十種神宝 中学国語の基礎・基本

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カテゴリ:中学国語 授業のヒント > 文学的文章

「走れメロス」の予習、復習、定期テスト対策用のプリントを販売します。
選択肢問題、短答問題、記述問題をバランスよく配置しました。新傾向の問題も入れてあります。
全24ページ、解答用紙付きです。

興味のある方は、こちらへどうぞ。

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更に「走れメロス」の登場人物も、つっこみ所満載です。

1 アブナイあんちゃん メロス

もし今の日本で、世情に疎く世論の動向などにまったく関心がない若者が、一人の老人の「国の指導者は人殺しだ」「自分の周囲の人間を次々と粛清している」という言葉を聞いただけで、暗殺を思いつき、その足でホームセンターで刃物を買い求め、のこのこ官邸に乗り込んだ人間がいたとしたらどう思いますか。

メロスがやったことは、これと同じです。メロスは一般の常識をわきまえない危険人物です。

更に、妹の結婚式を「間近だ」と勝手に決めてしまったり、承諾も得ずにセリヌンティウスを人質として差し出したり、極めて自己中心的な性格な行動を平気でとっています。

ところが困ったことに、自分を「偉い男」「弟になったことを誇ってくれ」と言い、自分に「正義」があると言ってはばかりません。
自意識過剰で自尊心が高く、ほとんど自己陶酔の世界に陥っています。

ほとんど疾病レベルの超アブナイあんちゃんだと言えます。

緋のマントを捧げた少女には「考え直せ」と言ってあげたいと思います。

2 一番得をしたのはディオニス王
Dionysius_I_of_Syracuse
ディオニスのモデル ディオニシウス王
王は、妹婿によるクーデター計画により人間不信に陥り周囲の者を次々と粛清し、そのために世論は離れ支持率最低の状況です。
自身もストレス過多で不健康ですから、愚かではない王は、早晩自分の王朝が滅亡するかもしれないことを悟っていたかもしれません。
悪循環に陥っていますが、それをストップすることができません。

そんな王がメロスにしたことは、人質をとることで自分を暗殺しようとしたメロスを放免し、もし帰ってきたら人質を解放し処刑する、という裁定を下しただけです。

今の刑法では殺人未遂及び内乱罪ですから死刑にまではならないと思いますが、当時の常識として、王は即座にメロスを処刑しても当然だったと思います。
(ついでに連座制が適応されるなら、妹や妹婿も死刑だったでしょう。メロスは結婚式をあげさせる前に、即、妹を離縁すべきでした。)

ディオニス王は、なぜメロスをすぐに処刑しなかったのでしょう。

そうしなかったのは、自分の主張が正当であることの宣伝材料とし、世論に訴えるためだったのかも知れません。
だからこそ、事件の経緯を公表し、自分の主張が正しいと宣伝するために刑場に民衆を集めたのでしょう。

ですからこの目論見に失敗した王は、帰ってきたメロスに
「なるほどお前が約束どおり帰ってきた。ならば私も約束を守ろう。お前を縛り首にする。」
と言って、さらっと始末してしまうことができました。

ところが王はメロスを許してしまいます。

しかし、これにより結果的に民衆から「王様万歳」と叫ばれます。
世論は一気に好意的なものとなり、支持率も急上昇したわけです。

王が支払ったリスクは「わしの心に勝ったのだ」と敗北宣言をし罪を赦したくらいで、他には何も失っていません。ローリスク・ハイリターンの極みです。

ディオニス王にとって、世論の圧倒的支持を得たということは、これ以上ないくらいの幸運な結末です。
どこかの国の首相もきっとうらやましく思っていることでしょう。

3 セリヌンティウスは聖人君子

メロスの友人セリヌンティウスは、最後の場面で三日間で一度だけメロスを疑ったので自分を殴れ、と言います。
それはメロスが直前に「途中で一度、悪い夢を見た」から殴れ、と言ったからです。

そもそもメロスが「悪い夢」を見たのは一度だけでしょうか。

メロスが見た「悪い夢」は、疲労困憊してまどろむ直前だけではありません。
メロスは結婚式で「あの約束をさえ忘れ」、「このままここにいたい」と願います。
出発してからも「幾度か、立ち止まりそう」になります。

「未練の情」てんこ盛りのメロスです。

ところがメロスは、しれっと川を泳ぎ切って倒れた時のことしか言っていません。
川を渡りきった時は、疲れ切って心神喪失状態であったために、思わず本音が顔を出してしまったようにも読めます。

セリヌンティウスが、メロスのことを本当に理解している親友なら「きっとメロスは戻るかどうか迷うだろうな」と考えるのではないでしょうか。

きっとメロスは迷うだろう、
迷っても結局は来ようとする気持ちはあったに違いない、
でも何か理屈をつけて戻らなかったとしても、それはそれでメロスらしいな、
と考えたはずです。

だいたい相談もなく自分を人質に差し出してしまうご都合主義のメロスです。
セリヌンティウスは、おそらく「メロスが戻ってこなくて自分が死刑になってもしょうがないや」と諦めていたのかも知れませんね。

ところがメロスは処刑場に戻り、しゃぁしゃぁと「一度」だけ「悪い夢を見た」と言ってのけます。

「ウソだろ」と思いながらも、自分も調子を合わせて「一度だけ」と言い、黙って殴られるセリヌンティウスです。

寡黙で、友のために死を覚悟してためらわないセリヌンティウスは、聖人君子か仏様のような人間だと思います。

こんなすばらしい友人を、どうやってあのメロスがキープできたのか、物語最大の謎だと思います。

4 謎の人フィロストラトス

セリヌンティウスの弟子を名乗るフィロストラトスは、王城間近に迫るメロスに近づき「走るのはやめてください」と言います。

これはとても不思議な行動です。

フィロストラトスはセリヌンティウスが刑場に引き出されて以降の一部始終を見ていたはずです。

セリヌンティウスの愛弟子ならば、
師匠が処刑される瞬間までそこに留まるのが人情なのではないかと思います。

では、なぜフィロストラトスは刑場の外に出たのでしょう。

彼はメロスと出会い、師匠が処刑から免れる唯一の手段=メロスが刑場に行くことをやめろと言っています。
彼は、師匠が助からないように、メロスに頼んでいるのです。

更に「ついてこい」とメロスに言われた後、彼はどこへ行ってしまったのでしょう。
もしついてきていたのなら、疲労困憊のあるメロスより体力があるはずですから、人混みをかき分ける手助けくらいはできたはずです。

『走れメロス』の元ネタ、シラーの詩では、セリヌンティウスはメロス家の執事もしくは家令に設定されています。
それならばフィロストラトスが「刑場に行くな」とメロスに言っても納得できますが……

もし『走れメロス』の後日譚を書くのだったら、彼をメインに据えたいところです。

次回から、実際にどのように授業を展開するか説明します。


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「走れメロス」は、教材研究をすればすぐにわかるように、設定の矛盾がいたるところにある作品です。
この点からすると入試問題にはまず出題されない部類の小説ではないかと思います。

