十種神宝 中学国語の基礎・基本

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カテゴリ:中学国語 授業のヒント > 説明的文章

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「幻の魚は生きていた」は5時間扱いの単元です。
指導事項は、
B書くこと
  • ウ 伝えたい事実や事柄について、自分の考えや気持ちを根拠を明確にして書くこと。
C読むこと
  • イ 文章の中心的な部分と付加的な部分、事実と意見などとを読み分け、目的や必要に応じて要約したり要旨をとらえたりすること。
  • オ 文章に表れているものの見方や考え方をとらえ、自分のものの見方や考え方を広くすること。
となっています。

国語の授業は、
自然保護の大切さ等を考える道徳の授業や、
魚の生態等を調べる理科の授業とは違います。

国語では、なにを学習したらよいのでしょう。
imagesクニマス

第1時 問題提起文の答えにあたる文の見つけ方

2段落まで読むと、
疑問の形になっている文が二つあります。
  1. クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう。
  2. また、絶滅したと思われていたクニマスが、なぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろうか。
筆者は、京都大学の先生です。
この問いの答えがわからなくて、読者に聞いているわけがありません。
読者に問いかけることによって、読者を文章に引き込むための文です。
これを問題提起文と言います。

問題提起文には答えにあたる部分が必ずあります。
それはどこにあるのでしょう。
これを、より速く、より正確に見つけることが、国語では大切なことです。

まず最初の問題提起文「クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう」の答えにあたる部分を探してみましょう。

6段落にあります。
6段落は次の二文で出来ています。
  1. こうしてクニマスは、人の手による環境の改変によって、他の多くの生物と共に田沢湖から姿を消した。
  2. そして、地元の人々の生活に根ざしていたクニマスをめぐる文化も同時に消えていった。

答えは、1.の文ですね。

なぜ1.が答えにあたる文でしょう。
  • クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう。(問題提起文1)
  • こうしてクニマスは人の手による環境の改変によって、他の多くの生物と共に田沢湖から姿を消した。(6段落第1文)
問題提起文1と、6段落第1文とを比べてみましょう。
二つの文では、共に「クニマスは」とあります。
更に、「田沢湖で絶滅した」と「田沢湖から姿を消した」が対応しています。

そして問題提起文の「なぜ」に対応する部分が「人の手による環境の改変によって」です。

問題提起文1の答えは「人の手による環境の改変」だということがわかります。

では「人の手による環境の改変」とは、どのような中身でしょう。

これは「こうして」が指示している内容です。

「人の手による環境の改変」とは、
「こうして」の近い順にみてみましょう。

「玉川の水は田沢湖に引き入れられた」ことであり、
その結果「酸性の水はクニマスをはじめとする田沢湖の生物に打撃を与え」たためです。

そしてこの目的は「農業用水」の確保と「水力発電に利用」することです。

もし「人の手による環境の改変とは何か」とテストなどで問われた場合は、
特に指定がない場合は「こうして」に近い順に答えなくてはいけません。



ちなみに、第6段落第二文の「クニマスをめぐる文化」って何でしょう。

答えは第3段落にあります。

「出産祝いや、病気見舞い、誕生日祝いに贈られる」「地元の民話にも登場」です。
たつこ姫
田沢湖にたつ、クニマスとゆかりの深い「たつこ姫」の像

「文化」とは「ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式」全般を言うようです。
ですから出産祝いや病気見舞いも文化なら、民話もカルチャー(文化)なのです。

「アニメ文化」と言いますが、「アニメ文明」とは言いません。
文化は精神的な活動なのです。
(一方、文明は物質的な活動を主に指すような気がします。)

次の時間は、問題提起文2について考えてみましょう。


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第4時 言い換えに注意して筆者の主張を理解しよう

 第1段落の問題提示文の次には、こう書かれています。
  • 実は、この絶海の孤島で起きた出来事は、私たちお住む地球の未来を考えるうえで、とても大きな問題を投げかけているのである
 そして第16段落には次のように書かれています。
  • イースター島のこのような運命は、私たちにも無縁なことではない
 「イースター島のこのような運命」とは「絶海の孤島で起きた出来事」です。
 これについては第2~15段落で問題提示の解答として説明されました。
 この説明は一応科学的な内容ですから、疑いの余地は少ないと思います。

 そして「私たちにも無縁なことではない」は「大きな問題を投げかけている」に対応しています。
 第16段落は、2~15段落までをまとめた上で筆者の主張をスタートさせるための段落です。

 四時間目の授業は、第16段落以降で述べられる筆者の主張を、言い換えに注目して理解する1時間となります。
  • 第17段落 森林は、文明を守る生命線
  • 第18段落 異常な人口爆発
  • 第19段落 食糧不足や資源の不足が恒常化
等の叙述をおさえつつ、第20段落の言い換えを理解していきます。
  • イースター島=地球の対比
  • 絶海の孤島=広大な宇宙という漆黒の海にぽっかりと浮かぶ青い生命の島
  • 森林が枯渇し、島の住民が飢餓に直面=その森林を破壊し尽くしたとき、その先に待っているのはイースター島と同じ飢餓地獄
 これは市販のワークブック等にもある内容ですから、特に問題なく授業が進むと思います。

 そして筆者は、以上の考察の結果として以下のことを主張しています。
  • とするならば、私たちは、今あるこの有限の資源をできるだけ効率よく、長期にわたって利用する方策を考えなければならない
と主張し、「それが、人類の生き延びる道なのである」とダメ押ししています。

 この論展開をおさえるために、授業の半分以上は費やすと思います。

 残りの時間は、次に行う
  • 「モアイは語る」をふまえ、自分の考えを書こう
の準備にあてます。

 この文章は、読者を説得することを目的とした文章と言えます。
 筆者の説得を100%受け入れ、納得してしまうというのはどうでしょうか。
 文章を批評的に読んで、筆者の主張について自分なりの判断を下す力を伸ばさなくては、読解力がついたとは言えないと思います。

 「モアイは語る―地球の未来」という説明的文章に論理的な穴はあるのでしょうか。

 第17段落の、日本列島で文明が繁栄したことと森林との関係、地球そのものが森に支えられているといった表現は、「~深く関わっている」「~という面もある」と、あいまいに表現していますから、明確に誤りであるとは言えません。

 第18~19段落の数値も、一般的に言われているものです。
800px-World-Population-1800-2100
世界人口 1800-2100年(国連 (2004) 及びアメリカ国勢調査局の評価・推計に基づく)

 しかし、筆者の主張には、以下の疑問が指摘できます。

飢餓地獄は起こらない

 第20段落には、次のように書かれています。
  • イースター島では~どこからも食料を運んでくることができなかった。地球も同じである。
 確かに、筆者の言う通り「二〇三〇年には(地球の人口は)八十億を軽く突破」することは、
 国連の推計等からいってもほぼ確実となっています。
 もし「二十一億ヘクタールの農耕地で生活できる地球の人口は、八十億がぎりぎり」であるならば、
 現在地球の人口75.3億(2017年)ですから、あと10年で食糧危機が現実となるわけです。

