十種神宝 中学国語の基礎・基本

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カテゴリ:中学国語 授業のヒント > 説明的文章

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Q なぜ筆者は「かっこいい」と思ったのか。

A
 レオナルドが科学を駆使して表現しようとしたものが、とてもよく見えてくるから。
理由
 文章の最後の方に、「レオナルドが、絵画の科学を駆使して表現しようとしたものた、とてもよく見えてくる。だからいきなり『かっこいい。』と思えるのだ。」と書いてあるから。

Q 「レオナルドが絵画の科学を駆使して表現しようとしたもの」とは何か。

A1

 絵の構図がもっている画家の意図
A1の理由
 「つまり、レオナルドが、絵画の科学を駆使して表現しようとしたもの」とあり、直前の「絵の構図がもっている画家の意図」の言い換えであるから。

A2
 修道士たちを、この部屋で食事をしたら、まるでキリストたちといっしょに晩餐をしているような気持ちにすること。
A2の理由
 「絵画の科学を駆使して表現しようとしたもの」=「画家の意図」は、直前の「人物の輪郭が作る形。その連なり。」であり、「絵の『全体』」によって示される。
 これによって「絵に描かれているのが本物の部屋であるように見えてくる。」とし、その目的は「かつての修道士たちのように、こんな部屋で食事をしたら、まるでキリストたちといっしょに晩餐をしているような気持ちになるにちがいない。」と言っているから。

Q 「レオナルドが描きたかったのは『それ』なのだ。」の「それ」とは何か。

A
 最後の晩餐の物語をドラマチックに演出することで、観る人がまるでキリストたちと一緒に晩餐をしているような気持ちにさせること。
理由
 「それ」がっししめしているのは、「そのような『全体』」であり、「そのような『全体』」とは、「この絵がもっている本当の魅力」である。
 「この絵がもっている本当の魅力」は、「レオナルドが、絵画の科学を駆使して表現しようとしたもの」であり、「画家の意図」であるから。修道院の食堂に飾るために描いたという状況を、現在にも通用するように解答した。

Q 最後に「芸術は永遠なのだ。」とはどのような意味か。

A

 五百年の昔に描かれた名画は、二十一世紀の今も素晴らしさを失わず、むしろそれまで気づかなかった画家の意図を明らかにして、見る人に感動を与え続けるから。
理由
 「芸術は永遠なのだ。」の直前に、「五百年も~生きている。」とある。単純に「~から。」と言うこともできる。「生きている」という比喩を具体的に言い換えた。


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この単元は、クリスマスの頃までに扱われる学校が多いと思います。

クリスマスといえばキリストの降誕祭(誕生した日を祝う祭……誕生日とは違います)です。

一方、キリストが十字架にかけられたことをお祭りするのは、
春分の日の後の満月直後の金曜日で、グッドフライデーと呼ばれます。

そして、その三日後はイースターと呼ばれ、
キリストが復活した日で、キリスト教において最も重要な祝日の一つです。
イースターエッグは、ひよこが卵の殻を破って出てくる姿が、キリストの蘇りを象徴しているそうです。

最後の晩餐は、キリストが処刑される前夜に行われたので、
グッドフライデーの前日の木曜日、ということになります。

誕生した日も十字架にかけられた日も、
長い冬が終わり温かな春の訪れを告げる春分の日と関わりがあります。

まあ、「君は『最後の晩餐』を知っているか」は、
別にクリスマスともイースターとも関係ありませんが……。

とりあえず私たちは、
筆者は、ダヴィンチの『最後の晩餐』に対し、何を、どのように評論しているのかを読解する力を身につけていきましょう。

「構図」「解剖学」「遠近法」「明暗法」などの用語に目を奪われ、
筆者が主張したい「かっこいい」「本当の魅力」「ドラマティック」などの
抽象的な概念を軽く見ないようにしましょう。

導入部第4段落「なぜか『かっこいい。』と思った」とあります。
この文章は「かっこいい」と思った理由を説明する評論文なのです。
「なぜ『かっこいい』と思ったのか」わかる部分はどこでしょう。

「かっこいい」という語が出てくるのは、
第16段落「これが『最後の晩餐』を『かっこいい』と思わせる一つの要因だろう。」と
第19段落「だから、いきなり『かっこいい。』と思えるのだ。」の二箇所です。
から、生徒の意識はこの二文に集中します。このどちらが「かっこいい」と思った理由は、このどちらでしょう。

結論は文章の最後の方にあり、
断定した言い方をすることが多いものです。
このことは、文頭の「だから」や「これが」から確かめることができます。

更に、それぞれ指示語の指し示す内容や、
同義の表現などを逐っていけば、筆者の主張を理解することができます。
構造図

だたし、
私たちが身につけなければならないことは、
筆者の意図を理解することではありません。

何を説明しようとしているのかを理解し、
そのために指示語や同義の表現などをおっていくという、
評論文の「読み方」を身につけることが大切なのです。

これはとても難しいことです。
たくさん問題を解くことで、力を身につけていきましょう。


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第19段落に「だから、いきなり『かっこいい。』と思えるのだ。」とあります。