またこれは、道徳の教材ではありません。
国語の授業としてどのように成立させるかが学習のポイントとなります。

国語の学習では、テキストをどのように料理するかがポイントです。
そこでまず、素材としての「走れメロス」を分析してみましょう。
ダウンロード

「走れメロス」の矛盾点

1 メロスは走っていない

「算数・数学の自由研究」作品コンクール(理数教育研究所 2013)に入賞した「メロスの全力を検証」という中学2年生の研究では、作品内の記述をもとにメロスの平均移動速度を算出し、その結果「メロスはまったく走っていない」という結論を得ました。(PDFはこちらからダウンロードできます。)
私の計算でも、川を泳いだり眠ったりした時間を除いたスピードは、往路は小学校三年生の遠足(初心者のジョギング)並みで、復路後半も小学校高学年の遠足以上、中学生の競歩大会未満でした。

2 妹の結婚式の予定が食い違っている

メロスは妹の結婚式の食材調達のためにシラクスの町にやってきます。初夏(立夏から芒種の前日まですから6月頃)の話です。
一方「妹の婿」は「明日結婚式を挙げてくれ」というメロスに、準備が出来ていないという理由で「ぶどうの季節まで」待って欲しいと言っています。ぶどうの季節はどんなに早くても9月以降でしょう。

ギリシア時代の結婚は夫と花嫁の後見人との契約により成立しました。メロスはこの契約に従って食材調達にシラクスの町に買い出しに来たわけです。このような事件がなかったとしたら、いつ結婚式をあげるはずだったのでしょう。9月以降にあげる結婚式のために、三ヶ月も前に食材を調達するのでしょうか。

夫となる牧人と、花嫁の後見人であるメロスとは、結婚をあげる時期に共通の認識がなかったようです。どちらかが勝手な思い込みで行動していたとしか思えません。

「走れメロス」から見える事情

1 ディオニス王朝はいずれ近いうちに滅亡する

王は王妹の婿、王太子、王妹、王妹の子、皇后、臣下の順に粛清しました。

この順番から、ディオニス王は、王妹の婿が王太子をそそのかし王を殺害、実権を握ろうとクーデターを計画したと考えていたのではないかと思われます。

もし王妹の婿が本当にクーデターを企てていたのなら、そして王が王妹の婿を信頼していたのなら、王が極度の人間不信に陥ったとしても不思議ではありません。
クーデター計画が本当にあったかどうかはわかりませんが、いずれにせよ王は疑心暗鬼になり粛清を繰り返したのだと思われます。

この行き過ぎた行動に対して世論の反発が強まっています。
その中で、王は現在ストレス過多となり、顔色がわるく、表情が険しくなりました。強迫神経症が疑われます。健康が思わしくないのです。

早晩、王が健康を損なった時、求心力は一気に弱まります。
既に世論の反発が強い王朝ですから、クーデターが起こる可能性が極めて高くなるでしょう。
その結果、早晩王は暗殺されるか、良くても国外追放。王位継承者のいないディオニス王朝は滅亡するはずです。
(ディオニス王のモデルとなった王は息子に暗殺され、王位を継いだ息子も義弟により国外追放となっています。)

弟や従兄弟を殺し三代目に源氏の血が途絶える原因を作った源頼朝と同じですね。

メロスは、別に王を暗殺しなくても、数年後には「生かしておけぬ」という彼の願いは実現したはずです。

2 この年は異常気象である

地中海性気候の土地が物語の舞台です。
地中海性気候では、冬には一定の降雨がありますが、初夏には雨が降らず乾燥しています。だからオリーブやブドウなどの栽培が盛んなのです。

ところが物語では初夏に大雨が降り、川は氾濫し、橋が流されています。災害レベルの豪雨と言えます。
婿となる牧人は「ぶどうの季節」を待つ以前に、今年はブドウが収穫できるか心配した方がよいと思います。

次回は「走れメロス」の舞台設定の謎です。


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『字のない葉書』の予習・復習・定期テスト対策用のプリントをダウンロード販売します。
予習・復習・定期テスト対策にぴったりのプリントです。 
興味のある方はこちらからお求めください。

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「字のない葉書」の指導事項は、次の三つです。
  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと。
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果、登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
 これを3時間で取り扱うようになっています。
 内容的にじっくり取り扱いたいという気持ちもありますが、文化祭に提出する書写作品を仕上げたり文法学習の進度を考えたりすると、なかなかそうもいきません。

 「字のない葉書」の指導のポイントは、父親の言動の意味を考え、主題=「私」の父親に対する気持ちを考えるところにあります。

 3時間という展開を考えると、次のようになります。
  • 第1時=通読し、単元の課題を持ち、前半部に描かれた父親像を読解する。
  • 第2時=後半部に描かれた父親の心情を読解する。
  • 第3時=父親に対する「私」の気持ちを読解する。
 第1時はとてもつめこんだ内容となりますから、ひょっとしたら4時間扱いになってしまうかもしれません。

 最終的に読解したい問題は、
  • 「私」は現在、父親に対してどんな気持ちを持っているのだろうか
です。
 しかしこれが第1時に学習問題として生徒から出てくることはまずありません。

 生徒が直接興味をもつのは、
  • どんな父親なのだろうか
という思いです。

 そこで、「いつ」「どこ」「だれ」の「だれ」を考えていこう、という流れで単元を通し、
 第3時に「こういう父親を『私』は今どう思っているのだろうか」という問題を据えるのが自然だと思います。

 この問題に対する答えは、二つのエピソードの最後の段落にそれぞれ書かれています。
 特にこの作品の主題が説明されているのは前半のエピソードです。

  •  この手紙もなつかしいが、最も心に残るものをといわれれば、父が宛名を書き、妹が「文面」を書いた、あの葉書ということになろう。

 「この手紙」とは、直前の「優しい父の姿を見せたのは、この手紙の中だけである」を指しています。
 つまり、普段は優しくない(暴君であった)が、その奥には優しさがあったことをなつかしむ文章であることがわかります。

 その姿が、最も端的に表れたのが後半のエピソードです。

  •  あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になった。だが、あの字のない葉書は、誰がどこにしまったのかそれともなくなったのか、私は一度も見ていない。

 前半のエピソードでは、父親は、十三歳の「私」に手紙を出してから三十年後の六十四歳で亡くなっていると書かれています。ですから前半のエピソードの父親は三十四歳くらいです。
 後半のエピソードでは、父親は小学校一年(六歳前後)であった妹を疎開させ、それから「三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になった」とあります。ですから妹の現在の年齢は三十七歳くらいでしょう。

 ですから後半のエピソードは、前半のエピソードの四年以内に起こった出来事です。
 後半のエピソードの「私」と妹の年齢差は十歳以内であることがわかります。

 父親が下の妹を抱いて声を上げて泣く姿を見た高校生くらいの「私」にとって、暴君のイメージとのギャップに衝撃を受けたことは想像に難くありません。

 「暴君」であったはずの「父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た」わけですから、
 「最も心に残るもの」ランキング最上位として「字のない葉書」のエピソードが挙げられるのは当然のことです。

 この父のギャップのある姿を「なつかしく思い出している」のがこの作品の主題なのです。

 これを授業の最後に気づかせるためには、

 まず前半のエピソードでは「暴君」「照れ性」「他人行儀」「非の打ち所のない父親」「日頃気恥ずかしくて演じられない父親」等のキーワードを構造化しておさえ、

 後半のエピソードでは妹の状況変化とともに、父親が「声を立てて泣く」に至る父親の気持ちを「この日は何も言わなかった」「はだしで表へ飛び出した」「やせた妹の方を抱き、声を上げて泣いた」等の叙述から父親の心情に触れさせます。