 しかし筆者が主張する通り「森林資源が枯渇」すれば、地球に「飢餓地獄」が訪れるというのは本当でしょうか。

 筆者は、この部分で「イースター島=地球」と言おうとしています。
 しかし、イースター島の「どこからも食料を運んでくることができなかった」の部分と対応する地球の状況は書かれていません。
  • 絶海の孤島のイースター島では、森林資源が枯渇し、島の住民が飢餓に直面したとき、どこからも食糧を運んでくることができなかった
  • 地球も同じである。広大な宇宙という漆黒の海にぽっかり浮かぶ青い生命の島、地球その森を破壊し尽くしたとき、その先に待っているのはイースター島と同じ飢餓地獄である。
 筆者は「広大な宇宙という漆黒の海にぽっかり浮かぶ青い生命の島、地球」と詩的な表現で「どこからも食糧を運んでくること」ができない状態を暗示しようとしています。
 確かに地球以外の惑星から食物を持ってくるというのは、不可能でしょう。

 しかし、地球外から食糧を持ち込む以外に飢餓地獄から逃れるの方法があることを、条件付きで明かしています。
  • 食料生産に関しての革命的な技術革新がないかぎり(19段落)
 言い換えると「技術革新が人類の生き延びるもう一つの道である」ことに、筆者は既に気づいているわけです。

 筆者が主張したい
  • イースター島で森林を破壊した結果、文明が滅んでしまった
という説は「エコサイド(ecocide)=環境虐殺」と呼ばれる説です。
 そしてこの説は、無謀な開発と環境破壊に警鐘をならすエピソードとして知られています。

 しかし、このイースター島の文明が滅んだ原因については、現在いくつかの反論が出ています。
 例えば「モアイは歩かせて移動させたので、ころを使ったのではない」というハワイ大学の研究もあり、動画も公開されています。「モアイを運ぶために木材を切り倒したのではない」というのです。

 また、森林資源が枯渇したのは、モアイを造るためではなく、無計画で行われた焼き畑農法のせいだと考える人もいます。

森林破壊だけでは文明は滅びない

 第20段落では「森林資源が枯渇し、島の住民が飢餓に直面した」とありますが、森林破壊によりイースター文明が滅んだとは書いてありません。

 イースター島文明が滅んだ理由については第15段落に次のように書いてあります。
  • こうして、イースター島は次第に食料危機に直面していくことになった。その過程で、イースター島の部族間の抗争も頻発した。そのときに倒され破壊されたモアイ像も多くあったと考えられている。このような経過をたどり、イースター島の文明は崩壊してしまった。
 「このような経過」とはどのような経過なのでしょう。

 第15段落に限れば「(イースター島が次第に食糧危機に直面していく)過程」を指すと思われます。具体的には第15段落以前の論の展開を指していると思われます。

 イースター島の文明が崩壊した直接の原因は「部族間の抗争」です。
 人口爆発と森林破壊による食糧危機が、肥沃な土地と漁場をめぐっての部族抗争を生んだと言われています。
 モアイは部族のシンボルなので、部族間の抗争として「モアイ倒し」が盛んに行われていたようです。

 このことを筆者は知らなかったのでしょうか。
 ですから、現在の研究では次のように書くのが正しいと考えられます。
  • こうして、イースター島は次第に食料危機に直面していくことになった。その過程で、イースター島の部族間の抗争頻発した。そのときに倒され破壊されたモアイ像多くあったと考えられている。その結果、イースター島の文明は崩壊してしまった。
 ほんの少し助詞などを変えるだけで、ずいぶん内容が変わってきますね。

 確かに、森林「破壊(焼き畑農法が原因だとすると「伐採」とは言えません)」により土地が痩せ、船なども造ることができなくなったことが、食糧危機が訪れたもともとの原因かもしれません。
 しかし直接の原因は部族間の抗争だと考えられています。

 イースター島では、モアイが作られなくなってから数百年後にヨーロッパ人が到達したときは生活水準は石器時代並となっていたそうです。
 しかしまだ「文明」としては死んでしまったとはいませんでした。

 最終的にイースター島文明を崩壊させたのは、
 ヨーロッパ人による奴隷狩りと、彼らにもたらされたインフルエンザや天然痘、ペストなど疫病ためだとされています。

 イースター島の人々や彼らが築いた文明は、実際はどうだったのか、どうなったのかは、言い伝えでしか残っておらず、実はよくわかっていないというのが現状です。

 文章を細かく分析してみると、
 筆者は単純に「森林破壊→食糧危機→文明の崩壊」と主張してはいないことがわかります。
 しかし巧妙に読者がそのように理解(誤解)するような論の展開をしているのです。

 更に20段落では、次のようにまとめています。
  • 今あるこの有限な資源をできるだけ効率よく、長期にわたって利用する方策を考えなければならない。それが、人類の生き延びる道なのである。
 ここで言う「この有効な資源」とは何でしょう。
 筆者はどちらを言いたいのでしょう。
  • 今ある森林資源を、できるだけ効率よく、長期にわたって利用する方策を考えよう
  • 今あるすべての資源を、できるだけ効率よく、長期にわたって利用する方策を考えよう
 読み手は、森林資源ではなく、「有効な資源」すべてを言っているように受け取ってしまう可能性が高いと思います。
 

 確かに石油やレアアースなどは、直接的に自然由来の資源をめぐる部族間の抗争(現代では国家間の抗争、と言い換えてもよいでしょう)のもとになっています。
 これらの資源を「できるだけ効率よく、長期にわたって利用する方策」は、
 筆者の主張通り、現在世界中で努力しているような気がします。
 しかしそれ以上に文明の崩壊につながる可能性が高いのは、石油やレアアースを原因にした部族(国家)間の抗争の方ですね。

 自然由来の資源ばかりでなく、人的資源というのもあります。
 人間を「効率よく長期にわたって利用」という感覚はどうなんでしょう。

 第16段落以降の読解を進めてから、これらの反論を生徒に考えさせるというのは1時間では不可能です。

 単元の指導事項
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
  • エ 文章に表れているものの見方や考え方について、知識や体験と関連付けて自分の考えをもつこと。
を5時間という時間枠のなかで全うするには、どうしても
  • 「説得する文章」に対して「自分の考えをまとめる」「自分の考えを持つ」
という内容をやりたくなります。
 具体的には、やはり作文を書かせたいと思います。

 そこで、筆者の論に対する反論を知識として生徒に与え、
 それらもふまえて自分の考えを次の1時間で書くという展開が自然かと思います。

 第4時は、前半で筆者の主張を理解し、
 後半で、筆者の主張の弱点とその反論を説明し、
 次の時間で、自分なりの意見を文章に書くことを予告して終わります。

第5時 この文章をふまえ、あなたの考えを書きなさい。

 高校入試等でよく出題されるものに、「この文章をふまえ、あなたの考えを書きなさい」というものがあります。
 そこで読ませるのは、論説文等の説明的文章がほとんどです。