第4段落の「なぜか『かっこいい。』と思った。」に対応する部分です。
「かっこいい」と思った理由が第5段落以降の本論であり、
この第19段落が結論部分といえるでしょう。

単純に考えると「だから」の直前
「つまり、レオナルドが絵画の科学を駆使して表現したものが、とてもよく見えてくる」
から「かっこいい」と思えると筆者は言っています。

ここでいう「絵画の科学」とは
第3段落で言う「解剖学」「遠近法」「明暗法」「など」ですが、
これらを駆使して描いたから「かっこいい」と思ったのではありません。

「絵画の科学を駆使して表現したものが、とてもよく見えてくる」から
「かっこいい」と思った
のです。

では「絵画の科学を駆使して表現したもの」とは何でしょう。

この文に「つまり」とありますから、
この文は直前部分「絵の構図がもっている画家の意図」を言い換えたものです。

ですから、第19段落の最後の部分をまとめると、次のようになります。
  • 絵画の科学を駆使して表現しようとした、絵の構図が持っている画家の意図がとてもよく見えてくるので「かっこいい。」と思える。
つまり筆者は
「絵画の科学を駆使したことがかっこいい」と言っているのではなく、
「画家の意図を、絵画の科学を駆使して表現していることがかっこいい」と言っているのです。

ですから、第19段落を要約すると、次のようになります。
  • 細部が落ちて消えてなくなっているため、絵の構図(絵の全体)がよく見えるようになり、絵画の科学を駆使して表現しようとした画家の意図がはっきりわかるようになったので「かっこいい」と思える。
このあたりは、単元プリントなどの解答には若干疑問符がつくものがありますから、注意してください。

では「画家の意図」とは何でしょう。

「絵の構図がもっている」ものとは
  • 「そこ(『最後の晩餐』)に描かれた人物たちの物語を、ドラマティックに演出」(第13段落)
することです。

キリストと12使徒の最後の晩餐の場面を生き生きと表現することだけでなく、
それがまるで観客(修道士たち)の目の前で演じられる舞台のように感じさせようとする、
ダヴィンチの舞台監督のような意図だと筆者は言っているようです。

つまり
「解剖学」は、
手のポーズはもとより「顔の表情や容貌」(第11段落)、動作等を
「一人一人の心の内面までもえぐるように描く」ため手段であり、

「遠近法」や「光の明暗」も
「あたかも本物の食堂の延長にあるようにすら見える」(第14段落)
ための手段に過ぎないのです。

この反証が第20段落です。
完成当初は細部の描き込みに圧倒されたために
「本当の魅力=絵画の科学を駆使して表現しようとした画家の意図」が見えなかっただろう、
と言っています。
images (4)

第20段落末の「レオナルドが描きたかったのは『それ』なのだ」の「それ」とは、
「そのような『全体』」であり、
「ぼんやりした形の連なり」です。
そこに「この絵が持っている本当の魅力」があると言っています。

これらのキーワードに傍線をひいて、
傍線同士をつないでいくと、よくわかります。

そして「本当の魅力」とは、
聖書における最後の晩餐の一瞬を登場人物のドラマとして生き生きと描き、
修道士たちを「まるでキリストたちといっしょに晩餐をしているかのような気持ち」(第16段落)
にさせることです。

この評論文は、
「絵画の科学」が「画家の意図」を実現させる手段として成功しており、
そこが「かっこいい」のだ、と言っているのではないでしょうか。


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第12段落以降は「最後の晩餐」の「遠近法」と「明暗法」の説明です。

遠近法
ダウンロード
遠近法は、イラストなどではバースとも言われる描法です。
第12段落で述べられている通り
「遠くにいくにつれて小さく描く」書き方は「線遠近法」と言われます。

他にも遠くに行くほど色が薄くなる「空気遠近法」や、
ものの重なりにより遠い近いを示す「畳重遠近法」などがあります。

遠近法を用いて描くと、その絵は「奥行きが感じられるように」なります。

そしてダヴィンチの『最後の晩餐』では、
小さく描いていく比率を、実際に見える比率と同じにしてあるため、
第14段落「壁に描かれた部屋は、あたかも本物の食堂の延長にあるように」見えるのです。
1425_001
線遠近法には消失点があります。
「最後の晩餐」で用いられているのは一点透視図法です。

最近では消失点が二つある二視点透視画法というのがあって、
目の錯覚を利用して空間を広く見せる技法がイラストやアニメで用いられています。

ダヴィンチの時代にはこの技法はありませんでした。

マンガなどに集中線というものがあります。
images (3)
消失点というのは、集中線の集中するところでもあります。

『最後の晩餐』の消失点に集中線をあわせてみると、
イエスに注目が集まることがよくわかります。

マンガではありませんから、集中線を書き込むわけではありません。
ダヴィンチは遠近法の消失点を利用して中心人物を際立たせようとしているのです。
image

明暗法と「光の効果」

明暗法は、キアロスクーロとも言われる技法で、
明暗を少しずつ変化させて立体感や量感を出したり、
明るい人物の周囲を暗い背景にすることにより人物を際立たせたりする技法です。