 そして、前半の父親の二面性と後半の「初めて見た」のキーワードを振り返り、
  • 「この作品の主題はどこに書いてあるだろう」
と問いかけて主題に迫らせる、という展開が考えられます。

 この主題は、テキスト最後の
  • だが、あの字のない葉書は、誰がどこにしまったのかそれともなくなったのか、私は一度も見ていない。
の解釈にもつながると思います。特に「だが」の解釈がポイントとなると思います。

 これに触れた生徒の意見が出てくるといいですね。



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 「大人になれなかった弟たちに……」は、光村図書の指導事項によれば以下のことを指導するようになっています。

C 読むこと
  • ウ 場面の展開や登場人物などの描写に注意して読み、内容の理解に役立てること。
  • オ 文章に表れているものの見方や考え方をとらえ、自分のものの見方や考え方を広くすること。
伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項
 イ 言葉の特徴やきまりに関する事項 
  • (イ)語句の辞書的な意味と文脈上の意味との関係に注意し、語感を磨くこと。

 4時間扱いの単元ですが、個人的にはもう1~2時間使いたいところです。

 しかし多くの学校では文化祭が9月末に控えています。またその前後に定期テストを行いますから、あまり時間をとることができません。

 そこで、より効率的・効果的な授業の展開を工夫しなくてはいけません。

 文学作品読解の基本は「いつ」「どこ」「だれ」です。

 「一つの花」や「ちいちゃんのかげおくり」等、既に生徒は学んでいますから、「いつ」はすぐ生徒にわかります。終戦の年とその前年です。

 「どこ」は、テキストに「福岡から南へ二十キロくらい行った、石釜」とあります。
 実在の土地です。ネットを調べればテキストにあるような自然に囲まれた風景が観光地として出てきます。

 この作品で指導計画に基づいておさえたい内容は、それぞれの場面にしっかりとあります。
 1時間目に範読・感想をもつ等で0.5時間使うとして、展開はおおよそ次のようになります。
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0005
第1時 後半 ヒロユキのミルクに関わる場面
  •  飲みたい「僕」とそれに対する「母」の気持ち
 これは、反復法省略法によって語られます。
 「繰り返すことによってどんな気持ちが読み取れるか」「どんな気持ちが省略されているか」考えさせます。
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0007
第2時 親戚で疎開先を断られる場面
  •  「そのとき(指示語)の顔」
  •  「強い顔」「悲しい悲しい顔(反復法)」「美しい顔」「母の顔」の関係
  •  「いつも」
 「『そのときの顔』はどういう顔だろう」が中心発問となります。
 「そのとき」というのを曖昧にとらえる生徒がいます。「その」が指し示すのは直前の「僕に帰ろう」と言ったその瞬間の顔です。
 このときの顔は、「顔」という言葉を反復することによって読者に意識づけようとしています。

 「強い顔」「悲しい悲しい(これも反復法)顔」「美しい顔」「母の顔」

 この四つの関係を考えさせ、母の、誰にも頼らず自分だけで子どもたちを守ろうとする孤独な覚悟を読み取らせます。
 
 そして「いつも」という語に気づかせ、作者は、この時の母の気持ちを、その後何度も思い出していることをおさえます。
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0013
第3時 母が泣くまでの場面
  •  「栄養失調です……。(省略法)」
  •  「白い乾いた道から」(情景描写=心理描写)
  •  「ヒロユキは幸せだった」と母は本当に思っていたのか
  •  「小さな小さな」(反復・漸層法)←「大きくなっていたんだね」
  •  「母は初めて泣きました」の理由
 「栄養失調です……。」の省略法では、どんな言葉が省略されているか考えさせることで「僕」の無念さに気づかせます。
 この時間の中心発問は「なぜそのとき、母は初めて泣いたのだろう」です。
 これについて気づかずスルーしている生徒もいますから、その場合は教師が注目させる必要があります。

 直接の理由は「大きくなっていたんだね」という母の気づきにあります。
 この母の気づきを明確に理解するためには、ヒロユキが亡くなってからの母の気持ちを逐っていく必要があります。

 「白い乾いた道~」の情景描写は母(及び「僕」)の虚無的な心情の表現であり、
 「ヒロユキは幸せだった」という母の台詞は、小さな子どもを守ることができなかったことへの、自己正当化の言葉です。
 そして「小さな」という言葉の繰り返しは、「大きくなっていたんだね」という母の気づきにつながる盛り上がりを演出していることに気づかせます。

 このあたりの展開は、生徒の気づきや発言をうまくとりあげ、誘導するよいでしょう。
 授業はライブであり、教師の出が重要なのです。 
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0000
第4時 まとめ
  •  「忘れません」の意味(「忘れられません」との違いから意味を考えさせる)
  •  なぜ「ヒロユキ」とカタカナで表記されているのか
  •  なぜ「弟たちに……」という題名なのか
 これらを全てやることは、時間的にできません

 三つ提示し、好きなものをやらせ、最後の発表させても良いし、
 全体で一つのものを学習問題として与え、発表させても良いでしょう。

 ポイントは、自分が考えた内容を人に知らせる(発表する・聞いてもらう)前にきちんと書かせることが大切です。
 「○字以内で、○分間で」と条件を与え、原稿用紙に八割以上の生徒に書かせてから、発表させたり意見交換をさせます。
 そして最後にもう一度まとめさせ、感想を添えて提出させると良いでしょう。

 今後の高校入試や大学入試で求められる「書く力」の基礎となります。

 このように、この教材を4時間で扱うことを考えると、非常に駆け足で単元を進めなければいけないことがわかります。私の場合、どうしても1時間くらいオーバーしてしまいます。

 夏休みが明けてまだ残暑が厳しく、1年生は気持ちがゆるみがちの時期です。
 予習・復習をしっかりしておらず、前時の授業はもとよりテキストの内容すら頭に入れていない生徒が多くなります。

 しかし、私たちも生徒のことは言えません。

 これから一ヶ月以内に国語科としてやらなくてはならないことは何か、中間テストの範囲はどこまでか、
 しっかりと教科主任と相談しながら、あとで泣き言を言わないようにしなくてはいけません。

 気持ちをひきしめて授業に向かわなくてはならないのは、生徒も教師も同じなのです。

この項目については、生徒用に解説したものがあります。
興味のある方は、こちらへどうぞ。

「大人になれなかった弟たちに……」の学習プリントを作りました。
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この内容をもとにしたワークブック(定期テスト予想問題付)を販売します。
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この作品を読み解くカギは、父親が持って帰ったえびフライです。
このえびフライを中心に、物語を再構成してみましょう。
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父親が持ち帰った冷凍の海老フライは、昭和37年に加ト吉(現テーブルマーク)から発売されて以降の話だとわかります。(詳しくはこちらこちら

発売当時はとても珍しいものでしたから、この物語は昭和40年前後のこととわかります。

東京オリンピックに向けて、焼け野原となった東京の近代化が急速に進んでいた時代です。
主人公の父親も、このようなインフラ工事の現場で働いていたのでしょう。

仕事が忙しい父親は、正月に帰郷した折「今年の盆には帰れぬだろう」といっていました。
しかしお盆に三日間の休みがとれることがわかり
  • 盆には帰る。十一日の夜行に乗るすけ。土産は、えびフライ。油とソースを買っておけ。
と電報を打ちます。