 初見の説明的文章を読んで、その内容を理解した上で、自分の考えを書かせることによって、

 読解力と同時に表現力も見ようとするものです。
 当然、論旨を的確に把握していなくてはいけません。
 また、誤字・脱字、文のねじれ等も減点の対象となります。

 生徒は「え~」というかもしれませんが、その時は次のように指導します。
  • 来年の受験に向けての練習である 従って入試同様に採点する
  • 内容の理解は既に終わっている 従って入試より難易度は下がる
  • この課題を提出することは既に予告してある 予習をするかしないかは自由である
 次の条件を板書します
  • 800字以内(八割=640字以上書いてなければ評価対象外となる)
  • 原稿用紙の使い方に準ずる 1行目に組・氏名を書く 題名は書かない
  • 終了の合図(チャイム)と同時に提出する(時間外の提出は認めない)
  • 解答は A・B・Cの三段階評価とし、それ以外にD評価(採点対象外)がある
 あとは、原稿用紙を配り、書かせ、回収します。

採点基準例 

 夏休みの前後に意見文等を書かせたことと思います。
 その時の指導内容を採点基準とするのが良いと思います。

 私の場合は、「高校入試を想定した採点を行う」ことを生徒に伝え、次の評価基準を板書します。
  • 条件を満たしていないものは評価対象外としD評価
  • 誤字脱字等を含め原稿用紙の使い方の誤りが著しいもの、テキストの要旨を正しく捉えていないもの、テキストの読み取りに誤りがあるもの、論の展開に誤りがあるもの等はC評価
  • 結論が最初に書いてあるもの、自分の考えに対する反例をあげる(逆接の接続詞を効果的に使う)ことで説得力を持たせているもの等はA評価
  • それ以外はB評価
  • 評価は以上の基準に基づき総合的に判断される 意見の内容は、テキストの主張をふまえている限り賛否その他は問わない
 この授業は、国語科の授業をするのであって、道徳や総合的な学習の時間、特別活動の授業をしているのではありません。
 私たちが「モアイは語る―地球の未来」で教えたいことは、
 「説得する文章」に対し、
 その内容を「正確に」読み取り、批判的に分析し、自分なりの考えをまとめることです。

 がんばりましょう。


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第2~3時 問題提起文と、対応する解決文を探そう

学習問題1
 問題提起1と対応する解決文はどれか

 これは、解決文探しのウォーミングアップです。

 問題提起1に対応する解決文は「しかし、最近になって、それは西方から島づたいにやって来たポリネシア人であることが判明した」です。

 ここで「なぜこれが解決文だとわかりますか」と問います。
  • 「誰か」と聞いているので「ポリネシア人」だ
と考える生徒が多いと思います。
 しかし国語科として教えたい内容は「しかし」(接続語)と「判明した」(文末の断定表現)に注意して解決文を探すことです。

 そこで「なぜ宇宙人ではいけませんか」「『ポリネシア人が最初にこの島にやってきたのは』はだめですか」等の切り返しの発問をし、「しかし」と「判明した」に注意を向けます。

 接続後や指示語、文末表現などに生徒の注意を向けた上で、学習問題2に移ります。

学習問題2
 問題提起2と対応する解決文はどれか
学習課題2
 接続語や文末表現に注意して探そう

 問題提起2に対応するのは第7段落冒頭文です。
  • それにしても、ラノ・ララクの石切場から、数十トンもあるモアイをどのようにして海岸のアフまで運んだのだろうか
 これはすぐわかると思います。

 ポイントは「それにしても」(話題の転換)「運んだのだろうか」(同義の言葉の使用による問題提起文2の繰り返し)です。
 この二つについても「なぜこの問題提起文が問題提起2と同じだと言えますか」と切り返し、学習問題1の内容を想起させます。

 すると、「『それにしても』は話題の転換を示すから」と答える生徒がいます。
 出たらすかさず「そうですね。この直前の話題はここからの話題と違うことがわかります。ですから第七段落の前までは問題提起文1を解説するまとまりと言えます」と補足し、接続語によって段落のまとまりがわかることをおさえます。

 対応する解決文探しの場面では、
 「木のころが不可欠である」「支柱は必要だ」の部分と考える生徒もいると思います。

 これでよいか意見を発表させる中で、
 「次の段落最初に『「しかし』とある」ことに気づいた意見を取り上げ、
 「しかし」の前と後とでは、後の方が重要であることをおさえるとともに、
 この段落には更に問題提起2の下位カテゴリにあたる問題提起文があることに気づかせます。
  • モアイが作られた時代、モアイの運搬に必要な木材は存在したのだろうか
 そして「この問題を解決してから問題提起文2の解決するというわけですね。」と破籠(わりご)型の構造を解説します。
破籠構造破籠構造
 次の問題提起3を考えさせることで、一気に説明的文章の論の構成のポイントをおさえます。
  • 問題提起3 いったい何があったのか(モアイが作られなくなったのはなぜか)
には、対応する問題提起文がありません。

 第11段落冒頭の「もう一つの事実」のまとめ
  • おそらく森が消滅した結果、海岸までモアイを運ぶことができなくなったのであろう
が、問題提起3の解答文であることは、生徒はなんとなくわかると思いますが、
 その理由をしっかりと説明させることが国語科としての力を伸ばすことなのだと思います。

学習問題3
 問題提起3の解決文はどれか

 問題提起2の解答文は第10段落にあり、
 問題提起4に対応する問題提起文は第13段落「では~」という話題転換に続く文言なのですから、
 問題提起2と4に挟まれた第11~12段落が問題提起3と対応することをおさえることをおさえます。

 これを生徒が思いつくように、うまく誘導するのがポイントです。
 ヒントとして発表させる時に「問題提起3の説明はどこからどこまでか」も言わせると気づく生徒もいると思います。

 学習問題1~3をまとめると、次のようになります。
  • 提起された問題の順番通りに論は展開する
  • 問題提起文は段落まとまりの最初の方に、解決文は最後の方にある
  • 問題が解決すると話題は次の問題提起の内容に移る
  • ただし、問題提起が二つ重なった場合は、破籠式に論が展開する
 これを押さえて、問題提起4の解答文
  • 千体以上のモアイの~崩壊したと推定される
挙手の少ない生徒に答えさせ自信をもたせます。

<前へ< ・ >次へ>

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ダウンロード
 「モアイは語る―地球の未来」は指導書によると5時間扱いの単元です。
 指導事項は次のようになっています。
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果、登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  •  ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
  •  エ 文章に表れているものの見方や考え方について、知識や体験と関連付けて自分の考えをもつこと。
 指導事項イの「文章全体と部分関係」とは、段落相互の関係のことです。
 また「例示や描写の効果」とは、説明的文章特有の表現技法(例えば文学的文章で比喩が用いられた場合、何をどのように例えているかは明らかにされないが、説明的文章では明らかにされる等)のことです。