『最後の晩餐』の場合は、
イエスの背景をあえて明るくすることで、
イエスの姿をくっきりと浮かび上がらせ、
イエスの主人公感が高まっています。

「明暗法」は第3段落に登場する言葉です。
しかし、
第14段落では「光の効果」、
第15段落では「光の明暗の効果」と
微妙に違う表現をしています。

なぜでしょう。

第14段落以降で筆者が説明しようとしている内容は、
絵の中の明暗を描き分けるという意味での「明暗法」とは微妙に違うからです。

『最後の晩餐』に「描かれた(イエスのいる)部屋の明暗」は、
実際の「食堂の窓から差し込む現実の光の方向と合致」させてあり、
それによって、
見る人は「壁に描かれた部屋は、あたかも本物の食堂の延長にあるように」錯覚してしまう。
それをダヴィンチは計算して描いたのだ、
と筆者は言っているのです。

このため14段落以降では、
あえて立体感や量感を出したり中心となるものを際立たせたりするために用いる「明暗法」という言葉を使わなかったのだと思います。

いずれにせよ、
ダヴィンチは修道院の食堂で食事をする修道士達が
「まるでキリストたちといっしょに食事をしているような気持ち」(第15段落)
になるように計算して、
食堂の壁に「最後の晩餐」を描いたのだ、と筆者は主張しているのです。


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筆者は、
解剖学に基づいて描かれたダヴィンチの『最後の晩餐』の手の描写を
「手のポーズの見本帳」「心の動きの見本帳」と言い
「弟子達の動揺」を表現していると言っています。

どういうことでしょう。

キリストを中心にして、右側に顔の出ている人物から見ていきましょう。

トマス(イエスの右隣)
聖書では、情熱はあるがイエスの真意を理解せず少しずれている人物として描かれています。
イエスが復活した時も、師の復活が信じられず、
実際に復活したイエスに会ったとき、
ロンギヌスの槍でつかれたイエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んでその身体を確かめた
とも言われていることから「疑い深いトマス」とも言われています。
右手の指を一本立てていますが、
これは「裏切り者は一人だけですか」とイエスに聞いていると解釈されていますが、
イエスの復活の際にわき腹の傷に指を差し込んだことを暗示しているとも言われています。

大ヤコブ(イエスの右二人目)
「雷の子」と呼ばれるくらい激しい性格とされる彼は、
両手を広げ大げさな身振りで驚きを表現しています。
隣のトマスの表情と比べてみると、その性格の違いがはっきり出ています。
トマス・大ヤコブトマスと大ヤコブ

フィリポ(イエスの右三人目)
胸に手をあてて「まさか私ではないでしょうね」とでも言うように、イエスに何か訴えかけています。
フィリポフィリポ

マタイ・ユダ・シモン(イエスの右四~六人目)
三人とも手のひらを上に向けています。
この三人は互いに顔を見合わせ、何か話しています。
イエスから一番離れた場所ですから、キリストの言葉がはっきり聞こえず
「今、主は何とおっしゃったのか?」と問い合っている姿に見えます。

ヨハネ(イエスの左一人目)
聖書に「イエスの最も愛した弟子」とされている人で、「黙示録」を残しました。
聖書で彼は、イエスが「この中に裏切り者がいる」と言ったとき
イエスに寄りかかり「それは誰ですか」と尋ねたとされています。
ダヴィンチの絵はこの後の状態を描いたものなのかも知れません。
隣のペドロが何か話しかけ、彼は両手を組み合わせています。
ペドロの話を静かに聞いているようです。

ペトロ(イエスの左二人目)
ペトロは12使徒のリーダーです。
彼は立ち上がり、左手でイエスを指さし、右手はナイフを持って腰にあてています。
「裏切り者は殺してやりましょう」と言っているのでしょうか。
彼はイエスが捕らえられるときに、追っ手の耳をナイフで切り落としています。
手に持っているナイフは、このナイフなのかも知れません。

ユダ(イエスの左三人目)
裏切りがバレていることがわかったユダの右手には、
裏切りの代償として受け取った銀貨三十枚を入れた袋が握りしめられています。
ペトロ・ユダ・ヨハネヨハネ・ペテロ・ユダ

アンデレ(イエスの左四人目)
両手を胸のあたりにあげた、驚きの手です。
ヤコブ・アンデレアンデレと小ヤコブ

小ヤコブ(イエスの左五人目)
左手を伸ばしています。
ペトロに「ちょっと待て」と言っているようにも、
ユダを指さして「こいつです」と言っているようにも見えます。

パルトロマイ(イエスの左六人目)
テーブルに両手をつき、立ち上がった姿です。
イエスから遠い位置にいるのでよく聞き取れず思わず立ち上がったのでしょうか、
それとも「なんだと!」と立ち上がったのでしょうか。

それまでの『最後の晩餐』は
宗教画として聖書の説明のために描かれたものでした。
ですから、ダヴィンチの『最後の晩餐』以前の絵では、
イエスの弟子たち(聖人)は、ただ座っているだけで、
弟子達の気持ちは描かれませんでした。