わざわざ「土産は、えびフライ。」と断っているのは、子ども達に珍しいえびフライを食べさせようとする気持ちの表れでしょう。

そして8月11日の夕方、アメ横で冷凍えびフライを買い、二人の子ども達が驚き喜ぶ顔を胸に、
妻の七回忌の墓参りをすべく、夜行列車の「はくつる」または「ゆうづる」に乗り込みます。
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「えびフライ」には、父親の、妻や子ども達に対する気持ちがこめられているのです。
(くわしくはこちら

翌12日、「僕」は帰省する父親に、好物のソバを食べさせようと雑魚釣りをしています。

その最中も「えびフライ」のことが気になってしかたがありません。
姉に「えんびじゃねくて、えびフライ」と発音を直されますが、姉もえびフライがどんなものかわかりません。
当然祖母もわかるはずがありませんが「……うめもんせ。(美味しいものだよ。)」といいます。
祖母は「父親がわざわざ東京から盆土産に持って帰るくらいだから、とびきりうまいものにはちがいない」と確信しているのです。

父の帰省に対する子ども達の喜びや期待、祖母の父に対する信頼が「えびフライ」を中心にして描かれています。

そして帰省した父親は、えびフライやドライアイスに驚く子ども達の姿を見て「満足そうに毛ずねをぴしゃぴしゃたたき」ます。

その日の夕食は、父親自らが調理したえびフライです。にぎやかで楽しげな食卓を囲みます。

雑魚は自分がソバを食べるために息子が釣ってきてくれたものですが、翌日は帰らなければいけない父親は、ソバを食べることができないことがわかっています。
それを息子に告げることができず、ビールのつまみに雑魚をほとんど全部食べてしまいます。

翌日の午後、一家で墓参りに行きます。
墓参りで祖母は、「えんびフライ……」と、昨晩の楽しかった夕食の様子を報告します。
それを聞いた「僕」は、何かすまない気持ちになって「墓を上目でしか見られなく」なります。

祖母の「えんびフライ」という言葉には、楽しい暖かな一家の団らんを象徴するものとしての意味がこめられているのではないでしょうか。

夕方の終バスで帰る父親を「僕」は一人で送っていきます。
無口な父親に「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」と言われると、父親がいなくなるさみしさが急にこみあげてきます。

「僕」にとって、父親がいて、家族が揃って食卓を囲む楽しさの象徴が、昨日の夕食でした。そしてその中心にえびフライがありました。
  • 正月になれば、えびフライと共に父親が帰ってきて、また楽しい食卓を囲むことができる
そう直感した「僕」は、とっさに昨日のドライアイスと、それでえびフライを冷やしてきたことを連想して「冬だら、ドライアイスもいらねべな。」と言ってしまいます。

しかし父親は、この連想を察することができませんでした。
息子はえびフライを楽しみにしているのだと考えたのでしょう。
冬でも冷凍食品を運ぶためにはドライアイスが必要であることを説明します。

バスが来ると、父親は「右手でこちらの頭をわしづかみにして」揺さぶる、精一杯の愛情表現で「ちゃんと留守番してれな」と言います。

父親の愛情を感じ取った「僕」は、また再び父親のいる楽しい食卓を囲みたいと願い、とっさに、こじゃれた食品である「えびフライ」ではなく、父親の愛情の詰まった楽しい家族の団らんの象徴である「えんびフライ」と言ってしまいます。
父親は「ちょっと驚いたように立ち止まって『わかってらぁに』」と言います。
やはり「僕」の気持ちに気づかない父親でした。

この二人の気持ちのすれ違いをただすのも、誤解した父親に本心を語らせるのも野暮というものです。
男車掌はそこでペッとつばを吐き、バスを発車させてしまいます。

なかなか粋な終わり方だと思います。

父親の愛情の詰まった、家族の楽しい団らんの象徴が「えんびフライ」なのですが、それも含めて父親が持ち帰ったもの全体が「盆土産」なのでしょう。
これが作品名になっているのですね。

ですから、作品の主題は「父親が持ち帰った、愛情あふれた家族の姿」が主題であるとも考えられます。


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 指導の最後で取り扱うのは「主題を考える」授業です。

「主題」とは
 私たちは、文学的文章読解を行う際に、辞書的に「芸術作品などの中心となる思想内容」という意味で「主題」という言葉を使っています。説明的文章の場合は「要旨」です。

 語(語彙)が集まり文となり、文が集まって段落となり、段落が集まって文章が作られてることを、一年生の文法の授業で教えます。

 語(語彙)にはその一つ一つに単語としての意味があります。その語(語彙)が集まって文となったとき、一つのまとまった文としての意味が生まれます。そして文が集まると、一つの意味のつながりが生まれ、それが改行で区切られたとき更に大きな意味のまとまりとなります。

 意味のまとまりは、一つの方向性をもっています。ベクトルのようなものと考えてよいと思います。
imagesベクトル
語彙という小さなベクトルの集合が文となり、文のベクトルが集まって大きな段落のベクトルとなるわけです。

 そして段落のベクトルを集めたものが「主題」になるのだと思います。

 説明的文章では、それぞれの語彙は互いに関連をもちながら意味的につながって段落の要旨に集まり、段落の要旨は相互に関連しあって文章全体の要旨として明らかになります。そして説明的文章の要旨はテキストにはっきりと書かれている点に特徴があります。
 ですから説明的文章の読解というのは、語彙や文、段落レベルのベクトルの方向を見定め、文章全体がテキストのどの部分に集約されているかを見極めることが一つの目的となります。

 ところが文学的文章の場合、「主題」はテキストには書かれていません。テキストの外にあるのです。
 大雑把に言うと、
 「主題」は、テキストの外の作者の中にあるというのが作家論です。ですから正解は作者しかわかりません。(作者だってわからないかもしれません。)
 逆にそのベクトルは読者の心の中にしかないと考えるのが読者論です。

 読者論の場合、文学作品を読んだ読者がどんな主題を設定しても読者の自由となります。しかしこれでは、単なる趣味の読書となってしまい、授業で取り扱う意味が薄れてしまいます。

 私たちが授業で取り扱うべきは、あくまでも指導要領に示される「論理的に考える力や共感したり想像したりする力」や「伝え合う力」です。感覚的・主観的な独りよがりの読解力を増長させるためではありません。
 きちんとテキストに書かれている内容を論理的に判断し、その判断に対して多くの他者が共感できるように説明相手の説明を理解する「伝え合う力」を育てるのが授業の目的です。

 そこで、文学的文章読解の授業では、それぞれの語彙、文、段落が指し示すベクトルの方向を論理的に吟味し、それが収束している「主題」を的確な文で表現する(認識する)ことに価値があると思います。

 文学作品は、因果関係に支配されています。一定のキャラクターをもった「登場人物」が「事件(イベント)」に出会い、その結果「心理」に変化がうまれ、それに従って「行動」します。そして新たに獲得した「心理」や「行動」が「登場人物」のキャラクターに加わり、更に新たな「事件」に出会い物語が展開します。(事件の前後で主人公の心理の変化がほとんどないのがラノベですね。だから学校で読むことが問題視されるのかな?)

 主題は、この「登場人物」の心理変化の中にあるのだと思います。
 そして主題を体現する心理変化をもった「登場人物」こそが主人公なのです。(ただしホウムズ物のような探偵小説はどうなんでしょうね……。ワトソン博士が主人公……じゃないよね。これが「探偵小説は文学としては微妙」と言われる理由なのかな?)