 指導事項ウの「文章の構成や展開」とは、接続語や指示語によって的確に段落や文相互の関係が示されることです。

 指導事項イやウを通し、要旨を的確に把握した上で、自分の考えを持ち、それを文章化するのが指導事項のエでしょう。

 いってみれば、膨大な資料にすばやく目を通し、目的に応じてそれらの資料を再構成し、目指す結論が得られるように資料を再構成する、という霞ヶ関のお役人に必須の能力が「目指す力」ということになるような気がします。
 この力は、「他人の説明を正確に理解する力」であると共に、「都合の良い結論に隠されたウソを見抜く力」となりますから、是非生徒に身につけさせたいものだと思います。

 この観点から考えると、この文章は、説明的文章の特徴がよく現れています。

 それは一読して気づくことは、問題提起文が目立つことです。
ダウンロード
 問題提起文とは、筆者が話題にしている問題や課題を、疑問形などで解決すべき事項として読者に投げかけた文です。

 問題提起文は、文章全体や段落の最初の方にあることが多く、その問題を解決する文が必ず書かれることに特徴があります。

 そこでまず、段落番号を振らせ、問題提起文とその解決文を探していくことで、段落のまとまりをおさえつつ、説明的文章の特色に気づかせていく、という単元展開を構想してみました。

第1時 筆者はなぜ読者に質問するのか

 まず過去の学習から説明的文章の「なぜ~だろうか」という文を思い出させます。ひょっとしたら理科などの教科書にもあるかもしれません。
 「この文の答えを、筆者は本当に知らないのだろうか」と問いかけ「問題提起文」の役割を教えます。

 次に、「この文章で筆者の言いたいこと(要旨)は何だろうか」と問いたいところですが、
 筆者が出した結論には若干問題があります。
 これについては後述しますが、これを指導事項エとして最後に取り扱いたいので、
 ここはぐっと我慢です。

学習問題 
 文章全体を通読し、文章構成のおおよそを知ろう。
学習課題
 問題提起文とその解決文に線をひきながら読もう。

 まず第1段落を範読し、生徒に線をひかせます。
  • 君たちはモアイを知っているだろうか。
 これは問いかけであり、モアイを話題とした文章であることを示しています。
 「~だろうか」と結ばれていますが、厳密には問題提起文とは言えないかもしれません。
 しかし「この文は問題提起文といえるかどうか」は重要な問題ではありません。
 次の文がポイントです。
  • それは、人間の顔を彫った~八十トンにも達する
 「それは」はモアイを指しており、この文が解答文であり、指示語にも注意して読まなくてはいけないことに気づかせます。

 次に第2段落を範読します。
 範読しながら机間巡視し、生徒は線をひきながら聞いているか確かめます。
 これは、線をひきながら読むという、大切な技能だからです。

 そして「どこに線をひいたか」問うと、生徒は次の部分を指摘するはずです。
  • いったいこの膨大な数の巨像を誰が作り、あれほど大きな像をどうやって運んだのか。また、あるときを境として、この巨像モアイは突然作られなくなる。いったい何があったのか。モアイを作った文明はどうなってしまったのだろうか。
 この部分が四つの内容に分かれていることを十分理解していない生徒もいると思います。
 そのため、次のように板書し、おさえます。
  • 問題提起1 いったいこの膨大な数の巨像を誰が作り(誰が作ったか)
  • 問題提起2 あれほど大きな像をどうやって運んだのか
  • 問題提起3 いったい何があったのか(モアイが作られなくなったのはなぜか)
  • 問題提起4 モアイを作った文明はどうなってしまったのだろうか
 そして、第2段落内に解決文がないことを確認し、第3段落を範読します。

 第一文は「絶海の孤島の巨像を作ったのは誰か。」です。
 この文と問題提起文1とが「誰が作ったか」という部分で内容的に一致していることをおさえます。

 そして、それぞれの問題提起文と対応している文や、それぞれの対する解決文があったら線をひくように指示し、1時間を終わります。


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生徒用の資料・解説はこちらのHPに載せてあります。
興味のある方はどうぞご覧下さい。

「シカの『落ち穂拾い』」の学習プリントを作成しました。
興味のある方はこちらへどうぞ。

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 説明的文章には、
 製品の取り扱い方を正しく読み手に伝えるための電化製品のマニュアルのような説明文から、
 筆者の頭の中にある考え(筆者の主張)を正確に読み手に伝える論説文まで、様々な種類があります。

 この「シカの『落ち穂拾い』―フィールドノートの記録から」は、
 研究論文といって、学術研究の成果を筋道立てて述べた文章です。

 実際、横書き二段組みに直すと、研究紀要に掲載される書式とそっくりになります。
 私は、そのように直したA4のプリントを作成し、それを教材としています。
 (欲しい方は、ご連絡ください。PDFでプレゼントします。)

 研究が研究であるためには、どのような条件が必要なのでしょう。
 私は、次の三つを備えていなくてはいけないと考えます。
  • 客観性・妥当性
  • 独創性・新規性
  • 一般性・普遍性
 更に、インパクトファクターが高いもの(評価の高い雑誌等に取り上げられたり、他の研究にたくさん引用されていたりするもの)ほど「良い研究」と評価されます。

 これは、「授業研究」や「研究授業」など、
 私たちの身の回りにある「研究」と名前のついたものはみんな同じだと信じています。

 さて、「研究」の条件をこのテキストは備えているのか
 生徒に考えさる授業が、単元最後の授業となります。

 まず、生徒に「『研究』であるための条件」を自由に意見を出させ、
 教師がそれをまとめて、上の3つの条件を説明するまでが導入となります。

〈学習問題〉
  • この文章は、研究と言えるだろうか。
客観性・妥当性の検証

 客観性・妥当性とは、
 研究の筋道が論理だっており、誰が読んでも正しい(間違いとは言えない)ことです。

 これまでの授業では、
 「考察」の結論部をスタートに、
 それを導き出した「仮説の検証」、
 その元となる「仮説」や、「仮説」を導き出した「観察からわかったこと」を検証してきました。

 その結果、「観察からわかったこと」から「考察」までの客観性・妥当性はあると考えられます。

〈学習課題1〉客観性・妥当性を主張するために、あと何があれば良いのか。

 答えは「もととなった観察があるという事実は、何によって証明されるか。」です。

 そのために「観察のきっかけ」の項があり、
 その中でフィールドノートの存在が示され、
 確実にそれがあることを証明するために、写真まで載せています。
image002

 「え、そんなこと必要なの?」と思うかもしれませんが、
 特に自然科学の研究の場合、これはとても大事なことなのです。

 小○方さんの「STAP細胞はあります」の騒動の例を思い出してもわかるように、
 フィールドノートのあるなしが、その研究の真正性を担保するものだからです。

 だから、このテキストの副題
  • フィールドノートの記録から
なのです。

 「フィールドノート」という言葉を発見させ、
 フィールドノートに研究の起点があることや、
 フィールドノートをデジタルでなく紙に書いて残す意味等を考えさせます。

独創性・新規性の検証

 独創性・新規性とは、
 その研究がオリジナルのものであり、今まで誰も主張したことがない新しい内容であるということです。

〈学習課題2〉この研究は独創的で、誰も主張したことがないものなのだろうか。

 この答えは「観察のきっかけ」に次のように書かれています。
  • その(「落ち穂拾い」の)詳細が検討されることは、これまであまりなかったようだ。
 この一文は、
 「『落ち穂拾い』についての細かな研究は、私が調べた限りでは、ありませんでした。」ということです。
 従って、「『落ち穂拾い』について研究したのは、私が初めてです。」という宣言です。