ところが、ダヴィンチは
この聖人たちを、
驚きや怒り、悲しみを持つ生身の人間として描こうとしたのです。

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高校入試で出題される文章は、
大きく説明的文章と文学的文章に分かれています。

そして、学習指導要領で求める「資質・能力」(簡単にいうと学力のことです)は、
説明的文章を非常に重視しています。

中でも高校入試等で扱われるのは評論文や論説文です。

説明的文章にもいろいろあります。

一年生の教科書でいうと、
一年生の「ダイコンは大きな根?」などは
説明的文章の中の「説明文」とよばれるものです。

これは、あるものの使い方、あることの内容をわかりやすく説明しようとした文章です。
電気製品のマニュアルなどが代表的な例です。

これに対し「論説文」というものがあります。
これは、筆者の頭の中にある考えを論理的に書いたものです。

評論文」は、この説明文と論説文の中間の文章です。

何か現実にあるものを批評し、
それに対する自分の考えを説明する
文章です。

「何か現実にあるもの」とは、モノとは限りません。
実際に起こった事件や事故など以外に他人の考えを評論することもあります。

この二年生の「君は『最後の晩餐』を見たか」が
光村図書では唯一の評論文ということになります。

「評論家」という言葉が、
時として責任感がない傍観者で文句ばかり言う人の比喩で使われるのも、
評論するには何か元になるモノがないとできないからのように感じます。
images

二年生のみなさんは、
今後いくつかの論説文の学習していく予定です。
しかし現実問題として、
書写指導や文法、修学旅行や部活等に追われて、
気がつけば、きちんと論説文の学習をしないまま
三年生の総合テストや模擬テスト等を受けるハメになるかも知れません。

この4時間扱いの教材を、
より効率よく学習していきましょう。


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国語は、とても数学に似ている教科です。

例えば算数で、3+4はいくつ?という問題があったとします。
この問題で大切なのは7という答えではなく、
その答えをどのように出したのか、その出し方が大切なのです。

同じように、
この「君は『最後の晩餐』を知っているか」という単元では、
最後の晩餐とはどのようなものなのかとか、なぜかっこいいのかとかの、
答えはあまり大切なことではありません。

大切なのは、
  • 筆者は何を言いたいのか
  • それを読者に納得させるために、どのように論理を展開しているか
を読み取るための、読み取り方を身につけることです。
特に、中学校では、次のことを重点的に指導しています。
  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと。
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果、登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
  • エ 文章に表れているものの見方や考え方について、知識や体験と関連付けて自分の考えをもつこと。
まず、各段落に番号をふってみましょう。
一マス下がったところから始まるのが段落です。
これから、段落番号をもとに説明していきます。

まず上のアにある「抽象的な概念を示す語句」とは、
みなさんにとって、しっかり言葉で説明しにくい語句だと思います。
まずこれをチェックしていきます。

1~4段落

それまでの絵画とは違う、全く新しいもの(第3段落)

筆者は、本物の『最後の晩餐』を直接見たら「どう思うだろうか」と問いかけ、
自分は「なぜか『かっこいい』と思った」と述べています。

しかし、私たちにとってダヴィンチの『最後の晩餐』を見ても、
筆者のようにすぐに「かっこいい」と「衝撃」を受けることはありません。

なぜなら、私たちは『最後の晩餐』の絵というと、
全く知らないか、
ダヴィンチの絵くらいしか知らないからです。

ダヴィンチのいたのは、ルネサンスの時代です。
そしてルネサンス以前は中世といって、
ヨーロッパの文化といったらキリスト教一辺倒の世界でした。

この、中世キリスト教文化の中で描かれた『最後の晩餐』はどのような絵だったのでしょう。

当時の人々が見慣れた『最後の晩餐』とは、下の絵のように、
聖書の文言を絵にして説明したものでした。
cd22205f
キリストがいて、弟子達がいて、
ただそれを説明するための絵だったのです。

このような絵を見慣れていた人々にとって、
ダヴィンチの『最後の晩餐』は、
まさに「それまでの絵画とは違う、全く新しいもの」に感じられたのでしょう。

筆者は、これをふまえて、
その上で当時の人々と同じ気持ちになって
「かっこいい」と「衝撃」を受けたと書いたのだと思います。

評論文を正確に読解するためには、
評論しようとする対象に対する知識がある程度ないといけない、ということですね。

例えばAKBのジャンケン大会についての評論しようとしても、
AKBの知識もなく興味・関心もない人にとっては、
何を言っているのかさっぱりわからなくなるのと同じです。
ダウンロード
この評論文は、
この「『かっこいい』と思った」理由を
「じっくりと分析する」ことによって解説しようとしているのです。

この「それまでの絵画とは違う、全く新しいもの」は、
次の段落で「科学が生み出した新しい芸術」に言い換えられています。

第5~8段落

人物の構図から、そんなことが感じられる(第8段落)