 文学作品の「主題」は、愛や憎しみ、友情や優しさなど様々あると思いますが、いずれも主人公が体現するものです、社会的にみると人間としての「価値」や「徳目」です。(主人公が「価値」「徳目」のアンチテーゼとして描かれる、反社会的・反道徳的な主題が描かれる文学はあります。しかし小・中学校の教材となることはまずありません。ですから「文学的文章」と呼ばれるのだと思います。)

  • 主題とは主人公の言葉や行動によって論理的に説明できる「価値」あるいは「徳目」である。
 これが、主人公の心情の変化を執拗に授業で読み取らせようとする理由なのではないでしょうか。

 ですから、主人公の心情の変化の読み取りの終着点として「主題を考える」場面は、文学的文章読解の授業には必要だと思います。

「盆土産」の主題

 ストーリーの展開に沿って、あらすじをまとめてみます。

 1日目。主人公は突然お盆に帰省する父親のために「父っちゃのだし」を送り盆のまでに間に合わせようと雑魚を釣りながら、盆土産であるえびフライとはどんなものだろうと考える場面で物語は始まります。

 この日の前日、突然父親がえびフライを持って帰省する速達ありました。えびフライにとはどんなものか、主人公にも姉にも見当がつきません。しかし祖母はわからないながらも「うめもんせ」と父親を信頼しています。主人公は祖母の言葉に納得し「父親の土産のうまさをよく味わう」ことを楽しみにします。

 父親の帰省の場面では、父親は八時間もの間ドライアイスを交換しながら帰省したことが述べられ、ドライアイスやえびフライに驚く子どもたちの姿を「満足そうに」眺める父親の姿が描かれます。

 その日の夕方では、隣の喜作も盆土産を喜んでいる姿が、夕飯の場面では、揚げたてのえびフライを食べる一家団欒の様子が描かれます。その中で、「父っちゃのだし」を心配する主人公と、次の日に帰省することを息子に告げられない父親の心理が語られます。

 2日目。墓参りの場面では、死んだ母親への家族の思いが、特に祖母と主人公を通して語られます。

 そして夕暮れ時、主人公が父親を見送る場面では、父親と主人公との交流とすれ違いが描かれています。

 この物語全体から俯瞰されるの主題は、父と息子との交流だけではありません。父が子へ、子が父や死んだ母へ、祖母が子(父)や孫(主人公と姉)あるいは夫(祖父)や嫁(母)へと、家族全体の双方向性のつながりが描かれていることがわかります。
 そしてその交流は、父親が東京へ働きに出ていて稀にしか帰省できない状態であることにより鮮明に浮かび上がってきています。
  • 父親が東京へ働きに出ている東北地方の家族の絆
 これが「盆土産」主題だと思います。

 この主題は、最後の場面で主人公が「えんびフライ」と言い間違えるところに象徴的に表現されていると思います。
 「えんび(フライ)」という言葉が登場するのは、冒頭部の主人公と姉との会話、墓参りでの祖母の言葉、そして最後の場面の主人公の言い間違いとしてです。

 主人公は、「いつもより少し」強めの父親の愛情表現で動転し「うっかり」「えんびフライ」と言ってしまいます。なぜ「えんびフライ」でなければならないのでしょう

 「えんびフライ」が単語として登場するのは、墓参りの場面です。
  • 昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして)祖父と母親に報告しているのだろうか
 祖母が報告した「昨夜の食卓の様子」を「祖父と母親に報告」するとしたら、どのような内容になるのでしょう

  • 帰らないと思っていた「父っちゃ」がわざわざ墓参りのために帰ってきたよ。盆土産に珍しいえびフライを持ってきたよ。孫たちはとても喜んだよ。みんなで楽しく海老フライを食べたよ。…安心しておくれ。
 祖母が報告したのは、「昨夜の家族揃っての楽しい団らんのある食卓の様子」だったはずです。
 この象徴としての単語が、親しみのある方言を使った「えんびフライ」だったのではないでしょうか。

 そして「家族揃っての楽しい団らん」こそが主人公が希求する絆であったはずです。
 だからこそ主人公の「家族揃って楽しい団らんを囲みたい」という願いが、その象徴たる「えんびフライ」という言葉となってほとばしったのだと思います。 

 これは、文として生徒に教える必要はありません。なぜなら、この主題が正解であるかどうかはわからないからです。
 それよりも、この物語の主題を「文」としてまとめようと考えさせ書かせることこそが学習であると思います。

 これには、やはり1時間はかかるでしょう。


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 「盆土産」の指導事項は
  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
です。
 指導事項アとイを中心に、登場人物に関する「内容の理解」を深め、授業では「根拠を明確にして自分の考えをまとめ」させ、発表させることでそれを確かめる授業となります。

 これをやるのにだいたい2時間はかかります。
 すべてきちんと取り扱おうとすると、確実に3時間以上になってしまって、指導時数を確実にオーバーします。
 この後、主題についての授業は是非やりたいところですので、生徒の様子を見ながら扱う場面を取捨選択して進めます。

 生徒は『盆土産』の作品研究の演習をするわけではありません。あくまで指導事項さえきちんと押さえてさえいれば、授業としてはそれで十分なのです。
 効率的・効果的に授業を進めることをかんがえましょう。


主人公
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 小学校3年生。8~9歳。分校に通っています。
 おそらく、物心ついた頃、母親をなくしました。

 川えびしか見たことがなく、伊勢エビやブラックタイガー等の知識がないため、父親が「海ではもっと大きなやつ(えび)も捕れる。長えひげのあるやつも捕れる」と言っても、冗談だと思っています。
 この時代の東北地方の寒村の小学3年生です。から、『ちびまる子ちゃん』のまるちゃんより知識量が少なくても仕方がありませんね。

 現在父親は東京に働きに出ていってしまって、さみしい思いをしています。

 ですから突然父親が帰省すると知ると、父親に振る舞うそばのダシをとるために雑魚をとり、夕食で父親がそれを焼いてどんどん食べてしまうと「はらはらして」「だしがなくならえ」と心配するくらい父親のことを思っています。

 父親のもたらした「盆土産」である「えびフライ」を中心に、久しぶりの家族揃って楽しい団らんを囲みます。
 小学3年生の主人公に、「えびフライ」と「父親」と「家族の団らん」という三つの語彙が強烈な関連をもってすり込まれるのです。

 迎え盆の朝、突然父親が東京へ戻ることを告げられ、昨晩の父親の雑魚の食べ方が「尋常ではない」理由を悟ります。

 夕方、「終バス」に乗る父親を「独りで停留所まで送って」いきます。帰りは当然暗くなりますから、父親は見送りはしなくてよいと言ったでしょう。しかし主人公はどうしても送っていきたかったのかもしれません。(他の研究によると、主人公が住んでいる集落と停留所までは相当の距離があるようです。)

 「村外れのつり橋」を渡った時、突然父親が「とって付けたように」「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」と語りかけます。
 父親が息子の悲しみを理解し申し訳なく思っていることを言外に悟った主人公は、「不意にしゃくりあげそう」になります。
 主人公の中で
  • 父親の愛情=えびフライ
という図式が成立していたため、
  • 父親が帰ってくる=楽しい家族の団らん=えびフライ
  • えびフライ=暑いのでドライアイスが必要=冬ならばドライアイスは不必要
という連想が浮かんだのでしょうか、「とっさに」「冬だら、ドライアイスもいらねえべな。」と言ってしまいます。

