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7時間目以降「別の人物の視点で書こう」
「別の人物」とは、この物語の場合エーミールと母親の二人です。
この時のポイントは、テキストに書かれている事実を絶対に見落とさない、ということです。
彼らは主人公ではありませんから、その心理についてはまったく述べられてはいません。
そのため、自分の想像で物語を膨らめる余地があります。
しかし、自分の想像部分を膨らませるあまり、テキストに書かれてある事実を無視してしまっては、まったく異なる物語を創作してしまったことになります。
そうなると、単に登場人物の名前だけ同じで、テキストとは関係ない話となりますので、今までの読解の授業が生かされません。
今までの細かな読解から、その登場人物が、当然そう思い、感じているだろうことを忠実に書き起こすことが「別の人物の視点で」という意味だと思います。
エーミールの視点から物語を再構成する
エーミールの視点から物語を再構成する場合、落としてはいけない点は以下のものがあります。
小学校4~5年生くらいのエーミールは「僕」にコムラサキを見せます。- コムラサキを見せられたとき、エーミールはどう思ったか。
- 「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」は、どんな気持ちで言ったのか。
- 「結構だよ~」の台詞を聞いて顔色が変わった「僕」を見て、どう思ったか
- その後どうなったか
「僕」は彼を「気味悪い性質」と言い「妬み、嘆賞しながら彼を憎んで」いました。
では、エーミールは「僕」をどういう人物と考えていたのでしょう。
もしエーミールが「僕」の考える通りの嫌なやつなら、鑑定し値踏みをした後で難癖をつけたのは嫉妬からだったかも知れません。
あるいは「僕」の気持ちを考えずに自分の知識をひけらかしたかった、とも考えられます。
では、なぜ「僕」はエーミールにコムラサキを見せたのでしょう。
もしも「僕」がエーミールに親近感を覚えていたとするならば、
そしてエーミールもまた「僕」を友人だと感じていたのなら、話は違ってきます。
鑑定し値踏みした後の彼の話は、40円程度にしかならない理由の説明であり、
「今度はこういう所に気をつけたらいいよ」という不器用なアドバイスだったとも考えられます。
『ドラえもん』ののび太君は出来杉君に一方的に敵愾心を向けていますが、出来杉君はのび太君を友人と考えています。
またしずかちゃんをめぐっては「のび太くんにはかなわない」的な発言をしています。
「僕」とエーミールの関係は、のび太君と出来杉君の関係に似ていた、という解釈も可能なのです。
クジャクヤママユのエピソードでエーミールは、「僕」の犯罪を罰する気も、賠償を求める気もありません。
ひたすら「僕」のアイデンティティーを否定しただけです。
これを「僕」は「軽蔑」ととらえましたが、失望やそこからくる静かな怒りと考えることもできるかも知れません。
勝手な空想をせず、あくまでテキストに書かれた内容に対して、自分なりの解釈を加え書いていくことがポイントなのです。
生徒は知る必要のないことですが、ヘッセが父母の望みに従って神学校でまっとうな生活をした「もしも」の姿がエーミールだったとすると、自分自身を非難する「もう一人の自分」だったのでしょう。「もう一人の自分」なのですから、内心親和感を覚えていてもおかしくはありません。
そして「僕」はエーミールの側の人間に成長し「客」としてここにいるわけです。
もしエーミールが、未来の自分である「客」の姿を見たとしたら、エーミールは何と言うのでしょう。
そして「僕」はエーミールの側の人間に成長し「客」としてここにいるわけです。
もしエーミールが、未来の自分である「客」の姿を見たとしたら、エーミールは何と言うのでしょう。
母親の視点から物語を再構成する
エーミールに比べて、母親の登場場面はとても少ないものです。
母親の最初の台詞では、「僕」の賠償責任について言及していますが、罰する気はないようです。
母親の最初の台詞では、「僕」の賠償責任について言及していますが、罰する気はないようです。
これは、少年裁判の結果、教育的措置としての不処分に該当するものと考えられます。
- お前の罪は罰しないよ。既に十分に反省し罰を受けているから。でも賠償責任は果たさなくてはね
というのが母親の考えでしょう。
母親の視点から書く場合は、
まず、この「僕」から告白され「おまえは、エーミールのところへ行かなければなりません」と言ったときの気持ちを説明します。
母親の視点から書く場合は、
まず、この「僕」から告白され「おまえは、エーミールのところへ行かなければなりません」と言ったときの気持ちを説明します。
次に、まだ中庭にいる「僕」を見て「今日のうちでなければなりません」と言った時の気持ちです。
当然息子の姿を目にしているのですが、なぜ謝罪に行くことをためらっているか、母親はどの程度わかっていたのでしょうか。
これは、「僕」以上にエーミールが母親(大人たち)にどういう子供と考えられていたかによります。
当然息子の姿を目にしているのですが、なぜ謝罪に行くことをためらっているか、母親はどの程度わかっていたのでしょうか。
これは、「僕」以上にエーミールが母親(大人たち)にどういう子供と考えられていたかによります。
次に「僕」が帰ってくるまで待つ気持ちです。
息子はエーミールに許してもらえたのか、自分のしたことをきちんと伝えられたのか、当然心配しながら待っていたことでしょう。
息子はエーミールに許してもらえたのか、自分のしたことをきちんと伝えられたのか、当然心配しながら待っていたことでしょう。
そして「僕」が帰ってきてから何も聞かずかまわずにおいた気持ちです。
「僕」の帰ってきた時の表情を見て、謝罪は受け入れられなかったことはわかったはずです。
最後に「僕」が食堂へ行ったのを見た気持ちを書きます。
息子は、なぜ寝室でなく食堂へ行ったのか、食堂で何をしようとしているか予測できたのか、予測したとしたらそれをどう思ったのか。
様々な解釈が成り立ちます。
この「母親」視点の物語は、書いた生徒の母親に対する願望が込められる可能性が高いですから、興味のあるところです。
「僕」の帰ってきた時の表情を見て、謝罪は受け入れられなかったことはわかったはずです。
最後に「僕」が食堂へ行ったのを見た気持ちを書きます。
息子は、なぜ寝室でなく食堂へ行ったのか、食堂で何をしようとしているか予測できたのか、予測したとしたらそれをどう思ったのか。
様々な解釈が成り立ちます。
この「母親」視点の物語は、書いた生徒の母親に対する願望が込められる可能性が高いですから、興味のあるところです。