『最後の晩餐』は文化祭の時に体育館のステージ上に描かれる絵よりも大きな壁画です。
この大きな絵の前に立つと「そんなことが感じられる」(第8段落)と言っています。

「こんなこと」とは直前の「何かが、起こっている」を示しています。
何が起こっているかというと、8段落で述べている内容です。

では「この絵の構図から」なぜわかるのでしょう。

この段落のまとまりは「この絵の人物の構図」という言葉に集約することができます。
images (1)
上の絵は『けいおん!』(©かきふらい/京都アニメーション)のイラストです。

右から二番目の女の子(平沢唯)が最も大きく正面を向いて描かれています。
このため私たちは、最も近くにいる彼女を注目してしまいます。

同時に彼女は、両端の二人の視線も集めています。

つまり、彼女は、
私たちからも、この絵の登場人物からも注目を集める存在、
つまり、彼女が主人公であると無意識に感じ取ります。

また、彼女と左隣の黒髪の子は、ほうきをギターのようにして遊んでおり、
よく見てみると両端の二人も打楽器を叩いたりキーボードを弾いたりするまねをしています。

このことから、
この絵は「学校」「遊び」「音楽」に関係する話だと、
『けいおん!』を知らなくてもわかる仕組みになっています。
images (2)

この絵は『けいおん!!』のイラストです。

前の絵の唯ちゃんがV字型に並んだメンバーの中央に入っており、
主人公であることがよりはっきりします。
そしてメンバーの持ち物は軽音楽に用いる楽器です。

V字型の配置は、見る人に、
何か目的に向かって進もうとしている5人であると感じさせます。

このことから、この話は
この5人は軽音楽関係で何かをやろうとしているんだな、とわかります。
(実際には、軽音楽でコンクールに優勝しようとかいうのではなく、ごくユルい話なんですけどね。)

構図とは、表現の要素を組み合わせて効果を出す手段、
または画面の中の要素の配置
のことです。

『けいおん』のイラストでは、
登場人物やその動作・持ち物などの要素の組み合わせや配置を工夫することを通して、
『けいおん』という物語を表現しているのです。

筆者の「この絵の人物の構図」とは、
この絵に登場している13人の一人一人の表情や仕草、そして彼らの全員の配置を通して、
キリスト教の「最後の晩餐」というドラマを表現しているのだ、ということです。

構図の目的は、
見る人の視線を、その絵で伝えたいこと全体に行き渡るよう誘導し、
見る人にとって、その絵を興味深いものにすることです。

ですから、構図を工夫するということは、
絵の伝えたいことと見る人の目の動きが一致するように
各要素の組み合わせや配置を工夫することなのです。

作者の意図した「この絵を通して言いたいこと」が
はっきり見る人に伝わることが最も重要なことなのです。

ところが、この「構図」については、
第3段落の「解剖学」「遠近法」「明暗法」に含まれていません。

それまでの聖書の解説に過ぎない宗教画から、
「構図」によって聖書に物語としての命を与え、
教義を超えた解釈を盛り込んでドラマ化したという功績はこの「構図」によるものだ、と
第19段落以降で筆者は述べています。

私たちは、この評論文を読むとき
「解剖学」「遠近法」「明暗法」と言った「絵画の科学」に目が向きがちですが、
これらは、絵の伝えたいことを観客にはっきりと伝えるための手段に過ぎないのです。


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第4~5時 「幻の魚は生きていた」で何を考えるか

14段落以降は、結論にあたる筆者の意見です。

筆者は14段落で
  • この西湖でクニマスがこれからも生き続けるためには、どうすればよいのだろう
と問いかけ、次の15段落で
  • 一つには、産卵場所も含めた湖全体の環境を守ることが必要だ。~かつての田沢湖でのように、人と生き物とがつながり合った関係を維持すること、それがクニマスの保全にもつながるのだ。
とし、クニマスの「里帰り」に触れた上で、16段落では
  • クニマスの里帰りは容易ではない~現実を踏まえ、少しずつ歩いていかなければならない
と結んでいます。

これらはすぐに読み取ることができると思います。

「いかにも、その通り」という内容です。
しかしだからといって、簡単に「賛成」してしまっていいのでしょうか。

「西湖でクニマスがこれからも生き続けるために」は解決済み

筆者は
  • 産卵場所も含めた湖全体の環境を守ること
  • クニマスだけを過度に保護するのではなく、ヒメマスなどの他の生き物と、それらの生き物から生活のかてを得ている私たち人間とが、バランスを保って共存していくこと
が大切であると述べています。

これはその通りです。
しかもこれは西湖に限って言えば実現されていることです。

西湖は富士五湖の一つで、「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の「富士山域」の一部として世界文化遺産の構成要素に含まれています。
ですから「人と生き物とがつながり合った関係を維持すること」は、日本が世界文化遺産を辞退しない限り可能でしょう。
3-15
「西湖で」という条件がつけられれば、
「絶対に実現可能である」という見通しを簡単に持つことができます。

しかし、だからと言って、西湖以外の場所ではうまく行かないのが現実なのです。

例えば、有明海に面した諫早湾の干拓とか、沖縄辺野古埋め立てなど、
日本全国、簡単に解決できないところが山ほどあります。
むしろ、西湖の場合は非常に恵まれた、例外的なものだと思います。