 つり橋を渡って、更に2人には沈黙が続きます。
 父親に似て口下手のようですが、小学3年という年齢を考えるとこの程度なのかもしれません。

 特に父親に頭をわしづかみにして揺さぶられるような、父親とのふれあいを楽しみにしています。
 別れ際、父親に「んだら、ちゃんと留守番してれな」と言われ、とっさに「えんびフライ」と言ってしまいます。

 本人は「んだら、さいなら、と言うつもり」だったと述懐していますが、本当でしょうか。

 ひょっとしたら、父親との別れに際し「早く帰ってきてまた楽しい家族の団らんを囲みたい」「東京には行かないで欲しい」と言いたかったのだと思います。
 この気持ちが集約された語彙が「えびフライ」ではなく「えんびフライ」だったと思います。

 この日の夕方、墓参りの中で祖母の言葉に「そのときは確かに、えびフライではなくえんびフライという言葉を漏らしたのだ」と言っています。
 主人公にとって、父親の愛情や家族の団らんを象徴する語彙は、よそ行きのハイカラな「えびフライ」ではなく「えんびフライ」なのでしょう。

 まさに方言の力ですね。



 中学生。本校の中学校に通っています。
 弟に対して「お姉さん」らしく振る舞おうとしています。
 えびフライというのは「どんなものか」と答えられない質問を弟にされると、答えをはぐらかし「自分の鼻の頭でも眺めるような目つき」をして視線をそらすという、年相応のごまかし方を身につけています。
 また「えびは、しっぽを残すのせ」と言われても、食べてしまったことを正当化するために「歯があれば、しっぽもうめえや」と言うような、少し負けず嫌いなところもあります。
 これらは、弟の手前ということもあるかもしれません。いずれにせよ、姉らしく振る舞おうとしていることがわかります。

父親
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 「まだ田畑を作っている頃」とありますから、現在田畑は作っていません
 
 田畑を手放した理由はわかりませんが、妻(母親)をなくしたことによる労働力不足が理由だったのでしょうか。
 戦後の農地改革*1)の影響がなかったとは言い切れませんが、農地を取り上げられた地主階級ではありませんでした。この一家のお墓は共同墓地にあり「持ち土の上に、ただ丸い石を載せただけの」ものだからです。
 おそらく昭和30代後半のことです。

 その後、仕事を求めて単身上京します。
 当時東京オリンピック開催に向けての、高速道路や新幹線の建設等、インフラ工事が盛んでした。
 東京が大きく変化する時代で、工事現場の仕事が山ほどあった時代でした。

 父親は「今年の盆には帰れぬだろう」と言っていたにもかかわらず、なぜ今年の盆に帰ってきたのでしょう。

 えびフライを子どもに食べさせるため、と考えるのは無理があります。
 仏教では「一周忌」「三回忌」「七回忌」「十三回忌」「十七回忌」と、三と七の年度のお盆に法要を営みます。

 主人公の年齢から考えて、この年は妻の「七回忌」(6年目)にあたる年だったのではないでしょうか。

 「法要を営むことはできなくても、せめて墓参りがしたい」という気持ちで、急遽帰省を決めたのではないかと思います。

 とても家族想いのよい父親です。(ご存命ならば、おそらく90歳以上100歳に手が届く歳になるでしょうか。)

 そして、子どもたちがさみしい思いをしていることを十分理解しています。

 ですから、せっかく帰るのだからと、子どもたちの喜ぶ顔が見たくて、当時珍しかった冷凍のえびフライを上野アメ横で購入しました。その時、持ち帰るにはドライアイスが、そして「油とソース」が食べるまでに必要だと教わったのでしょうか。ドライアイスと共に寝台特急に乗り込みます。
 (アメ横で「淡い空色のハンチング」も買ったのかもしれません。けっこうおしゃれさんです。)

 8時間の道中、ドライアイスを補充した苦労も「こんなに大きなえびがいるとは知らなかった」と子どもたちは大喜びです。「満足そうに毛ずねをぴしゃぴしゃたたき」ます。

 そして、自分が帰ってしまうと、特に息子が悲しむだろうと、当日朝まで帰ることを告げません。
 しかし、息子が雑魚にこめた想いは十分にわかっていますから、帰京前日の夕食に「尋常ではない」スピードでビールのつまみにして食べてしまいます。

 とても口下手で、息子に対する言葉がけがうまくできません。
 このため、帰りの停車場まで、息子と2人で歩く道すがら、四言しか言葉を交わしていません。
  • 「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」
  • 「いや、そうでもなかべおん。冬は汽車のスチームがききすぎて、汗こ出るくらい暑いすけ。ドライアイスたら、夏どこでなくいるべおん。」
  • 「んだら、ちゃんと留守してれな。」
  • 「わかってらぁに。また買ってくるすけ……。」
 「村外れのつり橋を渡り終え」た時に「とってつけたように」語った「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」に父親の気持ちがこもっています。
 普通の文にすると、省略法が用いられていることがはっきりわかります。
  • 「今度の正月には、もっとゆっくり帰るから……。」
 この「……」の部分には、「そんなに悲しまないで欲しい」「それまで楽しみに待っていて欲しい」という言葉が入るのでしょう。これは生徒に考えさせたい部分です。

 この父親の省略された部分を感じ取った主人公は、父と別れる悲しみをこらえきれなくなって「しゃくり上げそうに」なります。

 停車場に着いて、「んだら、ちゃんと留守番してれな」と語りかけ、主人公の頭をわしづかみにして揺さぶります

 「いい子、いい子」となでなでするより少し乱暴ななで方です。「いつもより」と言っていますから、日常的にそのような接し方をして、息子に対する愛情を表現しているのでしょう。それが「いつもより少し手荒くて」とありますから、日常以上の愛情がこもっているのだと思います。

 これに対する息子の「えんびフライ」という返答に、「ちょっと驚いたように立ち止まって、『わかってらぁに、また買ってくるすけ……。』」と言います。
 残念ながら、父親は「えんびフライ」に込められた息子の気持ちを理解しきれなかったようです。

 ポイントは省略された「……。」の部分です。「ちゃんと留守番してれな。」だったら省略する必要はないと思います。それ以上の気持ちが込められているからこその省略法でしょう。
 ここは是非生徒に考えさせたい部分です。

祖母

 夫(祖父)を早くになくしています。

 主人公に、えびフライトはどのようなものか尋ねられると「……うめもんせ。」と答えています。
 このことから、息子(父親)は孫(主人公)にウケ狙いのような変なものは買ってこない、と確信しています。
 歯がありません。明瞭な発音が難しいことから、入れ歯があっても不完全なものです。(ない可能性が高いと思います。)固いものを咀嚼し嚥下する力が衰えています。
 念仏を唱えることから、この家は浄土系の宗派です。

 迎え火を焚くとき「昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして)祖父と母親に報告しているのだろうか」とあります。
 「えびのしっぽが喉につかえたこと」を抜かした「昨夜の食卓の様子」とは、楽しい一家の団らんの様子に他なりません。