 「これまであまりなかったようだ」とは優しい言い回しですが、
 謙遜した言い方では「管見すると存在は確認できなかった」
 つまり、先行研究について詳細に調べましたが、発見できませんでした、という
 相当断定的な言い方になります。

 更に「考察」で
  • これまで、樹上で暮らすニホンザルと地上で暮らすニホンジカは、互いに無関係に暮らしていると考えられてきた。しかし、一連の調査によって、この二種の動物がつながりをもって暮らしていることがわかってきた。
と、ニホンジカを専門とする研究者がこう言い切っているのですから、
 シカの「落ち穂拾い」についてはほとんど知られておらず、
 この研究が最初である、と(すこしドヤ顔で)宣言しているわけです。

一般性・普遍性の検証

 一般性・普遍性とは、
 研究が特殊な条件でしかあてはまらない限定的なものではなく、いつでもどこでもそれがあてはまるものである、ということです。

 このテキストの結果だけでは、
 「シカにとってサルは、食物が乏しく栄養状態の悪い時期に、自力では獲得が難しい、しかも栄養価の高い食物をたくさん落としてくれる、ありがたい存在である」という結論に、一般性・普遍性をもたせることはできません。

 一般性や普遍性は、その方向や範囲をどこまで広げていくかがポイントです。

 では、何を研究すれば一般性・普遍性のある研究と言えるようになるのか
 生徒に考えさせてもよいでしょう。

〈学習課題3〉どういうことを研究していけば、一般性・普遍性をもたせることができるか。

 テキストには、
  • サルの行動がシカの生活に及ぼす影響の大きさがどの程度なのか
  • シカのほうがサルにあたえる影響について
を、今後「調べてみたい」としています。

 これは、テキストにある通り、シカの「落ち穂拾い」の実態の詳しい調査です。

 では、一般性・普遍性をもたせるためには、どんな研究をしたらよいのでしょう
  • シカがサルの「落ち穂拾い」をするのは、金華山だけか。岩手県ではどうか。日本中はどうか。世界ではどうか。
  • シカはニホンジカだけか。サルはニホンザルだけか。サルやシカの種類が違ってもいえるのか。
  • サル以外に、シカが「落ち穂拾い」をする動物はいないのか。
 これらを生徒に考えさせるのです。

 他に「シカが『落ち穂拾い』をする理由は、他にはないのか」という意見が出ると思います。
 これは「反証」といいます。
 仮説(結論)に適合しない事例は、その仮説の限界を示すことであり、その限界を超えない限り仮説は正しい、という証明となるものです。
 「よく気がついたね」と絶賛してあげましょう。

 この三つの学習課題は、一斉授業ではやりきれません。
 やはりここは、個人→グループ→全体発表というような、アクティブラーニングの形式で授業を進めるのがよいかと思います。

 「シカの『落ち穂拾い』―フィールドノートの記録から」というのは、
 取り扱いが難しく、軽くスルーしてしまいがちな教材だと思います。
 しかし、しっかり教材研究をして授業にのぞめば、それなりにやりがいのある授業ができると思います。

 がんばりましょう。

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第4時 仮説をたてるまでに問題はないか

 仮説は、事実をもとにしてたてられていなくてはいけません。
 適当な思いつきでは、仮説とは言えないからです。

 「仮説」の項の第一文に、次のように書かれています。
e7e6381a
  • 記録をつけながら、私はシカが「落ち穂拾い」をする理由について考えた
 ここで「シカが『落ち穂拾い』をする理由」とは、二つの仮説を指します。
  • 仮説一 春は、シカの本来の食物が不足している。
  • 仮説二 サルの落とす食物のほうが、栄養価が高い。
 この仮説は、以下の疑問を解決するための予想でもあります。
  • わざわざサルがいる木の下まで集まってくるのだから、サルの落とす食物には、シカにとって何か魅力があるはずだ。(=サルの落とす食物には、どんな魅力があるのだろう。→仮説二につながる。)
  • また、その行動が春に集中するというのも不思議である。(=なぜ「落ち穂拾い」は春に集中するのだろう→仮説一につながる。)
 「~はずだ」「~不思議である」の部分をきちんと疑問文に直せない生徒もいるかもしれませんから、一人一人に書かせても良いかもしれません。
 順番が入れ替わっていることを、しっかりおさえます。
 (これは、論展開を円滑にする等の筆者に都合の良い理由があったと思いますが、華麗にスルーしましょう。)

 この流れを、授業でおさえてから、本時の学習問題を据えます。

〈学習問題〉
  • 筆者の持った疑問は、正しいのだろうか

 筆者の持った疑問は、前の項の集めた記録からわかったことから生まれています。

  • 「落ち穂拾い」は、三月から五月にかけての春に集中していた(図1)
  • 「落ち穂拾い」で、シカは十六種二十二品目の植物を採食した(表1)
  • 「落ち穂拾い」をするシカの数は、一回当たり一頭から二十一頭とばらつきがあった。
  • サルが樹上で採食するときには、途中で食べ飽きて枝を捨てることなどが多く、木の下には意外に多くの植物が落下していた。

 最初の項目は図1をもととし、「春は、シカ本来の食物が不足している」という仮説一たてて図2と対応させています。
 また二番目の項目は表1をもととし、「サルの落とす食物の方が栄養価が高い」という仮説二をたてて、表2と対応させています。
 三番目と四番目は「確かにシカはサルの『落ち穂拾い』をしている」という証明になります。

図1→仮説一→図2の展開の検証

 最初の「『落ち穂拾い』は、三月から五月にかけての春に集中していた」は、図1を論拠にしています。
 ポイントは、グラフから読み取れる内容と表から読み取れる内容が一致していなように見えることです。
  • グラフで4月が極端に多いが、実際は6回しか観察されていません。
  • 逆に5月は13回も観察されていますが、グラフではそんなに高くありません。
 この理由を、「割合」という言葉を用いずにきちんと文章で説明させます。

 この、一見一致していないことに気づかない生徒も多いようです。
 しかしこれに気づくことは、将来統計のウソにだまされないためには必要なことです。
 「なぜだろう」と疑問を持たなかった生徒に疑問を持たせることは、大切な学習だと思います。

 同時に「割合」の意味を具体的に文で説明させることが指導の狙いです。

 細かく見ると、毎月100時間以上観察しているにもかかわらず、
 4月だけはたった18時間しか観察していません。

 ひょっとしたら、たまたま観察したときだけ落ち穂拾いをしていただけなのかもしれない
 ……とういことも考えられますが、そこまで疑っても仕方ないので、スルーします。
 これに疑問を持った生徒がいたなら、「4月も100時間以上観察すればよかったのにね」と言っておきましょう。