「自然保護は大切」というのは簡単です。
しかし、いくら「大切だ」とわかっていても、うまくいかないのが現実なのです。

現実は、自然や文化だけでなく、政治や経済、歴史の問題が複雑に絡み合っているのです。
そのことを忘れてはいけません。

私は自然保護に反対するわけではありませんが、
みなさんには、筆者の言うことをそのまま受け入れるのではなく、
それを一つの知識として、自分の頭でしっかり考える姿勢を持ってほしいと思います。

西湖にとってクニマスは外来種

もう一つの問題点は、
西湖にとってクニマスは、もともといない魚でした。

テキストにあるように、人為的に西湖に持ち込まれた外来種に過ぎないということです。

外来種といえば、ブラックバスやブルーギルが有名ですね。
ブラックバス
ブラックバス
ブラックバスやブルーギルの場合、
  • 口に入る大きさの在来の小魚、昆虫、エビなどを食べてしまう。
  • 稚魚は、在来魚が食べるミジンコなどのプランクトンを食べるため、餌の奪い合いになってしまう。
  • 漁師の漁獲対象の魚(ワカサギなど)を食べてしまう。
  • ブラックバスのひれには、鋭いとげがあり、刺さると危ない。
などの問題点があります。

だからブラックバスとブルーギルがいる場所では、
小型の魚は食べられてしまい、大きなコイやフナしか生き残ることができません。

しかし、外来種のすべてがいけないというわけではありません。
地域の自然環境などに大きな影響を与える場合が問題なのです。

クニマスは本当に西湖の在来種に影響を与えたのでしょうか、与えなかったのでしょうか。
決して在来種には影響を与えないという確証を得てから持ち込んだのでしょうか。

「クニマスは絶滅したと思われていたから外来種であっても良い」というのは人間の勝手な理屈です。
「クニマスは外来種であっても外国産のものではないので良い」と言えるでしょうか。

突き詰めると、人為的に他の地域に生物を持ち込むことの善し悪しが問われてしまいます。

「クニマスの里帰りは容易ではない」はあたりまえ

テキストには「田沢湖の水はまだ酸性であり、クニマスのすめる環境ではない」とあります。
そして「元にもどすには、気の遠くなるような時間と労力が必要」であり
「現実を踏まえ、少しずつ歩いていかなければならない」と書かれています。

「西湖でクニマスがこれからも生き続けるために」と同じように、「クニマスの里帰りは容易ではない」のは疑問の余地がないことです。

筆者の「現実をふまえ」とは、どういうことを言っているのでしょうか。

田沢湖の現実とは何でしょう。
テキストに以下のように書いてあります。
  • 一九三四年、東北地方を大凶作が襲うと、食糧の増産が人々にとって切実な課題となった。そこで、玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、それを農業用水として使うこと、また、電力の供給を増やすため、湖の水を水力発電に利用することが計画された。
玉川は上流に強酸性の玉川温泉があり、そのため、昔から魚が住めない「玉川毒水」と呼ばれていました。そのため農業用水はもちろん生活用水にも適さず、橋などにも被害を与え、水量は豊富でしたが流域の開発が遅れていました。昔から様々な除毒対策が繰り返されてきましたが、平成元年10月に完成した玉川中和処理施設の完成によって約150年間に及ぶ毒水排除の夢が実現しました。(玉川温泉参照)
玉川温泉
玉川温泉
玉川温泉は、今でも毎分9,000リットルの湧出量を誇る、強酸性の温泉です。

小さなコップに、水が入っているとします。
そのコップに塩水を入れ続けていたら、コップの水はどうなるでしょう。

最初、塩水は薄まりますが、真水を入れずに塩水だけを入れ続けたら、
コップの水は、いつのまにか塩水になってしまいます。

小さな子どもでもわかる理屈ですね。

同じように、地下から無限に、大量に湧き出てくる強酸性の水(お湯)を、
小さな田沢湖に流し込んだとして、

酸性を本当に薄めることができるでしょうか。

数年は薄めることができたとしても、
これからもずっと薄め続けることができるでしょうか。

そんなこと、できるはずはありません。

玉川の酸性水を湖に入れれば、魚は死ぬと漁師たちは分かっていました。
そして農民たちも、玉川毒水を入れた水は農業には使えなくなるとわかっていました。
(実際、田沢湖から引いた農業用水は、数年で使えなくなったそうです。)

「玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、それを農業用水として使う」のは、
常識から考えて到底無理なことだったのです。
「玉川の水を田沢湖に引き入れ」ることの本当の目的は
田沢湖をダム湖とし「電力の供給を増やす」ことだったのではないかと思います。

1940年に運用が開始され生保内発電所は、田沢湖をダム湖とした水力発電所です。
現在、最大出力31,500kWで、秋田県内最大の出力を誇っています。
obonai生保内発電所
東北地方を大凶作が襲ったという1934年といえば昭和9年。戦争の足音が聞こえてきた時代です。
そして1940年といえば、太平洋戦争が始まる前の年です。