 どのような様子だったか、生徒に説明させてもよいと思います。

母親

 なくなったのは「まだ田畑を作っている頃」とあります。主人公の年齢から考えて9年以内のことです。主人公におぼろげな記憶があるらしいことや、父親がこの年わざわざ帰ってきたことを考えて、主人公が3歳頃のことではないでしょうか。

喜作

 小学校4年生。主人公の隣に住んでいる。
 お盆を故郷で過ごすために父親が帰京している。
 「盆土産」は「派手な色の横縞のTシャツ」「連発花火」であろう。喜作はそれを見せびらかしたくて「独りで畦道をふらついていた。」



*1) 戦後の農地改革

 特に第二次大戦後、1947(昭和22)~50年にかけて GHQ の指令によって行われた日本農業の改革をさす。 不在地主の全貸付地と、在村地主の貸付地の保有限度(都府県で平均一町歩、北海道で四町歩)を超える部分を国家が買収し、小作農に売り渡し自作農化した。当時のインフレ等もあって、ただ同然の値段で買収・売り渡されたのである。

ご存じの方教えて下さい

 主人公の父親を「東京へ出稼ぎに行っている」と授業中に説明することがよくありますが、「出稼ぎ」は一般的に農閑期に寒冷地の農山村から都市圏の建設現場等に働きに出ることを指します。(「出稼ぎに出なくてもよい世の中」を作ろうとしたのが田中角栄ですね。)

 このブログでは、確かに
戦後
高度成長期に父親は東北地方から働き口を求めて都市圏の建設現場に出ていることを紹介しましたが、喜作のところも含めて、通年働きに出ているようです。もし正社員だったら「単身赴任」と言ってもよいと思いますが、少し違うような気がします。

 もし「出稼労働者手帳」を交付されているのだったら「出稼ぎに出ている」と言ってもよいと思うのですが、どうなんでしょう。
東北地方では、盆と正月にしか帰京しない場合も「出稼ぎ」と言うのでしょうか
 ご存じの方教えてください。



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 『盆土産』の指導事項は、光村図書の指導計画によると、いずれも「C 読む」領域で、次の内容となっています。
  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
 これらの力を生徒たちが身につける前に読解の障害となるのは、
 読解の基本となる「いつ(時間設定)」「どこ(空間設定)」「だれ(登場人物設定)」が生徒にとってつかみづらいものになっている点にあります。
 そしてそれ以上に、生徒自身が、自分の経験をもとに解釈してしまうため、よくわかっていないことを生徒自身が意識しにくい点にあります。

 ですから、生徒の素朴な疑問や教師の問いかけによって、
 実はよくわかっていないことを意識化し、正しい知識を与えた上で
 読解に役立ててあげなくてはいけません。

 それは教師の役割です。
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いつ (時間設定 何月何日の話か

 「盆土産」のお盆は「月遅れ盆」だと思います。
 これは、生徒も夏休み中にニュース等で「お盆の帰省ラッシュ」のお盆ですから、わかると思います。
 しかし、8月の何日かをしっかり把握していない生徒も多いのが現状です。この作品の場合は8月13日が迎え盆です。しかし毎年違いますから「今年の場合は」と断りを入れて指導しておきます。

 ちなみに一年生の「大人になれなかった弟たちに……」や、三年生の「挨拶」の授業を行う際に、終戦や原爆投下の年月日を言えない生徒が多いことがあります。夏休み中の話題から、終戦や原爆投下の年月日を押さえておくとよいでしょう。

 このお盆の日付をおさえた上で、この物語は8月の何日から何日の幾日間の物語かを考えさせます。
 実は、この日程を把握していない生徒が相当数います。
 たぶん、登場人物に注意が向いて、時間に関わる叙述にまで意識が向かないのではないかと思います。

 一覧表にまとめさせる等して、しっかり共通理解をもった上で読解を進めたいものです。

 次に、時系列にそった物語の概略を記します。

8月11日(迎え盆前々日)
 日暮れ 父親から速達が届く
 夜   父親、上野駅周辺で冷凍えびフライを買い、夜行列車に乗る。
8月12日(迎え盆 前日)
 朝   主人公、川で雑魚を釣る。
 昼   父親、帰省。
   午後  主人公、あぜ道で喜作に会う。
   夕食  えびフライを食べる。
8月13日(迎え盆)
 朝   父親、今日東京に戻ることを主人公に告げる。
   午後  家族で墓参りに行く。
   夕方  主人公、バス停で父親と別れる。

いつ (時代設定 いつの時代の話か

 この物語を一読すると、生徒は「現代の話ではない」ことに気づきます。
 しかし「いつ頃の話でしょう」と問いかけても、生徒にはわかりません。

 そこで、「どの部分が現代と違うと思いますか」と問いかけます。

 生徒からは「囲炉裏を使っている」「連絡に速達を使っている」(囲炉裏や速達を知らない生徒もいます)等、いろいろ出てくると思います。中には「夜行列車が走っている」(2015年のダイヤ改正により、上野発の夜行列車はなくなりました。)等も出ました。
 たくさん出てくる場合はページを区切って言わせると良いかもしれません。

 ここで大切なのは、生徒の「現代」の感覚です。本人が「現代と違う」と思えばそれで正解なのです。
 ですから、特に発言の少ない生徒を優先的に答えさせ「そうですね」と肯定的に受け止めてあげると良いと思います。

 この中で、当然「登場人物はえびフライを知らない」「えびフライが珍しい」という発言が出てきます。

 えびフライは明治時代から高級洋食としてありましたが、庶民は名前すら知りませんでした。
 えびフライが知られるようになったのは冷凍えびフライが普及して以降となります。
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 冷凍えびフライを販売したのは昭和37年(1962)、加ト吉水産(現テーブルマーク)が最初です。
 現在ではどこのスーパーでも売っている冷凍えびフライですが、発売当時は冷凍庫が普及しておらず、輸送技術も未発達だったので、とても珍しいものでした。

 このことから、この物語の舞台は、

 東京オリンピック開催に向けて高度経済成長のまっただ中、昭和40年前後の話

であることがわかります。

どこ (空間設定

 東北地方です。おそらく青森市周辺だと思われます。

 まず、台詞を教師が範読すれば生徒もわかると思います。是非読んであげてください。

 方言を使う地方に転校した主人公の疎外感が書かれている「花曇りの向こう」(1年)を想起させ、方言について触れることも授業の伏線として大切です。
 方言を使うということが、それまで「えびフライ」と言っていた主人公が父親にうっかり「えんびフライ」と言ってしまう理由を考えるヒントとなります。

 次に、ドライアイスの場面で
  • 東京の上野汚液から近くの町の易までは、夜行でおよそ八時間かかる。それからバスに乗り換えて、村にいちばん近い停留所めで一時間かかる。
という叙述からわかります。

 昭和40年前後、上野駅といえば東北地方の玄関口でした。(当然東北新幹線はまだ通っていません。)
 東北線は「握手」(3年)でルロイ修道士も仙台-上野間を往復していますから、きちんと押さえておくと来年役立ちます。

 上野駅から東北線で夜行列車に乗って八時間かかる場所は青森駅付近です。
 ですから舞台は青森県青森市周辺となります。(作者の故郷である八戸と考えるのが自然でしょう。)

