること。
となっています。

国語の授業は、
自然保護の大切さ等を考える道徳の授業や、
魚の生態等を調べる理科の授業とは違います。

国語では、なにを学習したらよいのでしょう。
imagesクニマス

第1時 問題提起文の答えにあたる文の見つけ方

2段落まで読むと、
疑問の形になっている文が二つあります。
  1. クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう。
  2. また、絶滅したと思われていたクニマスが、なぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろうか。
筆者は、京都大学の先生です。
この問いの答えがわからなくて、読者に聞いているわけがありません。
読者に問いかけることによって、読者を文章に引き込むための文です。
これを問題提起文と言います。

問題提起文には答えにあたる部分が必ずあります。
それはどこにあるのでしょう。
これを、より速く、より正確に見つけることが、国語では大切なことです。

まず最初の問題提起文「クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう」の答えにあたる部分を探してみましょう。

6段落にあります。
6段落は次の二文で出来ています。
  1. こうしてクニマスは、人の手による環境の改変によって、他の多くの生物と共に田沢湖から姿を消した。
  2. そして、地元の人々の生活に根ざしていたクニマスをめぐる文化も同時に消えていった。

答えは、1.の文ですね。

なぜ1.が答えにあたる文でしょう。
  • クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう。(問題提起文1)
  • こうしてクニマスは人の手による環境の改変によって、他の多くの生物と共に田沢湖から姿を消した。(6段落第1文)
問題提起文1と、6段落第1文とを比べてみましょう。
二つの文では、共に「クニマスは」とあります。
更に、「田沢湖で絶滅した」と「田沢湖から姿を消した」が対応しています。

そして問題提起文の「なぜ」に対応する部分が「人の手による環境の改変によって」です。

問題提起文1の答えは「人の手による環境の改変」だということがわかります。

では「人の手による環境の改変」とは、どのような中身でしょう。

これは「こうして」が指示している内容です。

「人の手による環境の改変」とは、
「こうして」の近い順にみてみましょう。

「玉川の水は田沢湖に引き入れられた」ことであり、
その結果「酸性の水はクニマスをはじめとする田沢湖の生物に打撃を与え」たためです。

そしてこの目的は「農業用水」の確保と「水力発電に利用」することです。

もし「人の手による環境の改変とは何か」とテストなどで問われた場合は、
特に指定がない場合は「こうして」に近い順に答えなくてはいけません。



ちなみに、第6段落第二文の「クニマスをめぐる文化」って何でしょう。

答えは第3段落にあります。

「出産祝いや、病気見舞い、誕生日祝いに贈られる」「地元の民話にも登場」です。
たつこ姫
田沢湖にたつ、クニマスとゆかりの深い「たつこ姫」の像

「文化」とは「ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式」全般を言うようです。
ですから出産祝いや病気見舞いも文化なら、民話もカルチャー(文化)なのです。

「アニメ文化」と言いますが、「アニメ文明」とは言いません。
文化は精神的な活動なのです。
(一方、文明は物質的な活動を主に指すような気がします。)

次の時間は、問題提起文2について考えてみましょう。


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