ボーキサイトから航空機の材料となるジュラルミンを作るためには、電力がたくさん必要でした。
この電力を確保するための一つとして、田沢湖ダムが造られたのではないかと思います。
(本当かどうかは、わかりませんよ。)

「食糧増産と経済発展が最優先された時代です。反対の声はかき消されたのでしょう。(「クニマスの地元・田沢湖、深い喜び 70年ぶり再発見」朝日新聞 2010.12.15)

結局、1940年(昭和15)に玉川の水は田沢湖に引き入れられました。
田沢湖がどんなに大きな湖であったとしても、無限に流れ込む玉川の酸性の水を薄めることなどできるはずがありません。
案の定、農業用水としては数年で使いものにならなくなりました。

こうなることは、当時の田沢湖周辺の人々も十分わかっていたと思います。
しかし、国を挙げて戦争につき進む中、国策に反対することはできなかったというのが実情だったのではないかと思います。

平和な時代に生きているわたしたちは、簡単に「反対の声をあげればいい」と言うかも知れません。
しかし、昭和9年という時代に、漁業権を主張して田沢湖をダム湖とするのに反対する運動を、果たしてできたでしょうか。
もし私たちが当時そこに暮らしていたとして、反対の声をあげることができたと自信を持って言えるでしょうか。

当時の人のことを考えると、「自然を壊さないように気をつければよかった」と簡単に言うことはできないと思います。

では現在、田沢湖に対して私たちはどうすればよいのでしょうか。

水力発電が見直され、電力不足が話題となる現在、田沢湖に流入する水を止め、田沢湖発電所と生保内発電所の運用を停止させることができるでしょうか。

現在玉川中和処理施設が稼働していますが、クニマスが棲める状態にまでphを回復させることはできないようです。
これ以上の効果を出すためには更に強力な施設が必要です。
そのためには膨大な資金が必要であり、それに見合うだけの効果がなくては予算はつかないでしょう。

ましてや現在は、東北大震災や台風災害の復興や、未曾有のコロナ禍で、
ただでさえ予算が足りない時代です。

そして使われるのは私たちの税金です。
果たして田沢湖の回復のために予算をつぎ込むのことはできるでしょうか。

そして現在、田沢湖には現在の湖に適合した生物たちがすんでいます。
もし田沢湖が昭和9年以前の状態に戻ったとして、
現在の田沢湖の環境に適合し生息している生態系は滅びてしまうかもしれません。
それでもいいのでしょうか。

これらのことを、筆者はとても上手に表現しています。
誰が読んでも「間違いである」とは言えない文章です。

しかし、この14段落以降の内容を、
少しでもふくらめて自分の意見を書こうとすると、
実現不可能な「お題目」や、現実をともなわない「夢物語」になってしまいます。

この文章をもとに、「自分の考えを書け」という課題がもし出されたとしたら、
制限字数に収まるように、
  • 自然を保護することは大切なことである。
  • しかし、それはとても難しいことだ。
  • どうしたらいいかは、人々の英知を結集し、考え抜いた上で進めていかなくてはならない。
くらいに書いておくことをお勧めします。


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第3時 黒いマス=クニマスの証明


9段落に「新たな展開があった」とありますが、
ウィキベディアによると、「新たな展開」とは、次のようなことです。
  • 2010年、山梨県の西湖にて生存個体が発見された。きっかけは、京都大学の中坊徹次がタレント・イラストレーターで東京海洋大学客員准教授のさかなクンにクニマスのイラスト執筆を依頼したことであった。さかなクンはイラストの参考のために日本全国から近縁種の「ヒメマス」を取り寄せた。このとき、西湖から届いたものの中にクニマスに似た特徴をもつ個体があったため、さかなクンは中坊に「クニマスではないか」としてこの個体を見せ、中坊の研究グループは解剖や遺伝子解析を行なった。その結果、西湖の個体はクニマスであることが判明したとし、根拠となる学術論文の出版を待たずして、12月14日夕方にマスコミを通して公式に発表された。
ダウンロード (1)

9段落には「地元の人の話では、ヒメマスの中にも黒いものがいるという」とあります。
同じく、これについては、次のように書かれています。
  • 西湖の漁師には、この発見以前から「クロマス」と呼ばれて存在自体は知られていたが、「ヒメマスの黒い変種」程度にしか認識されていなかった。このため、西湖周辺では普通に漁獲されていたほか、一般の釣り客も10尾に1尾程度の割合で比較的簡単に釣り上げており、2010年以前にも「西湖でクニマスを釣り上げた」と再発見説を唱える者がいたという。産卵を前にして黒くなったヒメマスは不味であるとされることから、「クロマス」は釣れてもリリースされることが多かったというが、当然ながら「クロマス」を食する者もおり、伝承どおり、塩焼きにしてもフライにしても美味であったと語られている。
筆者の言う「黒いマス」というのは、さかなクンが見せたクロマスのことでしょう。
クロマスは「クニマス探しの運動」の時にはクニマスではない、と判定されていました。
当時の分析技術ではしかたがなかったとも言われています。