 ちなみに当時東京-青森間を八時間で走った夜行列車は寝台特急で、父親が利用した可能性が高いものは上野21:00発-青森7:50着の「はくつる」か23:00発-9:30着の「ゆうづる」の2本です。
 ですから父親が降りた駅は、青森の手前に違いありません。
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寝台特急はくつる
 おそらく、その日の仕事を終えた父親は、昭和30年頃の8月11日の夜に、まだ閉店前の上野のアメ横でえびフライとドライアイスを買って上野郵便局で速達を出し、寝台特急に乗ったのでしょう。主人公が受け取った「伝票のような紙切れ」とはえびフライの領収書だったのかもしれませんね。


 ここまでで、だいたい2~3時間はかかります。


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この物語は主人公の目線で書かれている一人称小説です。

主人公から見た物語ですから、
主人公に都合がよいように書かれています。

まず最初の教室の場面で、主人公は教室窓側(廊下と反対側)後方の座席に座っています。
詳しくはこちらこちらを参照。

ここに戸部君がやってきて、
いろいろあった後、A子さんは夏実と仲直りしようと、廊下で夏実を待ち受けます。

夏実の姿を見つけたA子さんの緊張は最高潮に達します。
  • 私が声をかけたのと、隣のクラスの子が夏実に話しかけたのが同時だった。
とあります。
夏実は、一人で歩いてきたのでしょうか。
  • 夏実は一瞬とまどったような顔でこちらを見た後、隣の子に何か答えながら私からすっと顔を背けた。
とありますから、夏実は「隣の子」と何か話しながら、二人で並んで歩いてきたのではないでしょうか。
ところがA子さんはテンパっていたので、夏実に話しかけるまで「隣の子」には気づかなかったのだと思います。

一方「隣の子」と話ながら歩いてきた夏実は、会話の途中で突然A子さんに話しかけられます。
そのため「え?」と「一瞬とまどったような顔」をして、同級生との会話を続けながら歩いていってしまいます。

A子さんは「顔を背けた」といっていますが、夏実にとってはA子さんの方を一瞬向いて、会話の続きをしただけだったのではないでしょうか。

A子さんは、夏実にとって街角のアンケートやティッシュ配りレベルの対象になってしまっていたのかも知れませんが、A子さんは期待が大きかった分、茫然自失の状態になります。

この廊下での出来事を、戸部君は見ていたのでしょうか。

教室の出入り口の幅から考えると、A子さんの座席の位置にいたはずの戸部君からは、廊下で何が起こったのかほとんどわかりません。
ましてや、廊下の掲示物を見るフリををした主人公のA子さんを戸部君は見失っているはずです。

次に戸部君がA子さんを目にするのは、A子さんと夏実がすれ違った後です。

この時、A子さんは
  • ひどい顔をしている。唇が震えているし、目のふちが熱い。
といっていますが、これは「泣きそうな顔」か「泣き顔」でしょう。

戸部君の立場からいうと、
  • ちょっと机にぶつかって、塾の宿題の質問をしただけなのに、プンプン怒って廊下に行ったかと思うと、次に泣いていた。A子、どうしたんだろう。
という感覚だったと思います。

放課後A子さんは、
  • 繊細さのかけらもない戸部君だから、みんなの前で何を言いだすか知れたものじゃない。どこまでわかっているのか探っておきたかった。
と理由付けして、戸部君に会いにいきます。
  • だいたいなんであんな場面をのんびりと眺めていたのだろう。
の「あんな場面」とは、自分が泣いていた(泣きそうな顔をしていた)場面のことか、夏実に無視された場面のことかがはっきりしません。

しかしいずれにせよ、戸部君に会いに来た理由は「魂がぬるぬると溶け出し」た状態の考えで、本心ではないのです。

一方戸部君は、部活中にふと水飲み場の方を見ると、A子さんがいることに気がつきます。

そこで声をかけようと急いで水飲み場にやってきて、顔を洗っていたA子さんに「あたかも」のだじゃれを言います。

A子さんを笑わせて元気づけようとしたのでしょう。
「どうしたの?給食前に泣いていたけど、何があったの?」とは聞かない、紳士的な戸部君です。

これが「一人称小説」ではない、夏実さんや戸部君の物語だと思います。

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この物語は「星の花が降るころに」です。
「星の花」とは何でしょう。

作品の冒頭に
  • 銀木犀の花は甘い香りで、白く小さな星の形をしている。そして雪が降るように音もなく落ちてくる。
とあります。
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銀木犀の花
この、主人公(仮称:A子さん)が作品冒頭で夏実との思い出を回想する場面は「去年の秋」とあり、銀木犀の開花時期である9~10月と一致します。
六年生の二学期の半ば過ぎのことでしょう。
この時、
  • これじゃ踏めない、これじゃもう動けない、と夏実は幹に体を寄せ、二人で木に閉じ込められた、そう言って笑った。
といい、作品終末部にも
  • 夏実と私はここが大好きで、二人だけの秘密基地と決めていた。ここにいれば大丈夫、どんなことからも木が守ってくれる。そう信じていられた。
と述べています。

銀木犀の花は、A子さんを夏実との関係の中に閉じ込めてしまうものであり、
同時に二人を守ってくれるものなのでしょう。

まるで核シェルターに閉じ込められたような描写ですね。
または、固定された人間関係の中に自分の居場所を求める「仲良しグループ」の比喩ともとれます。

A子さんは、夏実の関係の中に自分の居場所を見いだし、その関係を守ってくれる「お守りみたい」なものが「星の花=銀木犀の花」なのでしょう。

そしてA子さんは銀木犀の花をビニール袋に入れ、中学入学後もずっと持っています。

それから「もう九月というのに、昨日も真夏日だった。」とあるように、
一年後の9月上旬が本作品の舞台です。

まだ銀木犀の花は咲いていませんから、まだ季節的に「星の花が降るころ」ではありません。

ところが最後の場面で
  • 袋の口を開けて、星形の花を土の上にぱらぱらと落とした
と、A子さんは、「お守りみたい」に持っていた、干からびた「星形の花=銀木犀の花」を土の上に落とします。

ですから「星の花が降るころ」とは、最後の場面を指していると考えても良さそうです。

「星の花」とは銀木犀の花のことであり、夏実との関係によって自分が安心できる場所の象徴です。

ところが中学入学以降、夏実との関係には変化が起こり、
「星の花」も「小さく縮んで、もう色がすっかりあせて」しまいます。

そして公園のおばさんの言葉をきっかけに、A子さんは「星の花」を土に返します。
夏実との関係の中に自分の居場所という気持ちを捨ててしまったのです。

これは、核シェルターのような「銀木犀の木の下をくぐって出た」というA子さんの言葉に象徴されます。

「星の花が降るころに」とは、作品終末部の「(自分の安心できる居場所=夏実との関係)を捨てたころ」のことを指しているのです。

ではA子さんは「お守りみない」な「星の花=銀木犀の花」を捨ててしまっても良かったのでしょうか。
  • かたむいた陽が葉っぱの間からちらちらと差し、半円球の宙にまたたく星みたいに光っていた。
と、「丸屋根の部屋のよう」な銀木犀の木漏れ日を「星」としています。
A子さんは、自分を守ってくれる核シェルターの外に新しい「星」を見つけたのかも知れません。

星=自分の居場所を示してくれるもの」と考えてもよさそうです。

ですからこの題名から、「夏実との閉ざされた関係を捨て、新しく自分の居場所を見つけようと歩み出したA子さんの物語」と読み取ることができます。

前へ次へ

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