 大切なのは、
  • 例えば『アンケートでは』とか『調査によると』とよくテレビや雑誌であるけど、どんなふうに調査をするかによって、調査の結果はいくらでもコントロールできます。世の中には自分の都合のいいように調査をコントロールすることがいくらでもあります。絶対にだまされないように、統計を見るときは気をつけましょう。
と教えることです。
 国語科だけでなく、社会科や理科、数学科でも、しっかりと教えていきたいですね。

表1→仮説二→表2の検証

 二番目の「『落ち穂拾い』で、シカは十六種二十二品目の植物を採食した」というのは、表1を論拠にしています。

 しかし、このことを読み取る以上に、生徒は表1から違う情報を読み取るのではないでしょうか。
 春と秋はたくさんの種類を採食していますが、夏と冬は一種類しか採食していないということに気づく生徒も多いと思います。

 表1に書かれたことと文章に書かれたことを照合して、それで納得してしまうだけでなく、
 「なぜ触れていないのか」と疑問を持つことも大切なことだと思います。

 図1によると、100時間以上観察して、冬は数回しか落ち穂拾いに遭遇していませんから、種類が少なくて当然のことです。夏も0.01%程度の遭遇率ですから、似たようなものでしょう。

 問題は秋です。
 秋の観察回数及び総観察時間は書かれていませんからはっきりとはわかりませんが、
 冬や夏に比べると、秋はけっこう落ち穂拾いに遭遇しているはずです。
 だからいろいろな種類があるのでしょう。

 図2によれば、夏ほどで多くはありませんが、それでも秋はイネ科の草の供給量が結構多いので、
 そんなに「落ち穂拾い」をする必要がないはずです。
 確かに春よりは少ないですが、いろいろな種類のものを「落ち穂拾い」しています。

 ということは、やはり
 サルの落とす食べ物の方が栄養価が高いので、冬に備えて落ち穂拾いをする
 という側面もあるのでしょう。

 しかし、本当に「サルの落とす食べ物の方が栄養価が高い」と言ってしまってもよいか、疑問が残ります。
 なぜなら、表2の「栄養価の比較」で、「『落ち穂拾い』で採食した食物」とは、いつの季節の何の栄養価なのか、それとも、全部ひっくるめた平均なのか、そのための計算式はどうなのかが説明されていないからです。

 そこで、秋も「落ち穂拾い」をする品目が多く、回数も冬や夏よりも多いことまで考え合わせると、
 仮説は次のように書き改めることができます。
  • シカが『落ち穂拾い』をする理由は、サルの落とす食物の方が栄養価が高いためであり、特に春は、シカ本来の食物が不足しているため、頻繁に行われる
 しかし、これが正しいかどうかは、肝心の秋の観察回数及び総観察時間の資料がないため、単なる予想であって、仮説とは言えません。
 筆者ならこれらのデータを持っていると思います。
ダウンロード (3)
 テキストに全てのデータを書かなかったのは、「夏はなぜ『落ち穂拾い』をしないのか」まで検証しなくては説得力のある論文にはならないことを、筆者はわかっていたからなのではないでしょうか。

 だから、中学生向けに確実に言える部分だけを書いたのではないかと思います。(確証はありません。)

 以上のことを1時間でおさめるのは無理でしょう。
 おそらく図1→仮説一→図2で1時間がほぼ終わりますから、

 表1→仮説二→表2は軽くおさえて、最後のまとめの授業に移るのが賢明だと思います。


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第3時 ただしく結論を導いているか


 仮説は次の二つです。
  • 一 春は、シカの本来の食物が不足している。
  • 二 サルの落とす食物のほうが、栄養価が高い。
 この二つの仮説を検証するために、「仮説の検証」の項をもうけています。
 前時に、この検証の部分から、考察の結論部は導かれていることはわかりました。
 そこで、学習問題として、次のものを据えます。
〈学習問題〉
  • A 仮説を確かめるための方法として、二つの検証は適切なものか
  • B それぞれの検証の内容は正しいのか
ダウンロード

具体的には、次のような学習になります。

〈一について〉
  • 「春は、シカ本来の食物が不足している」という仮説を証明するために「イネ科の草の供給量の測定」を行うことは適切か。
  • 図2から「春は、シカ本来の食物が不足している時期なのである」と言えるのか
〈二について〉
  • 「サルの落とす食物のほうが、栄養価が高い」という仮説を証明するために「食物の栄養価の分析」を行うことは適切か。
  • 表2から「サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高い」と言えるのか
 生徒は「教科書に載っているので正しいに決まっている」という漠然とした考えを持っています。
 これは「印刷物になっていれば……」「ネットに載っていれば……」と、際限なく広がり、
 自分の頭で考えることを放棄してしまう危険性を帯びています。

 特に、「図表や数値で表現されていればなんとなく正しいような気がする」という意識は払拭してあげたほうが、生徒の将来のためだと思います。

 検証の一と二を、いちいち一斉授業の中で取り扱っていると、1時間では収まりません。
 そこで、ワークシート等で一人一人にまとめさせ
 それをグループや学級で発表・検証していくアクティブラーニングを行います。

 検証するポイントは以下の通りです。

〈一について〉
ダウンロード (1)
○「シカ本来の食物であるイネ科の草」とあるので、
 仮説一の「シカ本来の食物」は「イネ科の草」と考えて良い。(ここまで疑うだけの知識はありませんからね。)

○図2から「春は、イネ科の草の供給量が不足している時期」と言っても良いのか。
  1. 縦軸の数字は何か。→1㎡あたりのイネ科の草の重さ。
  2. 調査した場所だけたまたま多い、少ないということはないのか。 →「刈り取りは毎月複数の場所で行った。グラフは、月ごとの草の平均値を示したもの」とある。統計的に誤差が出ないように工夫されている。(作為までを疑ったら、あとは自分で確かめるしかできませんからね。)
  3. イネ科の草の供給量が明らかに不足するのは、12月~4月(あるいは11月~5月)である。これを「春は、イネ科の草の供給量が不足している時期」と言って良いのか。 →イネ科の草の供給量が不足するのは冬から春にかけてである。従って「春は、イネ科の草の供給量が不足する」と言っても間違いとは言えない
 ポイントは、
  1. について……同じ意味の言葉による言い換え
  2. について……偶然性の排除=客観性の保障
  3. について……間違いでないものは正しいというレトリック
をきちんとおさえることです。
 特に3は、
 図2をしっかり見た生徒は
  • 「イネ科の草が少なくなるのは春と冬なのに、なぜ春と言っているのだろう」
という疑問を持ちます。
  • こういう言い方をして自分が導きたい結論にもっていくことがあるんだよ。この文章に悪意はないと思うけど、世の中にはわざとこういうテクニックを使ってみんなをひっかけようとする人がいるから、気をつけてね。間違ってはいないのだから、ひっかかったら負けだよ。」
と教えてあげます。
ダウンロード