筆者は「クニマス」「クロマス」「ヒメマス」と、似たような言葉が並ぶのを避けるためにクロマスをあえて「黒いマス」と言い換えたのかも知れません。

そして10段落以降は、黒いマス=クニマスの証明となります。

筆者の論の展開は、次のようなものです。
  • 「黒いマス」はヒメマスではない。産卵の時期と産卵する水深が違う。黒いマス=ヒメマスというのは「疑問である」(10段落)
  • 「産卵時期と場所はほぼ一致する」ため「黒いマスはもしかしたらクニマスかも知れない」(11段落)
  • 「(えらと消化器官が)全てクニマスの特徴と一致した」「遺伝子の解析を行い、黒いマスはヒメマスとは別の魚」(12段落)
「黒いマス」「クニマス」「ヒメマス」と似たような言葉が次々と出てくるため、何を言っているのかわからなくなるかもしれません。
そんなときは、「黒いマス」に傍線を引き、線でつないだり、
「黒いマス」「クニマス」「ヒメマス」を表にまとめてみたりして、
きちんと押さえておきましょう。

表の空欄を埋めるテストとして出題されるかも知れませんね。

しかし、筆者が言うことをそのまま鵜呑みにしてはいけません。

筆者は、クロマス(黒いマス)=クニマス と断定していますが、
反論はできないでしょうか。

ポイントは「遺伝子的には黒いマス=クニマスと証明されていない」点です。
クニマスの遺伝子は現存していないから確かめようがありませんでした。

ですから、黒いマスはクニマスやヒメマスの亜種かも知れないし、今まで知られていなかった新種だったという可能性もあります。

ウィキベディアによると、筆者はきちんした学術論文にする前にマスコミに公表してしまったようですね。

この13段落までで、問題提起文の答えはすべて出そろってしまいました。
では次の14段落からは何が書いてあるのでしょう。


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第2時 問題提起2の答えにあたる文を見つける

問題提起文2は「クニマスが、なぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろう。」です。

この答えは、どこに書いてあるのでしょう。

問題提起文1の答えは6段落にありましたから、
問題提起文2の答えにあたる文は、7段落以降にあります。

第12段落以降にありそうですね。
  • この黒いマスはクニマスであった。(12段落)
  • 「幻の魚」は生きていたのだ。(12段落)
  • こうした偶然の一致によって、田沢湖で絶滅したクニマスは、遠く離れた湖底で脈々と命をつないでいたのだ(13段落)
どれも、答えっぽいですが、正解はどれでしょう。
正解のポイントは、
  • 問題提起文と対応しているか
です。

そう考えると、13段落の文が問題提起文と対応していることがわかります。
  • クニマスがなぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろう。
  • こうした偶然の一致によって田沢湖で絶滅したクニマスは遠く離れた湖底で脈々と命をつないでいたのだ。
ダウンロード西湖

「偶然の一致」とは何か

こう聞かれたら、どこを見ればよいのでしょう。

文章の内容を考えるのは失敗のもとです。
目をつけなくてはいけない言葉は、「こうした偶然の一致」の「こうした」です。

つまり「こうした」により指示される内容を的確に答えればよいわけです。

「こうした」に近いものから順にあげると次のようになります。
  • ↓ 偶然の一致
  • ↓ クニマスが産卵して生存できる条件を備えていた
  • ↓ 田沢湖も西湖も、クニマスの産卵場所の周囲の水温は、四度だった
  • 田沢湖と西湖には共通点があった
ですから「『偶然の一致』とは何か」と問われたら、
解答の条件に応じて近い順から答えていく必要があります。



ちなみに、筆者は「命をつなぐ」と言っています。

筆者は、一匹のクニマスが生まれてから死ぬまでの、一匹の生命について言っているのではありません。
クニマスが、種として子孫を残していくことを「命をつなぐ」と言っているのです。

この13段落には筆者の意図的にミスリードをしています。

それは水深です。

田沢湖の水深と西湖の水深が異なることは、テキストの通りです。
そこで「どうして浅い西湖で命をつないでいけたのだろう」と筆者は問題提起をしています。

田沢湖と西湖の水深が異なることは、放流する以前からわかりきっていたことです。
水深が違うとクニマスが生息できないことがわかっているのなら、
最初から西湖に放流するはずがありません。

水深と産卵とは、クニマスの場合は最初から無関係なことだったのではないでしょうか。

ですから、数字に惑わされて
クニマスが西湖で生き延びてきた理由を間違えてしまわないようにしましょう。

温度さえ同じなら、クニマスはどこにでも産卵できるのですね。

以上の内容は13段落にすべて書いてあります。

黒いマス=クニマスの証明

7段落の最初に「そのクニマスが、遠く離れた西湖で見つかった」とあります。
8段落は、クニマスが絶滅したと言われてから、クニマス探しが行われたことを述べています。
そして9段落以降が「西湖で捕れたという黒いマス」はクニマスであることの説明です。

次の時間は、黒いマスがクニマスであると、どのように証明しているのだろうか読み取ってみましょう。


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