〈二について〉

○仮説二とその検証方法は一致しているので、間違いではない。

○「サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高い」という結論は、正しいのか。
  • この結論は前文で「『落ち穂拾い』で採食した食物のほうが、一年を通して脂質やたんぱく質、炭水化物などが豊富で、食物にふくまれるエネルギーの量が多い」という表2の解釈をまとめたものである。このまとめは正しいか。
  • 「栄養価」とは何か。 →「脂質やたんぱく質、炭水化物など」と「食物にふくまれるエネルギーの量」の二つである。 →どこが違うか。 片方は「豊富で」とあり、もう片方は「多い」とある。「脂質やたんぱく質、炭水化物」は家庭科で学習する栄養素であり、他にビタミンやミネラルを加えて五大栄養素と呼ぶ。だから「など」と書かれている。一方五大栄養素の中で糖質・脂質・たんぱく質はエネルギー源になる栄養素であり、この三つが多ければ、当然「エネルギーの量」は多くなる。脂質・たんぱく質・炭水化物(糖質の一部)が多ければ、エネルギーの量が多くなって当然である。 →なぜ「栄養素」ではなく「栄養価」としたのか。 →「栄養素」は栄養の種類の豊富さを表現している。種類が豊富であっても微量であれば意味をなさないこともある。(ビタミンやミネラルなどは微量でも大丈夫ですからね。)そこでエネルギーとしての総量を明らかにした。だから「栄養としての価値」という意味で「栄養価」を使ったのだろう。
 ポイントは「栄養素」と「エネルギーの量」の言葉の使い分けです。
 「栄養価」にはこの二つの意味が含まれていることに気づかせます。
 そしてテストでは、記述問題としてこの二つがきちんと区別されているかどうかを見る問題が出題できます。


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第1時 何の話で、結論は何か
  • 「何の話か、なるべく簡単に答えましょう」
 すると、ほぼ間違いなく「シカの『落ち穂拾い』の話」と返ってきます。
 題名がそうなっているからです。
  • 「シカの『落ち穂拾い』とは何ですか」
ダウンロード
 これは、定義文を考えさせる発問です。
  • 樹上の動物が落とした食物を地上の動物が採食するという行動
 多くの生徒は、この「落ち穂拾い」の定義文を答えてしまいます。
 しかし、発問に即してこの定義文を書き換えたものが正解です。
  • サルが落とした食物をシカが採食するという行動
 一年生ですから、こういう基本的なことからしっかり教えていきたいと思います。

 そして最後に中心の発問を出します。
  • 筆者が一番言いたいことは何ですか。一文で抜き出しましょう。
 説明的文章には、要旨が必ず書かれています
 それを発見させる発問です。

 「それはどこに書いてあるか」と言われると、文章の最初から探そうとする生徒がいます。
 そのような生徒がいた場合、「文章全体の中でどこらへんに書いてあると思う?言いたいことは最初か最後にあるよね。」と机間指導していきます。

 説明的文章には「頭括型」「尾括型」「双括型」の3種類があるという指導です。
 多くの生徒は、既にそのことに気づいていると思います。

 「筆者の一番言いたいこと」という発問によって、下のようないくつかの答えが出てくると思います。
 選んでくるのは、たいてい「考察」の中の一文です。
  • 第一段落「シカにとってサルは~ありがたい存在であると考えられる。」
  • 第二段落「しかし、一連の調査によって~わかってきた。」
  • 第二段落「私は今回の調査を通じて~感じている。」
  • 第三段落「動物たちにとってバランスのとれた生息環境を維持するために~喜びである。」
 どれが筆者がこの文章を通して最も主張したいことなのか、生徒に考えさせます。

 いろいろな意見が出てまとまらない場合は、文末表現を比較させます。
  • 「考えられる。」
  • 「わかってきた。」
  • 「感じている。」
  • 「喜びである。」
 すると、結果から導かれた結論は第一段落にあることに気づくと思います。
 「説明的文章では、文の結び方までしっかりおさえましょう」と念押しをし、
 最後に「では、この結論は本当に正しいと言えるのか、次の時間に確かめてみましょう」と言って、終わります。

第2時 結論はなぜ正しいと言えるのか

 この文章の結論は、「考察」の第一段落に書かれています。
  1. シカにとってサルは、
  2. 食物が乏しく栄養状態の悪い時期に、
  3. 自力では獲得が難しい、
  4. しかも栄養価の高い食物をたくさん落としてくれる、
  5. ありがたい存在である
 「考察」のまとまりの最初の段落に書かれていますから、「考察」の部分は頭括型の文章であることがわかります。
  • 文章全体では尾括型だが、意味段落に区切ると頭括型となることがある。
 教科書や入試問題などでは、字数の関係から、このような書き方をする説明的文章が多いことを、生徒に教えておいてもよいでしょう。

 この結論部をスタートとして、授業はこの文章を逆に読解していきます。

 この結論部分は、1~5のパーツに分かれています。
 そこで、各パーツを検証していきます。
  1. パーツ2 落ち穂拾いをするのは「食物が乏しく栄養状態の悪い時期」と言えるのか。
  2. パーツ3 落ち穂拾いで食べる食物は「自力では獲得が難しい」と言えるのか。
  3. パーツ4 サルは『栄養価が高い食物をたくさん落としてくれる』と言えるのか。
 パーツ2「食物が乏しく栄養状態の悪い時期」は、「仮説の検証 一について」の最後から言えます。
  • 「落ち穂拾い」が多く生じる春は、シカ本来の食物が不足している時期なのである
 これはすぐに出てくると思います。

 しかしこれだけでは「食物が乏し」い時期の部分しか対応していません。
  • 栄養状態が悪い時期」というのはどこからわかるのか。
と更に質問します。

 すると「さらに、興味深いデータがある。」出始まる部分の最後
  • 春先は、一年の中で、シカの栄養状態が特に悪い時期なのである。
という記述に気づきます。

 図3や岩手県の調査は、どちらの仮説の補足説明であるかを考えると、迷ってしまうことが多いと思います。
 それよりむしろ、この調査は、結論のどこと結びついているか、に視点をあてるべきだと思います。

 ここで指導したいことは、次のものです。
  • 結論部と検証部分は、必ず対応していなくてはいけない。「食物が乏しく」だけのデータしか示せなかったら「栄養状態が悪い」という結論まで導くことはできない。科学的文章ではなくなる。一字一句に注意し、勢いで納得してはいけない。
  • 結論部分に対応する検証部分は一箇所だけではないことがある。
  • 結論部分に対応する検証部分には、同じ意味の言葉(「乏しく=不足している」、「栄養状態が悪い=栄養状態が特に悪い」)が必ず含まれる言い換えに注意し、集中的にそれを探せば良い。
 パーツ4「サルは『栄養価が高い食物をたくさん落としてくれる』のか」については、すぐに「仮説の検証 二について」が出てくると思います。
  • サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高いのである
 問題はパーツ3「自力では獲得が難しい」です。これはどこから言えるのか、生徒は迷うと思います。
 「結論部と検証部分は、必ず対応していなくてはいけない」という鉄則に従い、「なぜそれが言えるのか」を考え、結論を導くのが生徒の学習です。
 生徒は、次のように考えるでしょう。
  • 「仮説の検証 一について」から「春は、シカ本来の食物が不足している」とあるから、当然「自力では獲得が難しい」といえる
  • 「仮説の検証 二について」から「サルの落とす食物は、シカの本来の食物よりも栄養価が高い」とあるから、落ち穂拾いで得る食物は「自力では獲得が難しい」ものだといえる
  • 「観察のきっかけ」のフィールドノートの絵からは、サルがいないと食物が得られないことがわかる。だから「自力では獲得が難しい」と言えるのではないか。
 これをまず考えさせ、その考えをノートに書かせ、それを発表させていきます。

 ここが、生徒が自分の考えを練り、それを出し合い、検証していく大切な場面となると思います。


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PISA型の「読解記述力」に惑わされてはいけない


 「シカの『落ち穂拾い』」を教えにくい教材だと思う方は多いのではないでしょうか。

 説明的文章なのですが、
 文章だけではなく、写真や図表が多く用いられ、なんだかPISAや全国学調の問題に似ています。
 ……だから、そいういう力をつけなくてはいけないのかな?

 これが教えにくいと感ずる原因の一つなのではないでしょうか。

 確かに、PISAや全国学調に見られるの問題は、文章と写真・図表等の複合テキストです。
 しかし、PISA等で測ろうとしているのは「読解記述力(複数のテキストから必要な情報を取り出し、解釈し、結論を表現する力)」です。

 そのため、PISAは文章・写真・図表等の複数のテキストが並立して提示されています。

 これに対し、「シカの『落ち穂拾い』」は、写真や図表はあくまで文章の補助としてしか用いられているに過ぎません。
 この教材は、あくまで「文章を読んで内容を理解する」ための教材であり、写真や図表は文章理解を助けるという役割しか果たしていません。

 PISAや全国学調を意識した授業はする必要がないと思います。

 このことは、上にあげた光村図書の「指導事項」や「言語活動例」から見てもわかります。
  • イ 文章の中心的な部分と付加的な部分事実と意見などとを読み分け、目的や必要に応じて要約したり要旨をとらえたりすること。(指導事項)
  • エ 文章の構成や展開、表現の特徴について、自分の考えをもつこと。(指導事項)
  • イ 文章と図表などとの関連を考えながら、説明や記録の文章を読むこと。(言語活動例)
 この教材では純粋に「読解表現力」ではなく国語科の考える「読解力」を身につける指導を行えばよいのです。

論文を読む力をつけよう

 この文章には、次のように、文章のまとまり毎にタイトルがつけられています。
  • 観察のきっかけ
  • 観察からわかったこと
  • 仮説
  • 仮説の検証
  • 考察
 これは、理科の自由研究の項立てとほとんど同じです。
 いってみれば論文と非常によく似た構成をもっています。

 この文章は、自然科学系の論文を視野に入れた書き方なのです。

 論文の価値は、次の観点から評価されます。
  • 客観性・妥当性(仮説を導く論理に飛躍や思いこみがなく、論理的に正しいこと)
  • 独創性・新規性(他の文献等に既に出ているものや似たものがなく、オリジナリティを主張できるものであること)
  • 一般性・普遍性(特殊な事象にしか通用しないものだと、高く評価されない)
 また、インパクトファクターが高いもの(評価の高い雑誌等に取り上げられたり、他の研究にどのくらい引用されるか)ほど「良い研究」と評価されます。

 この文章は、以上の評価の観点をとても上手にクリアしています。さすが京大の先生だと思います。
d54e72acb51459cd5422661fee58da0c辻大和先生のHPから
 論文は、次のポイントを押さえながら読むべきだと思います。
  • 何についての研究か
  • 結論は何か
  • 結論を導く論理に誤りはないか
 そこで、授業でもこの点に留意し、
 「より速く、より正確に」論文型の説明的文章を読解する力が身につくよう、
 全5時間の単元を進めていきます。


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「ちょっと立ち止まって」の予習・復習、定期テスト対策の解説書及び問題をダウンロード販売します。
説明的文章の読み方や、国語の定期テストでの問題の傾向、その対策、問題の解き方を解説してあります。
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一枚目 ルビンの壺
image

1915年頃にデンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案したものだそうです。

白地の壺、または、黒地の向き合っている二人の顔が見える有名な絵です。


図となる領域と地(背景)となる領域が交替する図形で、図地反転図形と呼ばれています。
多義図形の一種です。

二枚目 嫁と義母
1494719716
この絵は、作者不詳の19世紀からある古い絵なのだそうです。
それが、イギリスの漫画家 W.E.ヒルによって改作され、雑誌に掲載されたのだそうです。
また、心理学者エドウィン・ボーリングの研究に利用され、1930年に公表されたのだそうです。
画面奥に顔を向けている若い女性、あるいは横顔を見せている老いた女性のどちらにも見えるというこれまた有名な絵です。


一つの図形が意味的に馴染み深い二つ以上の対象(若い女の人と老婆)を見い出すことができる絵で、意味反転図形と呼ばれます。
これもまた、多義図形の一種です。

三枚目 全ては虚しい
image (1)

1892年に、アメリカのチャールズ・アラン・ギルバートという18歳の青年が描いたものなのだそうです。ライフ・マガジンに載り、一躍有名になった絵なのだそうです。

この絵は、近くで見ると化粧台の前に座っている女性が見えます。目を離してみると、どくろが見えてくる絵です。

距離による錯視により見え方が異なる多義図形です。

反転図形か距離による錯視か

「ルビンの壺」も「嫁と義母」も、反転図形と呼ばれるものです。
「ルビンの壺」は、白と黒のどちらを絵と考えるか、「嫁と義母」は、絵を何だと考えるかによって、描いてあるものが違って見えるだまし絵です。

一方「全ては虚しい」は、近くのものは細かなところまではっきり見え、遠くのものはぼやけて見えるという視覚の特徴を利用しただまし絵です。

ですから、このテキストには3つの図を紹介していますが、
事例としては、大きく分けて2つのことが書かれていることがわかります。

だまし絵には、さまざまな種類がありますが、
このテキストでは「多義図形」を紹介しています。
まず「ルビンの壺」と「嫁と義母」を示して、反転図形を説明し、
次に「全ては虚しい」を示して、距離による錯視を説明しています。

反転図形のところでは、
まず「ルビンの壺」で図地反転図形を、次に「嫁と義母」で意味反転図形を説明しています。
しかも
この2つは、第5段落でつながってしまっていて、はっきりと分けることができません

このことからも、この文章の本論の部分は、
第2~7段落と、第8~9段落の、2つの部分に分かれている
と考えるのがよいと思います。

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